2012年12月11日火曜日

雲の上のシャンパン・ブレックファスト

早朝に乗るはずだったビルバオからフランクフルト行きの便が、ヨーロッパ各地の荒天のため欠航に。これで午前中の羽田行きには乗れない。
提示された最も早い代替便はヨーロッパ内で二回乗り継いで成田行きに接続する午後のデュッセルドルフ行き。それがその後ディレイになり、チケットカウンターで接続便を再度変更したら、今度はキャンセルになり…

ヨーロッパでもう一泊する羽目になりそうだったところを、さっき振り替えをしてくれたルフトハンザのチケットカウンターのお姉さんの機転で、奇跡的に、もう搭乗が始まっていた別のフランクフルト行きと、そこからの成田への直行便に振り替えてくれた。こちらから頼んだ訳ではないのに、デュッセルドルフ行きがキャンセルになったのを見て、とっさに変更し、ラウンジに電話してきてくれたのだ。
「今すぐ、搭乗ゲートに行って!」

搭乗券を持ってゲートにやって来た彼女は、私の荷物もちゃんと同じ飛行機に乗るよう、自分で確認してくれたと言う。
本当にありがとう、とお礼を言って別れ、機内へ。

もう、起きてから10時間くらい経っている。
飛行機が雲を抜け、水平飛行に入ってから、アテンダントの女性が申し訳なさそうにミールを配った。
「ビルバオのケータリングが、間違えて朝食を積んでしまいまして…」
午後3時過ぎ。
あはは、と笑った。
いいじゃない、ちょうどシャンパンもあるし、雲の上の、遅めのシャンパン・ブレックファスト。

私の一日はここから始まったことにしよう。



2012年12月10日月曜日

グッゲンハイム・ビルバオ

今朝、ビルバオに着いた。ここでの滞在は一日だけ。

ここに来てグッゲンハイム・ビルバオに行かない人はいないと思う。それほど、工業都市だったビルバオを今の観光都市に変容させる大きな役割を果たし、今でもビルバオのツーリズムを牽引し続けている存在。

私も今回はグッゲンハイム最優先だったので、ホテルは正面にあるGran Hotel Domine Bilbaoを選んだ。Museum of Fine Artsからも歩いて近いので、アート鑑賞には便利なホテル。

快晴の青空の下、グッゲンハイムの前に立つと、チタンの戦艦のようなフランク・ゲーリーの建築が太陽の光を浴びて輝く。中に入る前にこんなに圧倒される美術館は多くない。その前に座るのはカラフルな花で作られた巨大な子犬(巨大な犬じゃなく、子犬)。ジェフ・クーンズの作品。大人から子供まで、思わずシャッターを切りたくなる要素がある。
館内では曲線的な動線に導かれ作品を鑑賞する。開催中のエゴン・シーレの企画展も悪くなかったが、この建物で最もあるべき場所にあると思われるのは、リチャード・セラの常設展示。1階にあるが、2階から見るのが正解。この角度からセラの作品を見るのは初めてだった。もちろん1階で作品の中に入るのもいいけれど、この俯瞰は必見だと思う。

グッゲンハイム以外も、ビルバオは明るい日差しが似合う建物が多い。昔の建築物も、アールデコ調の近年の建物も、未来的なビルも。それぞれが、派手ではないが色彩を維持しているせいだろうか。朝の逆光も午後の斜光も、美しく見えた。

緑と河に囲まれたビルバオの街は、晴れた日に散歩するだけでも元気になれる何かがある。

2012年12月9日日曜日

サンセバスチャンのバル

スペイン・バスク地方のサンセバスチャンにやって来た。食の街として最近日本でも注目が高まってきている場所。東京の行きつけのスペインバルのシェフに聞いたところ、もともと料理人の間では、スペインに行くなら絶対に外せないデスティネーションなのだそうだ。

ビルバオから1時間の小さな港街に、ミシュランの星を獲得したレストランや、世界的に評価が高いレストランが何軒もあることが世界中の観光客を惹きつけている一番の理由だが、この街がすごいのはハイエンドからカジュアルまで、一貫して食のレベルが高いこと。

サンセバスチャンの一番の楽しみは、何と言ってもバル巡り。
何十軒ものバルが並ぶ旧市街の土曜日は、昼の12時半を過ぎたころから活気づき、夜中まで続く。たまたま今日はバスク地方のカトリックの祝日で、新市街は商店の多くが休みで静かだったが、旧市街は関係なく、地元の人と観光客で大にぎわいだった。サンセバスチャンの天気は変わりやすく、晴れていたかと思えば急にスコールのような激しい雨が降ったりするが、バルは雨宿りにも便利。

