2020年12月29日火曜日

琳派と印象派とアーティゾン美術館

アーティゾン美術館で開催中の「琳派と印象派」展へ。


2020年1月にリニューアルオープンして以来、この美術館の空間が気に入っている。大きなガラス面に囲まれた明るい吹き抜けのロビーは、美しいものが待っているという期待感を高めてくれる。


今回の展示の目玉は何といっても、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」。京都・建仁寺からやってきた本物で、後期のみの展示なのでそれを待って出かけた。描かれたのは約400年も前なのに、現代の日本人の大多数がきっと一度は見たことがあり(それが光琳や酒井抱一の模写だったとしても)、誰が描いたのか知らなくても見せられれば「ああ、それ有名だよね」と認識できる日本の絵画作品はそう多くはないだろうし、そういう意味ではフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」に匹敵するポピュラーさだと勝手に思っている。(これが「モナリザ」だと、ほとんどの人がタイトルも作者も言えるレベル。)

色々な人が模写しているが、個人的には宗達のオリジナル版が、風神と雷神の色も含めて一番気に入っている。そして、以前建仁寺で複製を見たときには感じなかったーとまでは言わないがー、今回の本物の展示を見て改めて、今にも前進してきそうな風神と、宙に浮いて雷を操る雷神の「動き」を感じた。やっぱり本物は違う、などと言ってしまえばそれまでだが、むしろ「本物を見ている」という思いが、鑑賞者の気づきに影響するのだろう。今は複製も高精細で、情報量としては本物と同じかそれ以上に違いないが、複製と言われるとどこか冷めた目で見てしまう。情報をくみ取って吸収するかどうかは、見る者の心構え次第で大きく変わる。

その延長で考えると、最近よく話題になっている「オンライン・ツアー」も一種の複製。自由に旅行に行けない状況下でのエンターテイメントとしては理解しつつも、実際に旅するときに発生する「熱量」のようなものは感じることができない。その熱量があって初めて、旅は体験として吸収され、あとで「思い出」に姿を変えるのだと思う。

展示に話を戻すと、今回の企画展は琳派と印象派という東西の美術を「都市文化というキーワードで再考する」趣旨とあったが、印象派は石橋財団コレクションの真骨頂ともいえる部分で、それぞれ単独の展示としても十分見ごたえがあった。

アーティゾン美術館の展示スペースはリニューアル前の2倍の2100平米になり、充実した国内外のコレクション展が見られるのも素晴らしい。

4階のインフォルームも美しい空間。どうやら壁の棚のデザインは本のページをイメージしているよう。


絵になる建物の美術館は、それだけでもまた行きたいと思う。


2020年11月20日金曜日

詩人としてのピカソ

ピカソの展覧会は数多あれど、詩人としての側面に光を当てたものはあまりない。スペイン文化普及をミッションとするインスティテュト・セルバンテス東京で開催中の「作家ピカソ展」は、文筆家としてのピカソにフォーカスした興味深い展示。ピカソの生まれ故郷・マラガのピカソ美術館の協力による国際巡回展。好評で会期を延長していたため訪れることができた。


ピカソが詩や戯曲を書いたことはあまり知られていないと思う。ピカソの詩は「自動記述法」という、理性を介在させずに思いついたことを次々と記していく方法で書かれ、何の脈絡もない言葉がデタラメに組み合わされていて暗号のようでもある。でも中には、マラガでの子供時代の想い出や、故国スペインへの愛を感じさせるモチーフが散りばめられたものもある。

