2018年5月2日水曜日

豊島美術館

「とにかく、行けばわかるから。」

瀬戸内海の豊島(てしま)の話をしていたとき、ある人が言った。
あの辺りの島の中で、最もアートを感じられる場所だ、と。

岡山の宇野港から豊島行きのフェリーに乗る。先に出た直島行きのフェリーに比べて乗客の数はだいぶ少ないが、共通していたのは、外国人観光客がほとんどだったこと。10年ほど前に直島に来たときは日本人ばかりだったと記憶しているが、いまや直島をはじめとする瀬戸内海の島々は、「art islands」としての地位を確立し、世界中からアートファンが訪れる。

約20分で豊島に着くと、そんなインターナショナルさはかけらも感じさせない、のんびりした田舎の島だった。意外とアップダウンがある道を、レンタサイクルの外国人たちが走っている以外は。

田園風景が続く通り沿いを進むと、「美術館前」のバス停看板が突然現れ、しかし、どこにも建物が見えない。少し回り込むと、緑の中に浮かぶ白い曲線の建物がふたつ。


豊島美術館は、建物の中に作品が展示されているのではなく、建物と空間そのものが作品になっている。内藤礼の「母型」という作品で、建築は西沢立衛。天井が空いているほうがアートスペースで、もう一つはカフェ&ショップの建物だった。

アートスペースに入る前に靴を脱ぎ、係の人から説明を受ける。中では写真撮影禁止、話し声は控えめに。

そして、繭玉のような建物に入る。
上から下まで白い空間と、天井に空いた二つの大きな穴。
ひんやりしたコンクリートの床には、水がどこからか湧き出てきて、傾斜に沿って、まるで生きたトカゲのように細くゆっくり走っていく。

白い建物と空と光が一体化した中で、言葉で表現するのが難しい幻想と感動に包まれる。

ああ、なるほど。
これは来てみないとわからない。

宗教に依らない安らぎの空間とでも言おうか。
他の鑑賞者たちも皆、静かに、うっとりしたように、その場を楽しんでいる。

普段、美術館が大した理由もなく写真撮影を禁じるのは好きではないが、豊島美術館が写真撮影をさせないことは納得できる。誰でもこの美しい瞬間をカメラに収めたいと思うはずだが、撮ることに気を取られてしまったら、この空間と鑑賞者との繋がりはきっと薄れる(シャッター音があちこちで鳴り響くことが好ましくないことも当然として)。

白の余韻を背負ったまま美術館を後にすると、隣の棚田では、黄色の菜の花が満開。


豊島の良さは、とにかく、行けばわかる。
行かないと、わからない。