どのバルもカウンターに様々なピンチョス(タパス)がずらりと並ぶ。スペイン語がわからなくても指差して注文すればいいので、とっても観光客フレンドリー。飲み物はチャコリが定番。微発砲の度数低めの白ワイン。ピンチョス一つと飲み物一杯だけで次の店に行っても全く問題ない。気軽さと価格はファストフード並みでも、料理としての質ははるかに高い。

数あるバルの中で、今回、個人的に最も気に入ったのはZERUKO。
開店から30分もすると立つ場所を確保するのも大変なほど混む、人気の店。そのピンチョスは花をあしらいまるでケーキのようなものや、一見して材料がわからない分子料理と呼ばれるものなど、とにかく華やかでクリエイティブで、見ているだけで楽しい。食べて初めて材料がわかるもの、食べてもわからないものなど、想像力にちょっとした刺激にもなる。五感、または六感で楽しむ食が、この手軽さで。

近未来の食のトレンドかもしれない。


2012年12月7日金曜日

雪のオルリーにて

ヨーロッパ各地の例に漏れず、パリも今朝は雪。早朝にホテルを出て、ニースからパリまでは何とか辿り着いたものの、そこからのフライトがキャンセルに。仕方なく、Paulが何軒も並ぶオルリー空港内で半日を過ごした。もう日差しが出てきているのが、嬉しいような、悔しいような。

昨日まで、毎年恒例のILTM(International Luxury Travel Market)に参加するためカンヌにいた。南仏のカンヌが例年になく寒かったのは寒波の影響に違いない。日中でさえ東京並みの寒さだった。明るい太陽とダジュールブルーと呼ばれる海の色が暖かな気分にさせてくれたけど、少し外にいれば、気分だけだと気づく。

ニースからスペインのバスク地方へは直行便がなく、三角形の二辺を通るような形でパリ経由のビアリッツ行きを予約していた。ほとんど所要時間が変わらないリヨン経由にしていればここで足止めを食うこともなかったのかもしれないが、ま、何があるかわからない。

そう思っていたところでインターネットを見たら、日本の地震のニュース。東京でもかなり揺れたらしい。自分も東京にいたら昨年の地震を思い出して緊張しただろうか。もし、地震を経験したことがない外国人旅行者の立場だったら、などと考える。

自然によって旅の予定が変更になるのは間々あること。災害や身の危険がない程度のハプニングは、むしろ楽しむくらいがいい。

遅れた分、私も今夜はサンセバスチャンで夜更かししよう。



2012年11月27日火曜日

異国の和食

外国で日本食レストランに出会うことはもはや珍しくない。
最近、NYに行った際にも何度か和食を頂く機会があったが、料理もサービスもアメリカ流にアレンジされている部分はあるものの、たいていは許せるレベルだった。
NYに限らず、世界的に和食に対する理解が深まってきているので、びっくりすることはあまりない。

しかし、それは都市部に限った話。
ちょっと地方に行くと、異国の食文化は拡大解釈されやすい。

マンハッタンから車で1時間くらいの郊外に出かけたときのこと。有名なアウトレットモールの近くの日本食レストランに入った。そんなところに日本食の店があるのが不思議だったが、乗っていた車の運転手さんがたまたま見つけてくれたのだった。

店の入り口の前にいきなり、「重要文化財」と黒々とした日本語で書かれた木の看板が。
なんで?何が?と思って見上げると、そういえば、日本の民家っぽい。
店内の壁に貼ってあった説明を読むと、わざわざ飛騨・高山から移築したものらしい。
ここでやっと、店名の「GASHO」というのは「賀正」じゃなくて、「合掌」造りのことだと合点がいく。
ただし屋根は急こう配の形を残しているが、茅葺ではない。(重要文化財かどうかは怪しい。)

とはいえ、ここまでこだわったなら、さぞかしオーセンティックな日本食を出すのかと期待して席に着く。
メニューには「HIBACHI」という言葉が目立つ。
HIBACHIチキン、HIBACHIライス。
炭火で焼いた焼き鳥や、焼きおにぎりを想像した。

すると奇声が聞こえ、見ると、カンフーのような衣装に真っ赤なコック帽をかぶったシェフが、隣のテーブルの鉄板で威勢よく調理している。アジア人だが、日本人ではない。
80年代のハリウッド映画に出てきた、飛んでいるハエを箸で捕まえる日本人を思い出した。それくらいのギャップ感。
私たちのテーブルについた青いコック帽をかぶったシェフ、というよりカンフー職人が調理したヒバチチキンやヒバチライスは、結局、鉄板で調理したものだった。
あのねえ、火鉢って言われて、鉄板を思い浮かべる日本人はいないのよ、と思ったが、言っても仕方ない。
日本ではデフォルトであるはずの味噌汁も、なぜかここではミートローフスープが出てきた。

味については、書くに及ばず。
この店でしか「日本食」を食べたことがない人たちは、是非いつか日本に来て、自身の日本食の認識が誤っていたことを知り感動してくれることを祈った。