展示された詩の原稿(デジタルコピー)は、殴り書きのようなものでも、ちょっとした文字にピカソらしさが感じられたりして、アートのリトグラフを見るようだった。

ピカソが詩を書き始めた1935年は、彼が家庭の問題を抱えていた時期と重なり、絵が描けなくなって詩に傾倒したという見方もあるようだが、必ずしもそんなことはなかっただろうと思う。30年代は100枚の版画シリーズの「ヴォラール・スイート」を制作していた時期だし、1937年には「ゲルニカ」を描いている。それに、会場で上映されていた研究者のインタビューによると、ピカソ自身が「西洋に生まれたから画家になったが、東洋に生まれたら詩人になっただろう」と言っていたそうだ。あれだけ多才で、生涯にわたって作風を変化させた芸術家にとって、表現の方法は絵でも文字でも、大した違いはなかったのではと想像する。

展示では俳諧や筆などの日本文化とピカソの関わりにも触れている。2020年12月15日まで。



2020年10月30日金曜日

銀座駅の光

 銀座駅のリニューアルで設置された吉岡徳仁の作品を見に行く。



B6出口近くの壁に輝く「光の結晶 Crystal of Light」という光の彫刻。太陽光が届かない地下の空間において、636個の六角形のクリスタルガラスで、ランダムな自然光を再現したものだそう。この写真ではわからないが、世界平和への祈りを込めて光で世界地図を表している。

周りを見ると、吉岡氏の作品に合わせたかのように、駅のライティングも美しく変身していた。路線ごとに色分けされた照明が利用者たちを導く。今まで地下鉄の各路線の色は記号としか見ていなかったが、こういう色と光の空間を前にしたら、その時の気分で路線を選んでしまいそう(実際、無理だけど)。




こういう環境では、駅構内は素早く通り過ぎるもの、という習慣が崩れる。辺りを見回していたら、もう一つの作品に気づいた。

これまでの人生で何百回も前を通り、視界には入っていたはずのそのステンドグラスに初めて目を留め、近づいた。平山郁夫画伯の「楽園」という1994年の作品だった。すみません、今まで25年以上も気づかず。

吉岡氏の作品の光のお蔭で気づきが多かった銀座駅。これからは歩みを緩めて通ろう。


2020年10月29日木曜日

立川でアート・ハンティング

ドナルド・ジャッドの遺作が立川にあると知ったのは最近のこと。なんで立川に?という驚きと同時に興味が湧き、行ってみた。

立川駅北口の複合施設エリア「ファーレ立川」は、知る人ぞ知るパブリック・アートエリア。109の現代彫刻があり、全て公道上で見ることができる。現代というより20世紀アートと言った方が適切かもしれない。1994年、米軍基地跡地の再開発で生まれたその街のために、36カ国92人のアーティストたちが作品を寄せた。その中にはジャッドのように世界的に知られたアーティストも少なくない。

実際に歩いてみると、個性的な作品に彩られた街は楽しい。あちこちの車止めにも遊び心満載。



かなり存在感があるアートが街にすっかり溶け込み、当たり前になっているその雰囲気にシュールさも感じる。高さ4メートル近いこの巨大なショッピングバッグは換気口カバー。


大きな植木鉢の手前にある自転車はロバート・ラウシェンバーグの作品。駐輪場の看板で、夜になるとネオンが点灯する。


ニキ・ド・サンファルのベンチ。この人の創作活動はガウディのグエル公園にインスパイアされたと知り、とても納得する。


鉄でできたアニッシュ・カプーアの「山」。赤土のグランドキャニオンを思い起こす。鏡面の作品の印象が強い人だが、こういうのも作っていたのか。

宮島達男の作品は残念ながら故障中。でも一目で彼の作品だということはわかる。


大好きなフェリーチェ・ヴァリーニの作品も二つ。こんな近くにあったことを今まで知らずにいたなんて。きれいな円は一点からしか見えない。彼の作品は空間に突然物質を生み出す魔法のようで、わくわくする。



今年ニューヨークのMOMAで回顧展が開かれているドナルド・ジャッド。立川にある彼の遺作は、二つに仕切られた7つの箱が壁面に並んだもの。ミニマリズムと定義されるのを本人は嫌ったらしいが、直線と原色で構成されたジャッドらしい作品。作品の完成前に亡くなったジャッドの遺志を継ぎ、彼が病床で作ったプラン通りにアシスタントたちが完成させたそうだ。「無題」なので、ジャッドが立川に向けて込めたものを想像するのは難しい。


