2021年4月17日土曜日

日常の中の芸術

家からそう遠くないところに「東京しごとセンター」という東京都の施設がある。その前を通るたびに、すべすべした感触が見ただけで伝わってくる、滑らかなラインの大きな石の彫刻を心地よく見ていた。しょっちゅう通る場所なので、それは私の日常の一部となっていた。

ある日、たまたま見たスペインのカナリア諸島の映像で、現地に日本人アーティストの屋外彫刻があることを知った。それは、いつも通る近所のすべすべ石のすぐ後ろにある白いゲート型の作品とよく似ていた。

「あれ?もしかして」 調べてみると、近所にあったその彫刻も、カナリア諸島の彫刻と同じ安田侃(やすだ かん)の作品だと初めてわかった。安田氏は北海道出身で、イタリアをベースに活動している著名な彫刻家。東京ミッドタウンや直島など日本全国各地だけでなく、様々な外国にも作品が飾られている。

近所のすべすべ石と白いゲートは二つとも安田氏のもので、セットで「生思有感」という作品だった。


なんと。これまでずっと知らずにいたのが、なんだかもったいない! ということは、しごとセンターにある他の彫刻も、やはり著名なアーティストの手によるものなのでは…?

もう一つ、金属の球体から空に向かってラインが躍る彫刻も、なかなか素敵だと思っていた。

改めて行ってみて、作家や作品名の表示を探したが、ない(私が見落としているのかもしれないが、その気になって探している人が見つけられないなら、ないも同然)。東京しごとセンターのウェブサイトにも一切情報がない。直接聞いてみようと初めて建物に入ると、入口の吹き抜けの天井にもなんだかすごそうなオブジェがある。この施設は2004年にできたそうだが、当時の東京都には結構潤沢な予算があったのだろうか。

インフォメーションカウンターに座っていらしたおじさんに、「外の彫刻の作者と作品名を知りたいんですが」と聞くと、そんな質問は想定外だったに違いないおじさんは、一瞬キョトンとした後、にこやかに「ああ、どこかに書いてあったかな…」と、卓上にあった書類を少し探してくれたが、「ありませんねえ、ごめんなさい」と言った。

帰ってホームページから問い合わせてみたところ、翌朝には広報担当の方からお返事があった。

前述の金属の彫刻は、伊藤隆道氏の作品「ひかり・空中に」とのこと。資生堂のショーウィンドーデザインを長く手掛け、動く彫刻でも第一人者とも呼ばれる人。ひょっとしてこの作品も動くのだろうか?一度も見たことないが、動いてもおかしくなさそうな雰囲気ではある。

建物内の吹き抜けのオブジェは、多田美波氏の「躍」。故人だが、光を反射するステンレスなどの金属やガラスの作品を多く手掛けた女性彫刻家だった。

もう一つ、他の作品に比べるとあまり目立たないが、正面玄関に向かって左側には堀内正和氏の「曲と直」がある。20世紀の彫刻家で、日本の抽象彫刻の先駆者とされる。

こんなに身近にあったアートスポット。その価値をよく知らずに日常の一部になっていたのは贅沢というべきか。パブリックアートは、必ずしも作家や作品名を知ってもらうことが目的ではないし、見た人がいいと思えばそれでいいし、何も知らない住民の日常に溶け込んでいたほうがむしろ意図に沿っているのかもしれない。でも、少しの情報発信があれば、必要な人には届き、結果として作品がもっと生きるのではないかと思った。

私はここを通るのが、以前よりも少しだけ楽しみになるだろう。


2021年4月2日金曜日

肥後細川庭園

春の晴れた日、肥後細川庭園へ。椿山荘や東京カテドラルのすぐ近く。

幕末に肥後熊本の細川家の下屋敷があったところで、大きな池を中心とした典型的な池泉回遊式庭園。戦後は都の土地となり、「新江戸川公園」という、残念ながら庭園の個性が全く想像できない平凡な名前で呼ばれていたが、4年前の2017年春に今の名称になったそう(良かった)。現在は文京区の管理下にあり、無料で公開されていることに懐の深さを感じる。



隣の神田川沿いの桜並木はもうピークを越えていたが、庭園の門を入ると小さな花々が咲き、新緑が美しい。立派な池に映る風景を見て、やはりここは公園ではなく、庭園と呼ぶのがふさわしいと思う。

遊歩道に沿って、池の周りの山を模した斜面を少しだけ上がってみると、台地の湧き水の小さな滝もいくつかあり、郊外の自然の中を歩いているような気分になれる。ふと、どこにいるのかを忘れそうになった。