インターネットがこれだけ普及した現代において、少なくとも先進国と呼ばれる国においては情報格差はなさそうなものだが、ちゃんと理解している人のファーストハンドの伝達と解釈がない状態では、いくらデジタルでも情報の輪郭はぼやけるのだということを改めて思った。

東京でも、ナポリのスパゲティはケチャップで和えて炒めたものだと信じられていた時代があった。ひょっとすると地方ではまだその神話が残っているところがあるかもしれないし、今の東京の「本格〇〇料理」の店だって、間違っているかもしれない。

やはり食文化を知るには、その土地へ旅することが欠かせない。

2012年10月12日金曜日

Gillman Barracks

シンガポールに9月14日にオープンしたばかりの新アート・デスティネーション、Gillman Barracks(ギルマン・バラックス)を訪れた。

中心地から少し離れた郊外の、イギリス統治時代に軍の施設として使われていた場所を、アジアの現代アートのハブとして再生すべく、シンガポール政府が1000万シンガポールドル(約6億4000万円)を投じたプロジェクト。

地下鉄のLabrador Park駅から、バス停以外何もない道を10分ほど歩くと、Gillman Barracksと書かれた大きな看板が視界に入ってくる。うっそうとした森に囲まれた6.4ヘクタールの広大な敷地。
そこに点在する白い建物のそれぞれに、ひっそりとギャラリーが入っている。

ただでさえ静かな環境なのに加え、平日の午後に訪れたせいもあり、ギャラリスト以外、他のお客にはひとりも遭遇せず、かなりシュールな気分だった。振り返ったら、今あったはずのギャラリーがなくなっているような。

とはいえアートのラインナップは押し並べてハイレベル(・・・若干、差はあるにせよ)。日本の小山登美夫ギャラリーやミズマアートギャラリーを含む13のギャラリーが出店しており、ローカルよりインターナショナルな顔ぶれ。中国、韓国、米国のほか、日本ではあまり目にする機会がないフィリピンやインドネシアのアートも見られる。

2013年にはここにコンテンポラリー・アート・センターができ、ギャラリーの数も19に増えるとのこと。そのうち活気が出て、北京の798のように観光地化されていくのだろうか。

それも悪くはないけれど、私は今のシュールさ、嫌いじゃない。

2012年10月11日木曜日

バタム島の新リゾートと、映画産業の関係

シンガポールからフェリーで30分。
マングローブが生い茂るフェリーターミナルから、インドネシアのバタム島に降り立った。
主にシンガポール在住の人たちが、都会からの逃避を求めてやってくるリゾート地として知られる。

隣のビンタン島(シンガポールから1時間)よりアクセスがいいのに、日本での知名度が高くなかったのは、ラグジュアリーにカテゴライズされるホテルがなかったせいもある。

そのバタム島に初の5つ星リゾートが誕生。Montigo Resorts Nongsaは、今年6月にソフトローンチし、2013年初めにグランドオープン予定。2ベッドルームの3階建てのヴィラが88棟。整然と並ぶコンテンポラリーな外観のヴィラの中は、白を基調に、ところどころに木のぬくもりが感じられるインテリア。海を見ながらテラスのインフィニティプールで泳ぐこともできる。3ベッドルームのレジデンスも現在建築中で、2013年に完成する予定。

客室はホテルとして外部のゲストが利用するほか、オーナーシップ制度があり、すでに多くのヴィラがシンガポールや海外の資産家に売却済みとのこと。それもキャッシュで買う人が多いという。

シンガポールより物価が安いインドネシアにおいて、特にバタム島は政府が自由貿易地区に指定しているため、日本を含む各国の企業も進出している。その中でリゾートシーンに影響を与えそうなのが、シンガポールの映画プロダクションが建てた撮影スタジオ。

撮影スタジオはMontigo Resorts Nongsaのすぐ近くにあり、現在撮影中のHBO AsiaのTVシリーズのキャストは同リゾートに宿泊している。アジアだけでなく、ハリウッドから来ている俳優もいるらしい。バタム島には他に5つ星リゾートはなく、ランクの高い俳優はほぼ例外なくここに泊ることになるので、スターに遭遇する確率が高いリゾートと言ってもいいかもしれない。それだけでなく、エンターテイメント業界の人々をターゲットにしたそれなりに垢ぬけた店が、今後周りに増えていくことも期待できる。

バタム島、ちょっと注目しておきたい。

2012年10月1日月曜日

日本のワイン

9月最後の週末、長野県東御市のワイナリーのブドウ収穫に参加した。
このワイナリーが最初に自社で醸造を始めた2年前から、縁あって参加の機会を頂いている。

普段はガーデニングの類はほとんどしない私も、この作業はとてもはまる。
今にもはじけそうな実がぎっしり詰まったソーヴィニヨン・ブランの房を取り、傷んだ実(粒)をひとつひとつハサミで取り除いていく。