ファーレ立川では、わかりやすい紙のアートマップの他、専用アプリも用意されている。今回はアプリをダウンロードして廻ったが、これがなかなか便利だった。作品の近くに行くと自動的にその作品の説明が表示されるので、素通りしそうになっていた作品に気づくこともある。2時間弱で109の作品を全て制覇できた(と思う)。しかし、アプリが突然強制終了してしまうこと数回。バッテリーも消費が早くなるので、その点はご注意。


もしくは気ままに歩き、好きな作品との出会いを待つのも楽しいはず。立川は贅沢なアート散歩ができる街だった。

2020年10月26日月曜日

中銀カプセルタワービル

銀座8丁目にある中銀カプセルタワービルの見学ツアーに参加。かなり面白かった。

「保存・再生プロジェクト」の方の案内で建物内に入り、その歴史と現状についてのお話を伺いながら見学した。

黒川紀章の設計で1972年にできたこの独特な建物は、二つのタワーに分かれていて、合計140のカプセルがついている。カプセルは全て10平米、はめ込みの窓が一つ、ユニットバスがあるが、キッチンはない。白い壁面には作り付けの収納棚と机と、当時としては最新鋭のソニー製のブラウン管のテレビ、ラジオ、オープンリールのオーディオシステムが埋め込まれている。無駄なものは何一つなく、入居するほうも持ち物を最小限にすることが求められる。物を所有することが豊かさの象徴だった高度経済成長期にあって、このコンセプトは哲学的ですらあったと想像する。

ビジネスカプセルとして売り出された当時のパンフレットを見ると、部屋にない機能は外部から補うという考え方で、フロントコンシェルジュ、ハウスキーピング、秘書サービスなど、現在の高級サービスオフィスやホテルに通じる内容を提供していたことがわかる。ハードもソフトもかなり最先端だったこの物件は、感度の高い人々に受けたに違いない。

当初のアイディアは、取り外し可能なカプセルを25年くらい毎に新しいものに交換して、建物を永続的に維持していくというものだったが、一度も交換されずに50年近くが経とうとしている。実際、真ん中の階のカプセルだけを外して交換することはできず、上階から順番にすべてのカプセルを外さないとならないため、工事にはそれなりの費用がかかるらしい。

カプセルは分譲されていて、今もここで暮らす人、オフィスとして利用する人、またはマンスリーレンタルで宿泊する人などがいる。老朽化で諸々不便が生じているにも関わらず、その人気は根強い。海外からハリウッドセレブが見学に来たこともあり、マンスリーで利用する日本の著名人も多いそう。特に昨今は、リモートワークの場所として希望する人も増えているという。

実現しなかった黒川氏のアイディアの話が更に面白く、例えば、別の都市に同じ建物を作って、カプセルごとそっちにお引越しできるという案や、キャンピングカーのようにカプセルごと旅する案など。必ずしも一つの場所で暮らす必要性が急激に薄れている今の価値観に、奇しくもぴったり合っている。50年ほど早すぎたけれど。

しかし区分所有者の意見は、カプセル交換&保存派と、取り壊し派に分かれている。この建物は現在の建築基準法に合っていないため、一度取り壊してしまうと同じものは建てられない。建物を残すための唯一の方法は、当初の案通りカプセルを交換すること。

私は21世紀の最新の機能を搭載したカプセルに交換されたタワーの姿を見てみたい。交換されて初めてこの建物は完成するのだから。そして、ピカピカのカプセルがあちこちを自由に旅している姿を想像するのも楽しい。


