2026年9月2日水曜日

大山崎山荘美術館

京都駅からJRで約15分の山崎に、「アサヒグループ大山崎山荘美術館」がある。

京都駅まで乗ったタクシーの運転手さんに山崎に行くと言ったら、「サントリーですか?いいですね」と言われ、飲料メーカー名が一瞬ごっちゃになって「ええ、そうです」と答えそうになったが、あちらは超人気のウィスキー工場。最初から山崎に酒造メーカーが集まっていたわけではなく、美術館は元々、実業家の加賀正太郎の別荘として建てられた。その加賀が、現在のサントリー山崎蒸留所の初代所長だった竹鶴政孝(「マッサン」のモデルになった人)が北海道でニッカウヰスキーを興した際に参画して筆頭株主になり、後年その株式をアサヒビール初代社長・山本爲三郎に託したことが今の美術館につながっている。山崎の水とウィスキーが繋いだ縁

山崎駅からはシャトルバスが運行している。Googleマップでは徒歩13分。「歩けるじゃん」と思うかもしれないが、目的地は「山荘」だということを忘れてはいけない。駅から美術館まではずーっと上り坂。体力に自信がある人以外は迷わずシャトルに乗りましょう。シャトルに乗っても、降車するトンネル前から建物までの300mほどの上り坂は歩くしかない(これで十分だと思った)。

坂を上り切ったところの門を抜けるとクラシックな英国風の本館が見える。京都の中心部と比べたら決してアクセスがいいとは言えない美術館に、平日の午前中から幅広い年齢層の人が大勢訪れていた。100年以上前に建てられた山荘は、取り壊しの危機を乗り越え1996年に美術館として再生された。建物内はヨーロッパの小洒落た山小屋を思わせ、テラスからは当時とそれほど変わっていないであろう自然の風景を臨める。定時に演奏される2階の大きなオルゴールは、客人をもてなす贅沢な娯楽だったのだろう。

今年2026年は開館30周年に当たり、記念の企画展が二つ開催されている。ひとつは「共鳴 河井寛次郎×濱田庄司」。もう一つは「クロード・モネ展」。同館の2大主要コレクションの民藝とモネを展示している。

民藝は前述の山本が支援していたため多数の作品があり、今回も200点以上が本館を中心に展示されている。時代も重なる木造の山荘と陶芸作品は相性が良い。実際にここで使用されていたわけではなくても、日常の中での器の姿が想像できた。

モネは「地中館」という別館にある。一目でわかる安藤忠雄建築。ガラスの回廊のコンクリートの階段を半地下の展示室へ降りていく。所蔵するモネ作品全8点が2期に分けて6点ずつ、円形の展示室の壁にぐるりと展示される。美術館が所蔵する5点の睡蓮のうち4点は、モネがのちのオランジェリー美術館の睡蓮につながる「大装飾画」の構想を練っていた頃に制作されたもの。1辺が2メートルの大型の作品もあった。

鑑賞後は庭園も一回り。モネの絵とはだいぶ雰囲気が違うが、睡蓮が咲く池もある。

ちょっとした遠足気分の美術館だった。必ず歩きやすい靴で!



2026年8月20日木曜日

「杉本博司 絶滅写真」展

東京国立近代美術館で開催中の「杉本博司 絶滅写真」展を見た。約60点の銀塩写真がほの暗い照明の下に展示され、瞑想のような鑑賞体験だった。

初期の作品から最新作までの中で、特に印象に残ったシリーズについて。

まずは「海景」。湾曲した壁の展示室は、オランジェリー美術館のモネの睡蓮の部屋を思わせる。ここでは一枚の大きな絵ではなく、複数の海景が並ぶが、すべて同じ構図で水平線の位置が揃っているせいか、ひと続きの海のように感じる。そもそも海は続いているのだから当然かもと思いながら近づくと、青色が排除されたモノトーンの海はそれぞれ質感が違う。シルクのような海もあれば、金属のような海も。


「劇場」は一瞬を捉えたスチル写真のシリーズだと思っていたが、映画を一本上映する間、ずっとシャッターを開いて撮影したものだと今更ながら知った。写真ではスクリーンは白く光って見えるだけで、何が上映されていたのかわからないが、そこに物語と時間が凝縮されているなら、それ自体が化石のようだと思う。

全体に静謐という言葉がぴったりな展示空間は無駄話など許されない雰囲気もありつつ、作品に添えられた杉本氏の短歌や狂歌には、時に駄洒落も混じっていたりしてクスリとさせられる。

マダム・タッソー蝋人形館で撮影された「肖像」シリーズも、昭和天皇、ダイアナ妃など、そのリアルさに驚く。元の蝋人形がかなり精巧にできているにしても、カメラを通して増幅する「生身」感。本物って何?