山と畑に囲まれた土地で、聞こえるのは葉擦れの音と、虫の声。
東京で秋の虫の声を聞くのは夜だけなので、あ、虫って昼間も鳴いてるのね、と、当たり前なことに今更気付く。また、突然カエルが大合唱を始めた理由がわからず、ただ笑ってしまう。

そんな環境で無心に作業に没頭し、ひとつひとつの房を完璧に仕上げ(たと思う)、カゴに入れていく。悪い実を残してしまうと、それがワインにも影響するので、敬意を払い、丁寧に。

このワイナリーをはじめ、日本のワインが近年めきめきと質を上げていることも、収穫作業を一層興味深いものにしている。

収穫の前夜、軽井沢の「Yukawatan」で食事をした。

ホテルブレストンコートの離れにあり、誘導路の長さが演出する期待感を裏切らない、素晴らしい料理を出すお店。未就学児お断りのポリシーも、ある程度の感性と理解力を要求する料理を、それに合ったターゲット層に、相応しい空間で提供しようとする店の姿勢を表していて、好感が持てる。

地元の食材をフィーチャーした料理に合わせるワインリストの中心にあるのは、長野のワインだった。ドメイヌ・ソガ、Rue de Vin、城戸ワイナリーなど精鋭ラインアップ。(去年自分が摘んだソーヴィニヨン・ブランをリストに見つけ、ちょっと嬉しくなる。)

金額もフランスの一流シャトー並みで驚いたが、その中で選んだシャルドネは、香りも味の深みも、かつての「日本のワイン」からイメージするものからはかけ離れており、食事の最後まで楽しめるものだった。

ソムリエが自信を持って勧められる「地ワイン」が増えるのは、旅の客にその土地への興味を深めてもらう意味でもいいことだと思う。

まだ日本では少ない上質な「泡もの」も、これからどんどん出てきますように!

2012年9月29日土曜日

森を歩くかのごとく、アートを見る

昨年11月にオープンした軽井沢千住博美術館へ。

一歩入ると、空間の美しさに息を呑む。
最初に目に入るのは、すっと立つ白い壁に掛かった、大きなウォーターフォールの絵。
曲線的なガラスの壁に囲まれたフロアを進んでいくと、まるで木々の間を覗き見るように、展示作品が不規則に現れる。
地形に合わせてなだらかに傾斜した床は、鑑賞というより、散策という言葉が似合う。

実際、建物の中にも森が存在する。
いくつかの吹き抜けスペースに配さたカラーリーフガーデンは、自然界に存在する微妙な色のグラデーションを見せてくれる。
丁度降っていた雨がその箱庭の木々の葉に注ぎ、一層生き生きと見えた。

ブラックライトに照らされた「ナイトフォール」の展示室も必見。
オランジェリー美術館のモネの展示室を連想させる空間。
霧のような水しぶきが今にもかかってきそうな、静かな臨場感に圧倒される。

SANAAの西沢立衛氏が設計した空間と、千住氏の作品が一緒になり、全体で新たなアートエンターテイメントとなっている。素晴らしい。




2012年9月18日火曜日

デジタル化で得たもの、失ったもの

最近、昔撮った写真のネガをスキャンして、デジタルファイル化している。
昔といっても、15年ほど前からデジカメを使うようになる前までの間のもの。

写真は分厚いアルバムに張ってきちんと保管していたけれど、重いし、出してきて見ることなんて結局ほとんどなく、膨大な旅先の写真も眠っているだけだった。
でもデジタル化しておけば、ふと思い出したときにPC上で手軽に見られる。
当時一緒に旅行に行った友達にメールで送ってあげて、喜ばれたりもする。

スキャンした画質も意外といい。これは1997年10月にプラハで撮ったもの。

 
ネガを見ていて気付いたのは、昔のほうが、一枚一枚の写真を大切に撮っていたということ。
アナログのコンパクトカメラでは、夜景なんかはまともに撮れていないし、再現力という点では今のデジタル一眼レフには敵わない。
でも構図の取り方などは、昔のほうが丁寧だったかもしれない。

今はカメラがなんでもやってくれるので、普通の人でもかなり上手に写真が撮れる。
失敗すれば何度でも取り直せるし、とりあえず5枚撮っておいて、あとでいいのを1枚選ぼう、ということもよくある。だから無駄な写真の枚数も多い。

現像してみるまで出来がわからなかったアナログ時代は、とにかくその時点で「ベストショット」と思えるものを撮り、あとでわくわくしながら出来上がってきた写真を見た。「ボツ」写真の比率はその頃のほうが格段に低かった。

やや大げさに言えば、「本番」にかける緊張感があったのだと思う。

デジタル化はメリットのほうが多いと思っているし、逆行する気は全くないけれど、想い出に残したい風景を丁寧に切り取り、それをハードディスクではなく自分の記憶にとどめておく力は、アナログ時代の人間のほうが優れていたように思う。