イアン・シュレーガーの美空間 東京エディション虎ノ門

最近、東京のラグジュアリーホテルのオープンが続いている。 今月も日本初上陸となるEditionブランドのホテル、「東京エディション虎ノ門」が本オープンした。

建物の設計は隈研吾(これも最近、一つのスタンダードになりつつある)。パブリックスペースも客室も、木を使ったシンプルで、少し和の要素を感じさせるデザインが特徴。

その器の中に、ブランド創設者のイアン・シュレーガーのこだわりがぎっしり詰まっている。あの伝説のニューヨークのナイトクラブ「54」や、80年代にデザイン・ブティックホテルの先駆者となったロイヤルトンなどの数々のホテルを手掛けた人物。

このホテルで最も特徴的で、最初に目に入るのは、そのロビーラウンジスペース。ビルの31階に位置するこのフロアに、ジャングルのように緑が密集している。緑が目隠しの役割も果たし、プライバシーとソーシャルディスタンスを保ってくれる。



ロビーバーのグリーンのボトルのディスプレイも美しいが、ここに限らず、ホテル内に置いてあるものやその置き方すべてにシュレーガー氏のチェックが入っている。それも、かなり細かく。棚に飾られたオブジェ類は言うに及ばず、例えばラウンジのソファや客室のベッドに無造作に置かれたラグ。それを見て「あ、たたみ忘れちゃったのね」などと思ってはいけない。決して無造作にあるのではなく、造作ありありなのだ。そのヒダのひとつに至るまでラグの置かれ方は決まっていて、スタッフはそれに従って毎日「無造作っぽさ」を再現する。シュレーガー氏が作る妥協なき空間に、彼の強い美意識と、ブランドを守り育てる者としての姿勢を見た気がした。(同時に、そういう人が上司だったら部下はものすごく大変かもしれない、とも思う。)

来年2月にはスペシャルティ・レストラン「Jade Room」と、バー「Gold Room」もオープンする。準備中の店内を見せていただいた。Jade Roomは屋外のウッドテラスから東京タワーを間近に臨む。Gold Roomは黒をベースとした内装にゴールドが差し色で効いた、とてもお洒落で素敵な場所。マンハッタンのバーを思わせる、まさにシュレーガー氏の美意識を結集した空間には、ここに座ってお酒を飲みたい!と思わせる魔力があった。


2020年10月7日水曜日

百段階段で現代アートを見る

目黒のホテル雅叙園東京で「TAGBOAT × 百段階段」展を見た。

雅叙園は「昭和の竜宮城」と呼ばれたそうで、独特で絢爛豪華な装飾に彩られている。中でも「百段階段」は1935年に建てられ、雅叙園の中で現存する唯一の木造建築で、東京都指定有形文化財に指定されている。100段、正確には99段の階段が7つの宴の間をつなぐ。

なぜきっちり100段じゃないかは定かではないそうだが、「未完の美」を求めたのだろうと私は解釈した。

その7つの部屋に、30名の新進アーティストたちの作品が展示されている。

歴史あるものと新しいもののコラボレーションは珍しくないが、これは面白い共演だった。そもそも奇抜な雅叙園の装飾が、型にはまらない現代アート作品を前に、その背景としてただあるのではなく、むしろ競っているというか、しゃしゃり出ているというか、本領を発揮してる感じがしたのだ。


特に、色鮮やかな木の浮彫の絵の自己主張の強さ。どちらが現代アートかわからなくなる。


展示された現代作家たちの作品も、もし白い壁のギャラリーで展示されていたら全く違うものに見えたかもしれない。ここではいっそうおどろおどろしく見えた作品もあるし、全体的にインパクトが増幅されていたと思う。

百段階段の各部屋は、天井や欄間の絵のほか、建具や柱にも異なる細やかな意匠が凝らされていて、それだけで見どころ満載(それを説明すると切りがないのでここでは省く)。以前も訪れたことがあるが、今回のほうが現代アートとの相乗効果で、強く印象に残った。