お勧めは、細川家の学問所だった建物「松聲閣(しょうせいかく)」の2階からの眺め。向うの方にビルが見える以外は、明治時代から変わらぬ庭園全体の風景が見渡せる。

ちょっとしたパワースポットかも?と感じた都内のオアシス。


2021年3月20日土曜日

「Louis Vuitton &」展

3月19日に開幕した「Louis Vuitton &」展。原宿駅からすぐのスペースが、LV一色になっている。


ルイ・ヴィトンとアーティストとのコラボレーションの事例を通じて、ブランドの歴史と世界観を表した展示で、ヴィトンユーザーでなくても行く価値があるアート展。初日の最初の回を見に行った。日時予約制なので混雑もない。


ブランド初期から現代までのアイコニックなプロダクトの数々が、部屋を追ってジャンルごとに展示されている。ヴィトンとアーティストとのコラボは、村上隆あたりからなんとなーく記憶していたが、そんな浅い歴史ではなくアールデコの頃からすでに始まっていた。ヴィトンは早くから時代を取り込んできたことがわかる。ヴィトンが誰とコラボしたかを知ることは、各時代を代表するアーティストが誰だったかを振り返ることにもなり、社会とアートのヒストリーという点でも興味深い。

ザハ・ハティドのモノグラムバッグ

展示の最後のほうの「デジタリー・イン・モーション」は、インタラクティブな遊びのスペース。人が前に立つと、その動きに合わせてグラフィティが映し出される。歌舞伎とモノグラムの競演も楽しい。

しかしやはり印象に残るのは、100年以上前に素敵な旅のためのラゲッジを徹底的に追及していたその精神。折り畳みベッドを収めた1898年の「ベッド・トランク」や、洋服をたたまずにかけられるキャビネットなど、これを持って旅に出られた当時の人たちはどんなに心が躍ったことだろう。もちろん、今の時代には実用的ではないものばかりだが、一部の人たちが享受したこうした「荷造りの楽しみ」は、万人がほぼ同じような荷物で旅行に出かける現代では失われていると思う。

奥がベッド・トランク

どこか遠くへ旅行したいなー、という気分になって展示会場を出ると、特設ギフトショップがある。ここだけの限定商品や、先行販売の新作もあるそう。春らしいカラーに満ちたポップな内装がかわいく、見ていてワクワクする。そして思わず欲しくなる。

見事にヴィトンの世界に取り込まれたイベントだった。

表参道の神殿

表参道にある杉本博司さんのオブジェ。空間全体のデザインが「究竟頂(くっきょうちょう」という。

「究竟頂」とは金閣寺の最上階の三層の呼び名だそうで、天上界、極楽浄土を意味するらしい。もうできて7、8年になる商業ビルの中にあるが、お店が並ぶ通路ではないため、あまり気づかれていないと思う。人も少なく、神殿のような、教会のような、厳かな雰囲気の異空間。

ちょっとペースをリセットしたいときに立ち寄りたい場所。


2021年2月26日金曜日

フランク・ロイド・ライトの自由学園明日館

「自由学園 明日館(みょうにちかん)」は、日本に残るフランク・ロイド・ライトの4つの建築のうちのひとつ。

池袋駅から静かな住宅街の細い路地を5分ほど歩くと、堂々とした建物が現れる。

今からちょうど100年前の大正10年(1921年)に建てられた自由学園明日館は、最初の13年間だけ女学校の校舎として使われた。その後、1990年代に老朽化による取り壊しの危機を乗り越え、重要文化財に指定された今は見学者も受け入れ、「動態保存」の形で運営されている。

当初、学園の創立者夫妻が建築家の遠藤新に設計を依頼したところ、帝国ホテルの設計で来日中だったライトのアシスタントをしていた彼が、いっそライト先生にお願いしては?と提案し、実現したとのこと。歴史は得てして偶然のつながりで生まれる。

内部は建物の歴史や各部屋のエピソードの説明を読みながら自由に見学できる。木や石を多用した建物全体にライトらしい幾何学的装飾が施され、日本の同時代の他の洋館が持つ「レトロさ」とは少し違う「本格的モダンさ」を感じる。

当時は教室に照明はなく、窓からの自然光だけで授業をしていたそう。雨の日はかなり暗かったらしい。

椅子も見どころのひとつ。1階中央の大ホールに置かれた六角形の背もたれのお洒落な椅子は、遠藤またはライトがデザインしたとされる。


大ホールの壁のフレスコ画は創立10周年の1931年に制作されたもの。割烹着姿の女学生たちの制作風景の写真があった。フレスコ画を選んだことも珍しかったのではと思うが、その後上塗りされてしまったのが建物の保存修理の際に発見され、修復に至ったいう経緯にも、有名絵画のようなドラマを感じる。