2012年9月17日月曜日

今年のハワイ島

今年も7月のほとんどをハワイ島で過ごした。

もう12年ほど前からほぼ毎年行っており、一回あたりの滞在日数は長くなる一方。
よく人には、「そんなに行ってて、飽きない?」と聞かれるが、全く飽きない。
他の場所にはあまりリピートしない私も、ハワイ島だけは別。

でもハワイといえば無条件に好きなわけではなく、私が好きなのはハワイ島(ビッグアイランド)。ハワイ州全体ではない。もちろんほかの島も好きだし、行ったこともあるが、比較にならない。

ハワイ島に2,3週間も滞在していれば、ホノルルあたりに一度は行く気になりそうなものだが、よほどの用事がない限り、行き・帰りの乗り継ぎで空港を素通りするのみ。それも今、直行便がないから仕方なく寄ってる感じ。

だから「ハワイ行ってたの?」などと、きっとホノルルだと思っているに違いない質問をされようものなら、
「そう、ハワイ島ね。」と明確に返すことにしている。

何がそんなにいいかというと、理屈ではなく、多分土地の「気」が合っているから。
ハワイ島はいわゆる「パワースポット」の一つとされているけれど、どんなパワースポットでも必ずいいかというとそうではなく、現に私には、あのアリゾナのセドナに行って全く何も感じなかったという残念な過去がある。

ハワイ島で過ごしていると、自然のリズムの中でリセットされる感じがある。
ほとんどが溶岩大地の島で、朝は鳥の声で目覚め、夜は満点の星を見上げる。

新聞で潮の満ち引きの時間を確認してからビーチに行くと、ちょうど潮が引き切った後、ウミガメが甲羅干しをしていたりする。
お腹を浅瀬の水に浮かせ、甲羅を水面から出している。でも日差しが熱すぎて、時々手で(足で?)背中に水をかけている。
そしてしばらくして潮が満ちてくると、海に帰っていく。

そんな風景、何度見ても飽きないし、また探しに行ってしまう。

今年のハワイ島で気付いたことの一つは、2年ほど前に大ブームだったカイト・サーフィンはあまり見かけなくなり、代わりにパドルボードが大人気。子供から大人まで楽しめるマリンスポーツ。

気付いたことのもう一つは、ここ2、3年ほど「For Sale」の看板が出たままの家がまだ多く残る一方、ずっと空地のまま止まっていた別荘地の開発が動き出していたこと。

市場の活性化はいいことだけど、ウミガメの甲羅干しの場所は、確保されますように。























2012年7月3日火曜日

エスパス・ルイ・ヴィトン「Awakening」

先週末、表参道のエスパス・ルイ・ヴィトンへ。
フィンランドのアーティスト3人のグループ展"Awakening"を開催中です。

入り口でハードカバーの素敵なカタログと、ヘッドホンを渡され、音の世界から鑑賞開始。

初めて外光を遮り暗室にした今回の展示は、星空に見立てた壁に囲まれた空間に、ペッカ・ユルハの大きなクリスタルのビーズのインスタレーションが一層輝きを放ち、印象的。

光ものに心を奪われ、他のビデオアートに入り込めなくなってしまいましたが。

ちょっとした異空間トリップ気分でした。


2012年6月10日日曜日

輝く夜の森 in Shanghai

上海に行くたび必ず訪れるのがMOCA Shanghai(上海現代美術館)。開館時間も21時半に延長され、更に行きやすくなりました。

開催中だった展示は「Van Cleef & Arpels, Timeless Beauty -  Over One Hundred Years of High Jewellery Creation」。ヴァン・クリーフ・アンド・アーペルの100年以上にわたる歴史とジュエリーの名品たちです。

いつもは外光も入り明るいMOCAが一変。入り口を一歩入ると、そこは外界から切り離された夜の森の始まりです。(普段の構造がすぐに思い出せないくらいの変貌ぶり!)

薄暗い森にはガラスの木々やカプセルが並び、その中にはライトアップされ、輝きも一層眩いハイジュエリーの数々が。幻想的な空間に、時間の感覚を失います。
和のモチーフを施した漆塗りの蝶のブローチの群れに見とれていると、虫の声が聞こえてくる・・・このリアルな森の感じ、細かい!

