2020年9月25日金曜日

Kimpton Shinjuku Tokyoで、東京を意識する

10月2日(金)に西新宿にオープン予定のラグジュアリー・ライフスタイルホテル「Kimpton Shinjuku Tokyo」を視察させていただいた。


アメリカ発のキンプトンブランドは日本初上陸。私もマンハッタンで宿泊したことがあるが、毎夕のソーシャル・アワーも含め、お洒落で感じのいいブティックホテルとして印象に残っている。現在はインターコンチネンタル・ホテル・グループ傘下だが、そのブランドとアイデンティティーは維持。



全体的にニューヨークのテイストを前面に出しながら、日本ならではのモチーフがあちこちに織り込まれている。例えば、客室のベッドサイドにあるU字型のライトはかんざしがモデル。


エレベーターの内部を飾る山のイラストは、聞けば山梨の山脈を描いたものらしい。ホテルの前を通るのが甲州街道だから。深い。聞かなきゃわからない。




また、ホテルの顔ともいえる玄関を入ったところにある大きな絵。


画面を埋め尽くすたくさんの文字は、このホテルに関わっているスタッフ全員の名前だそう。

このホテルに限らず、一つ一つのアートやデザインの裏側にあるこだわりやストーリーは、スタッフに聞いてみて初めて分かることもあるので、ちょっと気になったら尋ねてみると面白い話が聞けるかもしれない。

本当だったら、この夏はたくさんの外国人観光客がやってきていたはずの東京。それに合わせていた新規ホテルのオープンも多い。当然、外国人に向けた日本らしさのアピールも意識されているが、ちょっと前までの、日本人から見ると白けてしまう押し出しは減り、洗練された和のアレンジを目にすることが増えた。

今だから、あえて身近な都市で旅人の気分を体験するのが面白い。新たな発見がきっとある。

2020年9月23日水曜日

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

 「上野」「美術館」「名作」「巨匠」「日本初公開」といったキーワードを見るだけで、反射的に「長蛇の列」「大混雑」という図式が頭に浮かぶ私は、上野で開催される大型美術展には興味を惹かれても「本場に見に行くからいいや」と避けることがあった。しかし、国立西洋美術館で現在開催中の「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」は、本場で見るからと当分言えそうにない今、行くしかなかった。


「ゴッホ、フェルメール、ベラスケス、ターナー… 奇跡の初来日」と、大混雑要素満載なキャッチコピーに警戒して出かけたが、日時指定制を取ってくれたおかげでだいぶ快適に鑑賞できた。コロナ以降、多くの美術館が事前予約のシステムを採用したが、これは以前から早くそうなってほしいと思っていた。もちろん、その時の気分でふらっと行きたくなることもあるが、空きがあれば直前でもオンライン購入できれば問題ないし、逆に売り切れていればそれは混雑しているということだから、避けられるのもありがたい。

展示内容は、イタリア・ルネサンスから始まり、レンブラントやフェルメールを含む17世紀のオランダ絵画、イギリスの肖像画や風景画などを経て、印象派などフランスの近代美術まで時代を追って見せる。15世紀以降のヨーロッパの美術史の流れを紹介すると同時に、ナショナル・ギャラリーがそれらの作品を所蔵するに至った経緯にも触れた大変頭に入りやすい展示で、作品も一流のものばかりだった。作品選定と展示構成の力によるもので、ただナショナル・ギャラリーに行って作品を個別に見ただけではできなかったであろう発見も多かった。

第一、考えてみればロンドン・ナショナル・ギャラリーには去年の12月にも行ったのに、ダ・ヴィンチの企画展を見ただけで、それ以外のコレクションは全く見ずに帰ってきてしまった(何をしてるんだか)。

国立西洋美術館はこの展覧会が終わった後の10月19日から1年半休館して、前庭をル・コルビュジェが設計した当初の形に戻すらしい。それも楽しみ。

その頃の世の中は、どうなっているだろう。


2020年9月17日木曜日

東京で雲海を見る

ホテル椿山荘東京で10月1日から始まる「東京雲海」のお披露目に伺った。

最初に聞いたときは、「都心で雲海?」と、どんな風に見えるのか想像がつかなかった。ちょっとわくわくしながら伺った日没後。ライトアップされた庭園に、三重塔が浮かび上がる。東京にありながらこの庭園のスケール、改めて圧倒される。何でも景勝地としての歴史は南北朝時代(14世紀!)に遡り、明治時代に山縣有朋が購入して庭園を造ったのだそう。造園は彼の郷里である山口県萩の地形をイメージしたのではと言われている。三重塔は、その後大正時代に追加され、東京大空襲でも奇跡的に消失を免れた。

見ていると、斜面から白い霧が噴き出してきて、眼下に雲海が広がった。

照明で少し色づいた雲海がちょっと幻想的。伝統的な庭園の美に無理やり現代的なものをぶつけるのではなく、うまく調和している。

最先端のノズルテクノロジーによって(どう最先端なのか見当もつかないが)、効率的にミストを発生させているとのこと。ミストは庭園の斜面を滑るように降りていき、低いところで広がり、自然に消えていく。

雲海をバックにした和太鼓グループ「彩」の演奏も絵になった。

この雲海は朝と昼間も定期的に発生させるとのこと。雲海を眺めながら朝食もとれる。本物の雲海を見に行くのは遠くても、東京で気軽に体験できる雲海は、新名所になるかも?




2020年9月4日金曜日

泥絵に見る江戸の風景

丸の内のインターメディアテクへ「遠見の書割 ポラックコレクションの泥絵に見る『江戸』の景観」展を見に行った。

インターメディアテクは商業ビル内にありながら、土器から大型絶滅鳥の骨格標本まで、膨大な数の学術標本が展示された真面目な博物館。展示室のレトロなデザインが独特の不思議な雰囲気を醸し出す。隅から隅までじっくり見れば一日つぶせそうだが、それはまたにする。

さて、今回見た泥絵は、江戸時代後期に江戸などの風景を描いた洋風画の数々。安い土産物として売られ、長い間それ以上の芸術的評価がされることはなかったらしい。

泥絵の特徴とされる画面全体のブルーは、ベロ藍と呼ばれた舶来の化学染料が使われた。全体にぺたんと塗られた不透明な青は、抜けるような青空なのか、どよんとした薄曇りなのか、ときにはっきりしない。

旅人が持ち帰る都市の景観画としては、ヨーロッパのヴェドゥータと同じような役割だったのではと思うが、ヴェドゥータはカナレットのような芸術家が世界に名を残しているのに対して、泥絵で名を残した作者はほとんどいない。確かに緻密さの点では、ヴェドゥータと泥絵は比べ物にならない。逆に言えば、泥絵は簡略化した絵でうまく土地の雰囲気を伝えていて、見た人にそこに行きたいと思わせることより、実際に行った人の旅の想い出を引き出すにはちょうどいい加減だったのかもしれない。

旅先で見た風景を想い出に持ち帰りたいという思いは、今も昔も変わらない。写真がなかった時代はこうした風景画が頼りだったし、今でも、自分で撮った写真とは別に絵はがき(写真はがき)を求める人は多い。でも時々、写真をたくさん撮っただけで風景を記憶したような気になっていることもある。(そしてちょっと昔の写真を見て、「あれ、こんなとこ行ったっけ?」となる。)

旅の記憶は外付けハードディスクに頼り過ぎてはいけないと、常々思っている。天気さえはっきりしない泥絵を見て、自分がそこに立っていた時のことを鮮やかに思い出すことができた江戸の人々を見倣いたい。