サテライト展示として、東京国立近代美術館所蔵の全杉本作品と「スギモトノート」が所蔵品ギャラリーで見られるので、そちらもお忘れなく。

「絶滅写真」の英語タイトルは「Extinction」のみ。何が絶滅して、何が残るのか。人類が絶滅しても、海はあのままあり続けるんだろうか、などと静かに思いを巡らせた。


2026年8月13日木曜日

「ピカソ meets ポール・スミス」展

ピカソの展覧会は常に世界のどこかで開催されていると思うが、国立新美術館で開催中の「ピカソ meets ポール・スミス」展は、どんなピカソ展よりカラフルでお洒落だった。

ポール・スミスが会場の装飾を手掛けるという、ちょっと意表をついた設定のこの展覧会は、パリ国立ピカソ美術館で2023年に開催された没後50周年記念展の巡回展。その時のタイトルは「Picasso in a New Light」。時系列に沿って時代ごと題材ごとに展示する美術展のオーソドックスな方法を遵守しつつ、スミス自身が当時のインタビューで語っていたように、「決して立ち止まることなく、革新的でクリエイティブで、常に実験をしていた男を、ありきたりではない方法で見せる」ことがテーマだった。


今回の東京での展示も確かにありきたりではない。目を奪うポップなビジュアルは、展示されたピカソの作品とその時代の特徴を直感的に解説する役割を果たしている。例えば、青の時代は青い部屋、闘牛は赤い部屋、コラージュは壁紙を張り合わせた部屋、といったように、すごくわかりやすい!

ピカソがファッション誌の写真に落書き(?)した作品は、部屋一面がVogueの表紙で埋め尽くされた「Vogue部屋」に展示されている。1950年代の最先端ファッションと、ピカソが手を加えて生まれたグロテスクさの融合が面白い。


全作品写真撮影OKの会場で最も人気だったのは「アルルカンに扮したパウロ」のコーナー。画中のパウロの衣装と同じブルーとイエローの柄の壁(と人だかり)は、遠くからでも目を引く。




16の部屋に分かれた会場を進むごとに違う風景が現れ、あっという間に最後の部屋。締めくくりは、生前に開催されたピカソの展覧会の膨大な数のポスターだった。まさに立ち止まることがなかった芸術家の70年間の驚異の軌跡。


この展覧会は二人のアーティストの時を超えたコラボレーションでもあり、ピカソへの愛に溢れたオマージュでもある。心地よい余韻ある展示だった。


2026年3月19日木曜日

鬼仔巷(Kwai Chai Hong)

ちょっと前にクアラルンプールに行ったとき、面白そうなアートスポットを検索して「鬼仔巷」(クワイ・チャイ・ホン)を見つけた。それはチャイナタウンの小さな横丁で、ノスタルジックで魅力的な壁画に彩られている。描かれているのは1960年代、最盛期だった頃のチャイナタウンの日常。

ここは自然発生したわけではなく、チャイナタウンの再活性化プロジェクトの一環として2019年にオープンした。なので横丁とはいえ営業時間が9:00から24:00と決まっている。見学は無料。写真映えスポットとしても知られ、撮影を楽しむ観光客で賑わう。



クワイ・チャイ・ホンとは、「鬼っ子のちまた」という漢字から連想される通り、この辺りで走り回っていた子供たちにちなんだ名前らしい。


KLの強い日差しの下、木陰で涼を取りながら仕事する包丁研ぎの絵も人気。


夜の街としてのチャイナタウンを象徴する「Lady of the Night」が手に持つスカーフは実物で、風に揺れて手招きする。


階段を上ったテラスには最大の壁画がある。縄跳びで遊ぶ子供たちや洗濯物を干す女性といった人々の暮らしが活き活きと描かれている。



ハサミを持つ床屋さんの前に置かれた椅子に座ると、ヘアカットしてもらっている写真が撮れる! 