見る前は、コンテンポラリーの美術館でどうしてヴァンクリ?と思いましたが、今回の展覧会のデザインを担当したのは、Patrick JouinとSanjit Mankuという二人組。2011年オープンしたパリのマンダリン・オリエンタルのレストランも手掛けたデザインユニットです。

未来的なセッティングで伝統を語る、美しく興味深い展覧会。2012年7月7日まで開催です。

2012年6月8日金曜日

ラグジュアリー・トラベルの議論で考えたこと

上海で6月4日から7日まで開催されたラグジュアリー・トラベル・マーケット「ILTM Asia」に、今年もバイヤーとして参加しました。ハイエンド市場に特化したBtoBイベントで、昼間はミーティングが隙間なく組まれ、夜は各社が趣向を凝らした華やかなパーティ。常にハイテンションが要求される数日間です。

ここ数年、アジアのラグジュアリー・トラベル市場といえば、イコール中国人富裕層の台頭、という文脈で語られることがほとんどです。インターコンチネンタルホテルグループに至っては、明確に中国人富裕層だけをターゲットにした「Hualuxe」という新ブランドを打ち出すんだとか。

今年のILTMのオープニング・パネルでも、欧米出身のパネリストたちの話は「いかに中国人旅行者の気に入るサービスを提供するか」という流れになっていました。

しかし、この一連の話、私にはうまく言葉にできない違和感がずっと前からありました。

それをスパッと斬ってくれたのが、バンヤン・ツリーの創立者、Ho Kwon Ping氏。

「まあさっきから聞いてれば、やれ中国人だから朝食におかゆを出しましょうとか、中国人だからこうしましょうとか、そういう議論は長い目で見たら何の意味もない。過去にも同じ議論はあった。20世紀半ばに米国人旅行者が増えたときも、ヨーロッパのホテルはメニューにハンバーガーを加えたが、今となってはハンバーガーは世界中どこにでも溢れてる。今の中国は経済的発展が違う段階にあるだけのことで、特別じゃない。どこの国民でも、結局人間であることに変わりないんだ。」
(と、このままの言葉で語ったわけではありませんが、私が解釈して再編集したものですので、あしからず。)

会場、大拍手。欧米人も、アジア人も。
あのパネルで、あれほど観客をひきつけた発言はほかに聞いたことがありません。

そして私が得た結論は、うまく表現できなかった違和感の対象は「上から目線の迎合」だったのだということ。

これは旅行産業に限らず他の産業にも言えることですが、海外市場、特に日本を含むアジアや新興国市場に進出するとき、出ていく側には少なからず「自分たちのほうが進んでるもんね」という驕りがあるものです。

同時に、その市場で受け入れられるために、自分たちの解釈で造ったステレオタイプに対して迎合し、それを異文化理解だと言ったりする。

でも、海外に自国の文化を発信する側にも、そういうステレオタイプを生む責任の一端がないわけではありません。それも一種の迎合。

文化にも、サービスにも、迎合はあってはいけない。そんなことを考えた機会でした。

2012年5月18日金曜日

クルーズというスタイル

昨日、東京に停泊していたラグジュアリークルーズ船「Silver Shadow (シルバー・シャドー)」の船内見学をさせて頂きました。

定員382名とクルーズ船としては小型。
これくらいのサイズのほうが、思わず「これ船?」って聞きたくなる超大型客船よりも船らしさがあります。
船室は30平米前後から120平米台まで、ホテル並以上の広さ。船という限られた空間の中、無駄は極力排して造られているはずですが、ダブルシンクや大きめのウォークインクローゼットなど、ドレスアップする機会も多い長期のクルーズ旅行にあって欲しいものはちゃんと備わっています。

クルーズはライフスタイルだと言われます。
ゲストには常連も多く、中には様々な航路を乗り継いで世界中を廻り続けているパーマネントトラベラーのような人もいるとか。

一方、一般的な旅の選択肢としてはなかなか思いつきにくいのも事実です。
でも、旅のスタイルとしてはこれ以上楽なものはないかもしれません。
地上でアクセスするには面倒な場所も、朝目が覚めたら着いているし、一度船に乗ってしまえば、荷物を持って各地を移動する必要もありません。
普通の旅行ではあまり行かない土地に寄港できるのもクルーズならでは。
船内の食事や飲み物はすべてオールインクルーシブで、チップも含まれているので、面倒な計算も無し(*これは船の会社によってシステムが違います)。
料金も、食事と宿泊、且つ移動手段もついてくると考えると、1日当たりの金額は普通の旅行とあまり変わらなかったりします。

また女子にとっての楽しみの一つは、フォーマルなドレスコードの夜。
普段とは違うドレスアップをすることで、気分も「しゃん」とします。
友達の結婚式で一度着たきりクローゼットで眠っているドレスを活用するいい機会かも?