2階の食堂にも遠藤がデザインした椅子がある。こんな素敵な環境でお昼を食べていた100年前の学生たち…。


食堂から少し階段を上がった大ホールを見下ろす位置にあるミニミュージアムには、建物の模型や、ライトの米国の他の作品の写真も展示されている。



道を隔てた向かいには遠藤新の設計による講堂もあり、こちらも見学ができる。


建物の美しさだけでなく、創業者の教育理念や、当時の学びの場としての豊かさも垣間見ることができる素晴らしい文化財だった。


2021年2月24日水曜日

帝釈天で彫刻鑑賞

「彫刻の寺」とも呼ばれる柴又の帝釈天の境内は数多くの彫刻で飾られている。中でも「彫刻ギャラリー」は必ず見学したい場所。


彫刻ギャラリーの目玉は「法華経説話彫刻」という10枚組の木彫り。大正から昭和にかけて制作された欅の厚板の胴羽目彫刻が、帝釈堂の建物の三方を取り囲む。東京の10人の彫刻家の競作で、いずれも劣らぬ力作揃い。それぞれが物語の一場面を細かにそして立体的に表現し、20センチという板の厚さ以上に奥行きを感じさせる。


彩色されていないのに、今にも動き出しそうな臨場感と躍動感。繊細な花の質感もリアルだった。その緻密な彫りの技量にただただ感動。


この胴羽目彫刻は、もともと横山大観の「群猿遊戯図」が彫られる予定だったのが、何かの理由で変更になったらしい。大観による下絵とされるものが大客殿に飾られている。果たしてこちらが実現していたら、だいぶ違った感じだったんだろうと想像する。


この大客殿と庭園の「邃渓園(すいけいえん)」は、彫刻ギャラリーとセットで見学できる。大客殿から伸びる回廊を歩いてぐるりと庭園をめぐる。


平日で人も少ない庭園散策は、ちょっとしたオアシス。芸術と緑に触れてリフレッシュされた訪問だった。


柴又の山本亭と、ノスタルジックな町並み

葛飾の柴又へ。柴又といえば日本人にとっては寅さんの代名詞だが、それだけではない。ここには海外でも名高い日本庭園「山本亭」がある。

山本亭は「Sukiya Living」というアメリカの日本庭園専門誌のランキングで常に上位に入っているそうで、2020年の発表では4位だったことを告げる嬉しそうな張り紙が入口にあった(ちなみに18年連続1位は島根県の足立美術館)。

そう聞くと、何か鑑賞の心得をもって臨まなくてはならないような気になるが、そんなことは全くなく、素敵なレトロ邸宅として見に行くだけで十分楽しめる。実際、入館料も100円(2021年2月現在)でとても敷居が低い。


山本亭は大正末期から昭和初期に建てられた個人の邸宅。書院造をベースに西洋の要素を取り込んだ近代建築の母屋の前に伝統的な庭園が広がる。


庭園に沿って伸びる長い廊下には、当時流行りだった大きなガラス戸がはめ込まれ、明るい自然光が家全体に差し込む。間仕切りを取り払った広い和室に座り、ゆっくりお茶をいただきながら、窓枠を額縁に見立て静かに庭園を眺めるひと時を過ごすのがお勧め。


松の木の雪吊りの立派なこと。花が咲く春も美しいに違いない。



さて、山本亭ですっかり穏やかな満ち足りた気持ちになったところで、せっかくここまで来たのだから、やはり「寅さん記念館」にも行ってみたい。山本亭とのセット券も販売されていて、柴又駅方面からは山本亭の敷地を通ってアクセスできる。


行ってみてわかったのは、寅さん記念館は、寅さんファンでない人も、寅さんの映画を全く見たことがない人も楽しめる必見スポットだということ。特に縮小サイズで再現された昭和30年代の帝釈天参道の町並みの精巧さには目を見張った。店先の商品や張り紙から、縁日の屋台で売られている小さなお面のひとつひとつに至るまで、ディテールの再現にも一切手抜きがなく、見事!これは世界に誇れるレベルだと思う。

現在の帝釈天参道にも旧き良き時代の雰囲気を残す柴又は、2018年に都内で初めて国の「重要文化的景観」に選ばれたとのこと。優しく楽しいノスタルジーに満ちた町だった。