昔の日常というテーマも、緻密に描かれた細部、そして絵の中に入ったかのような写真が撮れる仕掛けも、もっと以前からシンガポールで壁画を描いてるYip Yew Chongさんの影響を思わせる。クワイ・チャイ・ホンの壁画は複数のローカルアーティストが描いているが、全体がキュレーションされ、テイストも統一されている。同じチャイナタウンでも、自分が描く欲求を優先したようなストリートアートも多いが、クワイ・チャイ・ホンのアートは、丁寧に人に見せること、人に伝えることを目的としている。そこが落書きと壁画の違いだと思う。

クワイ・チャイ・ホンは小さな横丁なので見学に時間はかからないが、それぞれの絵の脇にあるQRコードを読み込むと、絵の音声にアクセスできるので、あとでそれを見ても楽しい。

横丁を出て歩くと目に入った「妾」というポップな看板。いったい何屋なんだろうと気になりながらチャイナタウンを後にした。





2025年11月23日日曜日

Foujitaを見に軽井沢へ

軽井沢安東美術館は藤田嗣治の作品約300点を所蔵し、藤田作品だけを展示している個人ミュージアム。軽井沢駅から徒歩10分弱なので、東京から新幹線で日帰りもできる。


現在開催中の企画展「藤田嗣治からレオナール・フジタへ -祈りの道-」では、フランスのランス美術館のコレクションから日本初公開作品を含む40点以上の作品が来日。藤田がフランスに帰化した後、1959年にキリスト教の洗礼を受けカトリック教徒となった以降の作品を中心に展示している。ランス美術館は改修のため休館中なので、二つの美術館のコレクションを合わせた展示を見られるのは今しかないかもしれない。

目玉のひとつは「聖母子」。藤田がレオナール・フジタの洗礼名を受けて最初に制作し、ランス大聖堂に献納した作品で、サインは洗礼を受けた日付になっている。


藤田が日本国籍を捨ててフランスに帰化した当時、日本の新聞は「藤田が日本を捨てた」と報道した。しかし藤田としては、日本のほうが自分を捨てたと思っていた。

1920年代にパリのアート界を席巻した藤田は、その後日本に戻り、日中戦争では従軍画家として、第二次世界大戦では陸軍美術協会理事長として戦争画を描いた。国のために尽力した藤田だったが、敗戦後には「戦争協力者」のレッテルを張られ、手のひらを返した美術界からも糾弾された。形勢が変わると正義は簡単に変わる。藤田の胸中は察して余りある。そんな日本に嫌気がさして再渡仏した藤田は、宗教画に傾倒していく。

展示のもう一つの目玉は、やはりランスにあり、藤田が最晩年に全エネルギーを注いだシャペル・フジタ(フジタ礼拝堂)のフレスコ画の再現。その建設のためのデッサンも展示されている。本家のフジタ礼拝堂は5月から9月のみのオープンで、時期を選んで行かないと見られない。


またこのフレスコ画の下絵(といってもほぼ完成版に近い)は、パリ郊外のヴィリエ・ル・バクルにある藤田の元住居兼アトリエの「メゾン・アトリエ・フジタ」で見ることができるが、ここも現在閉館中。

ということで、現在見られないフランスの藤田作品が軽井沢に集結しているといっても言い過ぎではない。何気なくやっている展覧会のようで実はすごい。

コレクションルームでは藤田のトレードマークとも言える乳白色の肌の女性、猫、少女を描いた作品の他、モディリアーニの影響を受けた初期の作品など、幅広い作品が見られる。

個人宅をイメージした内装は温かみがあり、化粧室の壁紙さえ素敵だった。ゆっくり鑑賞した後は、併設されたハリオ・カフェでランチかお茶をしてから帰るのがお勧め。

ランス美術館のほうは2027年にリニューアルオープンの予定で、藤田作品だけを展示するギャラリーもできる。その前に軽井沢を訪れておくと、点が線でつながるように理解が深まるかもしれない。(現在の企画展は2026年1月4日まで。)



2025年11月3日月曜日

イサム・ノグチ庭園美術館と、デザインの街・高松

先日、香川県高松市にあるイサム・ノグチ庭園美術館を訪れた。

ニューヨークと日本を行き来していたノグチが日本の拠点としていたアトリエ兼住居で、高級石材の庵治石の産地として知られる牟礼(むれ)町にある。美術館の周りの石材業者の敷地にも立派な石が並び、美術館の一部かと見紛う。