2012年5月2日水曜日

ジャクソン・ポロックと原弘

閉幕間近となった「ジャクソン・ポロック展」に昨日行ってきました。ポロックの生誕100年を記念して日本で初めて開催された大回顧展。
ポロックの作品は、一目見て衝撃を受ける人がいる一方、単品で見せられてもツボにはまりにくい人も多いと思います。私も後者のタイプで、これまで各地の美術館などで彼の作品を見ても、どうという感想を持たずにいました。でも今回の展示は、彼の生涯のコンテクストの中で作品を見せ、ポロックファンならずとも感情移入しやすい構成だったと思います。
その流れの中で見るクライマックスが、1950年制作の「インディアンレッドの地の壁画」。圧倒されるような色と線。最高潮に達していたポロックのエネルギーを感じました。

ポロック展と同時開催中の「原弘と東京国立近代美術館」展も、なかなか新鮮でした。今年60周年の同美術館の開館から23年間、美術展のポスターを一貫して手掛けたデザイナー原弘(はらひろむ)氏の作品群です。同氏のポスターのデザインは、古さがかえって新しさを感じさせるものも、そのまま現代にあってもまったく違和感がないものもあり、均整の取れた普遍的な美しさを見せています。興味深かったのは、同氏がグラフィックデザインを手がけた「FRONT」という日本の対外宣伝誌。ソビエト牽制の目的で、戦前から戦中にかけて複数言語で発行されたそうです。要は日本の軍隊の優秀さ、強さをアピールするためのものですが、これがとても美しいビジュアルで構成されているのです。今だったらこんな美しい軍隊グラビア誌、作れるでしょうか?
美は、時に圧倒的な強さを印象付ける手段にもなるのだと実感した作品でした。

2012年4月19日木曜日

ミーソン遺跡

ベトナム中部、ホイアンからほど近いところにあるミーソン遺跡は、人類の歴史を二つの側面から考えさせます。

ひとつは文化的側面。チャンパ王国の重要な聖域だったミーソンには、ヒンドゥー教のシヴァ神をまつるための寺院が4世紀から14世紀に渡って建てられました。

カンボジアのアンコールワットとよく比較されますが、建築時期はミーソンのほうが先で、アンコールワットに影響を与えたとも言われます。材質はアンコールワットは砂岩なのに対し、ミーソンは粘土です。赤いレンガで造られた各寺院の外壁には、女性的で優美な曲線の彫刻が多く見られます。

石板に書かれたサンスクリット語の碑文は、何を意味するか全くわからないのに、見ているだけで穏やかな気持ちになるから不思議です。

ミーソンの建築には、いまだ解明されていない謎がいくつかあるそうです。例えばレンガとレンガを強固に接着した物質は何だったのかとか。こういうことを聞くと、「ひょっとして宇宙人が造ったんじゃ・・・」などと考えてしまうんですが。

もう一つの側面は、戦争です。
建物の多くがベトナム戦争中の爆撃で破壊され、残った建物にも数多くの銃痕が。ゲリラが潜伏していたため集中攻撃を受け、寺院の内部の壁にまで執拗な銃撃の跡が残っています。寺院の周りにある複数のクレーターも爆弾投下でできたものです。

人類(たぶん)が残した歴史的遺産も、戦争という状況下ではただの建物に過ぎなくなるということ。そのすさまじさと、優しい女神たちの像とサンスクリットの碑文が、皮肉な対比を見せています。

現在ミーソン遺跡では各国による修復作業が進んでおり、また、駐車場から寺院群へは森の遊歩道も整備され、気持ちのいい空間作りもされています。ベトナム中部を旅する際は、足を延ばす価値がある場所です。

2012年4月4日水曜日

ホイアン ランタンの夜

ベトナム中部のホイアンでは、旧暦の毎月14日目にFull Moon Festival(満月祭)が開かれます。

今夜(4月4日)もその日。

旧市街の中心は歩行者専用となり、幻想的なランタンの灯りが通りを照らします。

人々は軒先にお供え物を置き、幸福の祈りを込めて川に灯篭を流します。

どこか七夕を思わせる夜です。


2012年3月11日日曜日

ブータンの旅③: UMA PARO

意外かもしれませんが、ブータンではハイエンドなホテルステイも楽しみの一つです。主なところではAman, Taj, COMOの各グループが首都ティンプーや各地にホテルを展開しています。

今回宿泊したのはCOMO HotelsのUMA PARO。パロ空港から車で約10分、高度2300mに位置します。ひんやりした朝の空気の中、空港から専用車でホテルへ。ブータンの伝統的な建築様式の建物を入ると、コンテンポラリーなデザインと調和したシックなロビー空間。

まずはレストランBukhariで朝食。中央に暖炉の火が燃える円形のフロアを大きな窓面が囲み、パロ谷を一望できます。注文したエッグベネディクトには、敷地内のオーガニック菜園で取れた野菜と自家製ハーブソースが添えられ、目にも体にも嬉しい一皿。オールインクルーシブのパッケージの場合、観光で出かけているとき以外はほとんどここで食事するので、レストランの質は滞在全体を左右します。ここはサービスも味も合格。メニューはブータン料理、インド料理、西洋料理を揃え、バラエティ豊富。ただ、料理のポーションは日本人女性にはちょっと多いかもしれません。

客室は本館と、林に点在する9棟のヴィラから構成されます。今回はワンベッドルームヴィラに滞在。ベッドルーム以外に、暖炉があるリビング、広いバスルーム、さらにトリートメントルームがあり、部屋でスパ・トリートメントを受けることも可能。各ヴィラにはバトラーが付き、暖炉に火をくべてくれたり、お茶を入れてくれたり、その他あらゆるニーズに気を配ります。パチパチと薪がはじける音を聞きながらくつろげる部屋は、ブータンではここだけ。長い滞在なら確実にヴィラがお勧めです。ハリウッドセレブやヨーロッパの王族も宿泊したことがあるそう。

スパも欠かせない要素です。初めてのブータン旅行では必ずといっていいほど、Tiger's Nestという僧院へのトレッキングをします。高度3,120mの僧院までの往復は(注: スタート地点はすでに高度2,000m以上なので、高低差は1,000m程度です。)、道も整備されていて眺めもいいですが、やはりそれなりにハード。あとでスパでのマッサージが待っているといないとでは、トレッキング中のモチベーションがまったく違います!自然を堪能した後は、Como Shambaraスパの優雅な空間で完璧な締めくくり。

2012年秋には2軒目のCOMOホテルがプナカにオープンするとのこと。今年のブータンはますます注目のデスティネーションです。



2012年3月3日土曜日

ブータンの旅②: 郷に入っては…

ブータンの人は日常的にお寺にお参りします。
お寺に入る際、男性は清めの意味で民俗衣装の上から白い肩布をかけます。
靴を脱いで上がり、神様の像の前では、合わせた両手を額、口元、胸の前に順に持っていき、座って頭と両手を床につけるように礼をするという流れを3回繰り返すのが、ブータンの祈り方です。
そしてお賽銭や食べ物を捧げて帰ります。

首都ティンプーのタシチョゾンを訪問した際は、ちょうどブータンの新年の祝日で、仏の聖遺物とされるものの特別展示がありました。
皆、色とりどりの民族衣装で正装し、家族や友人同士連れ立って、長い列を作ってお参りしていました。

日本人も神社やお寺にお参りする機会は多く、神社では二礼二拍手一礼の作法も守りますが、服装は短パンだったりしますね。気持ちの問題なので別に悪いことではないと思う一方、ブータンの人々の神に対する居住まいの正し方は、ちょっと見習うところがありました。
観光客の立場でも、地元の人々の参拝の習慣にはなるべく従い、まねできないところはせめて邪魔しないように、という気持ちに自然になるものです。

・・・しかし、どこにでもびっくりするような人たちはいるもので。
パロのキチュラカンという、7世紀に建てられたとされる有名な古寺を訪ねたときのこと。
日本人のシニア層のグループが来ていました。
地元の人々が静かにブータン式の祈りを捧げる中、その人たちは、床に座って日本式のお経を大声で合唱し始めたのです。
よくお葬式とか法事で聞く、ああいうお経です。
ブータンの人々は黙って祈るだけなので、その日本人たちのお経だけが響き渡り、寺院内は異様な雰囲気。
私もあまりにもぎょっとして、どこの宗派のお経かも確認できませんでしたが・・・。

信仰のかたちは人それぞれとはいえ、そんなところで自己主張しなくてもいいんじゃない?
ああやって世界各国の寺院を廻ってるんだろうか、あの人たち。

2012年3月1日木曜日

ブータンの旅: 幸せの根底にあるもの

ブータンに行ってきました。
昨年の国王来日で一躍注目された「幸せの国」。実際、先進国と呼ばれる国々が忘れてしまったものがまだたくさんあり、幸せのあり方を考えさせられる国です。

一番印象的なのは、敬う心。
ブータンは仏教文化の国です。人々は家でも学校でも、小さいときから仏教の精神や道徳を厳しく教えられ、その教えを一生、軸として持ち続けます。
宗教を妄信したり、頼ったりということではなく、常に神や自然に対し畏敬の念を持つことが、家族や周りの人たちに対する敬意につながっているのだと思います。

それと切り離せないのは、絶大な人気を誇る国王の存在です。
自ら絶対王政に終止符を打った先代の国王も、一般の人々と対話する現国王も、国と民のために行動するリーダー且つ人徳者であることが、地元の人の話から伝わってきます。
国のトップが国民のロールモデル。
そんな国って、すごいと思うのです。

もう一つ驚いたのは、主要産業でもある農業は、ほとんどがオーガニック栽培だということ。
人口が少ないブータンでは、農作物の大部分が自家消費用だったせいもありますが、きれいな心にはクリーンな食べ物も影響しているような気がして、妙に納得。

人口70万人の国のGross National Happiness(国民総幸福量)。
伝統と文化に裏打ちされた幸せには、ブレない強さを感じます。