見学は事前予約制。20人くらいのグループに分かれて案内される。見学箇所は大きく3か所で、ノグチの住居だった「イサム家」とそれに隣接した彫刻庭園、「あかり」が展示された資料館、そして「マル」と呼ばれる円形の石壁に囲まれた作業場と展示蔵を順に廻る。

ノグチと高松を結んだのは香川出身の画家・猪熊弦一郎。中学の後輩だった当時の金子正則香川県知事にノグチを紹介した。ノグチがこの土地にほれ込んだ理由は、ここで取れる庵治石より、むしろ石工たちの技術の高さだったらしい。実際、ノグチがここで制作した彫刻は、庵治石よりも海外など他の土地から取り寄せた石で作られたものが多い。

空の青さや自然の美しさにもノグチは惹かれたのだろう。彼が残した彫刻が並ぶ作業場は周囲の借景と見事にマッチして、ノグチの美意識に溢れている。ああ、美しいな、ここで作品制作をしていたノグチは幸せだったんだろうな、と思えた。しかしこの美術館は残念なことに受付の建物以外は写真撮影禁止。こんなにきれいなのにもどかしい! でも、彼の美へのこだわりを全身で感じられた体験だった。(一方、ニューヨークのイサム・ノグチ庭園美術館は写真撮影ウェルカムらしい。) 


さて、高松の見どころはイサム・ノグチだけではない。前述の金子前知事は「デザイン知事」とも呼ばれ、彼のイニシアティブで香川は「アート県」の地位を確立していった。

猪熊氏と金子氏を中心として、香川でイサム・ノグチ、谷口吉生、流政之などを含むアーティストネットワークが形成されたというのも興味深い。そういう点で高松は当時、東京や京都よりも進んだ文化都市だったのだろう。

代表的な例は1953年竣工の香川県庁舎東館。丹下健三のモダニズム建築を、猪熊弦一郎の陶板壁画「和敬清寂」が飾る。ロビーのベンチは今や有名な家具メーカーの桜製作所が手掛けた。




更に遡ること300年。高松藩主・松平家が100年かけて完成させた栗林公園にも美が結集している。ここにデザイン・マインドの原点となるDNAがあったのかもしれない。ちなみに栗林というのは名ばかりで、実際は1000本の松の木が幅を利かせている。


2027年にはマンダリン・オリエンタル高松のオープンも予定されている。ますます高松から目が離せないが、ゆっくり観光するなら今のうちかもしれない。



2025年9月28日日曜日

Happy 60th Birthday, Singapore!

今年はシンガポール建国60周年。8月9日の「ナショナル・デー」を中心に、パレードや花火など様々なお祝いイベントで盛り上がっている。その一環としてマリーナベイのOne Fullretonには、アーティスト Yip Yew Chong氏のインスタレーション「Postcard Stories」が9月末まで設置されている。

同氏は古き良きシンガポールを描いたノスタルジックで細密な壁画で知られ、作品は街中のあちこちで見られる。もともと平面の壁画だけでも立体的に見せる技術を持つ人だが、今回は全長32mの壁画に椅子やテーブルなど小道具をプラスし、まさに昔の絵葉書のようなシンガポールを再現している。


7月初めに立ち寄った際は、2週間後の完成に向けて制作を始めたところだった。Yipさんの制作風景を見られたのは収穫だったが、まだ下絵も全体の半分くらいしかできていなかった。



出来上がった作品からは当時の雰囲気や音、匂いまで伝わってきそう。

1980年代の「Change Alley」という通りには土産物店や両替商が並び、港に降り立つ旅行者を迎えていた。眼光鋭い両替商のおじさんの表情に、だまされないようきちんとお金を数えなきゃ、という緊張感を思い出す。

人が絵に溶け込んだかのような写真を撮れるのがYipさんの作品の特徴。ここも記念写真を撮る人がひっきりなしで、特に猫と一緒にボートに乗る構図が大人気だった。

下の写真は1920年代から90年代まで存在していた郵便局を再現したコーナー。現在、その建物はフラトン・ホテルになっている。

真ん中のカウンターには、シンガポールに宛てたバースデーカードがあった。こういうディテールにシンガポールへの愛を感じる。Happy 60th Birthday, Singapore!