新旧アートの全力アピール。この企画展は2020年10月11日まで。

2020年10月5日月曜日

武蔵野の石の要塞と、銀のどんぐりの森

その建物の写真を見て、実際に見てみたくなり出かけた所沢。

初めて降りた東所沢駅から、普通の郊外の街並みを歩いて約10分。公園の向こうに、巨大な石の塊が出現する。

どこから見ても非対称な変わった形で、窓がない(ように見える)建物は要塞を思わせる。一見、どこが正面かもわからない。

これは今年8月にプレオープンした「角川武蔵野ミュージアム」。設計は隈研吾氏。美術館、博物館、図書館を併せた新たな文化複合施設として11月にフルオープン予定。マンガ・ラノベ図書館やアニメミュージアムが入るほか、現代アートの企画展なども行い、サブカルチャーファンをターゲットとする。

プレオープン期間中は「隈研吾/大地とつながるアート空間の誕生 石と木の超建築」展を開催(10月15日まで)。1年前の2019年に竣工した国立競技場が隈氏の木の建築の集大成であったのに対し、このミュージアムは石の建築の集大成だとわかる。

複雑な建物は61面の三角形で構成されているそうで、外側を覆う花崗岩のタイルの表面は「割肌(われはだ)」という、職人が割り出したままの荒々しさを敢えて残している。遠くから見ると冷たい印象だが、近くで見る肌目には温かさも感じられる。



さて、隣の公園には、チームラボの「どんぐりの森の呼応する生命」という常設展示がある。ここは本当は夜行くのが正解なのだが、行ったのが昼間なので仕方ない。明るい森を見ていくことにした。森の中に銀色のダルマみたいなオブジェが不規則に並んでいて、手で押すと、起き上がりこぼしのように揺れて「ほわん」とした不思議な音を出す。音は周囲に拡がり、その反響の中を散歩する、という趣向。夜になるとこのダルマは様々な色に光る。そしてたくさんの訪問者が出す音が森の中で反響しあい、光と音に包まれて美しい夜の森を散歩できるのだろう。すいている平日昼間に、ひとりで起き上がりこぼしを押しては音を聞いても、正直、あまり盛り上がらないので、夜間の訪問を強くお勧めする。

ちなみに、オブジェには手で触れるため、入り口でビニールの手袋を渡される。これも新しい鑑賞作法。

一帯の「ところざわサクラタウン」は、角川が「クールジャパンの拠点」として開発を進める。アニメ聖地巡りの札所となっている神社や、アニメホテル、イベントホールなどもある。今後、人の流れが変わるかもしれない。


2020年9月25日金曜日

Kimpton Shinjuku Tokyoで、東京を意識する

10月2日(金)に西新宿にオープン予定のラグジュアリー・ライフスタイルホテル「Kimpton Shinjuku Tokyo」を視察させていただいた。


アメリカ発のキンプトンブランドは日本初上陸。私もマンハッタンで宿泊したことがあるが、毎夕のソーシャル・アワーも含め、お洒落で感じのいいブティックホテルとして印象に残っている。現在はインターコンチネンタル・ホテル・グループ傘下だが、そのブランドとアイデンティティーは維持。



全体的にニューヨークのテイストを前面に出しながら、日本ならではのモチーフがあちこちに織り込まれている。例えば、客室のベッドサイドにあるU字型のライトはかんざしがモデル。


エレベーターの内部を飾る山のイラストは、聞けば山梨の山脈を描いたものらしい。ホテルの前を通るのが甲州街道だから。深い。聞かなきゃわからない。




また、ホテルの顔ともいえる玄関を入ったところにある大きな絵。


画面を埋め尽くすたくさんの文字は、このホテルに関わっているスタッフ全員の名前だそう。

このホテルに限らず、一つ一つのアートやデザインの裏側にあるこだわりやストーリーは、スタッフに聞いてみて初めて分かることもあるので、ちょっと気になったら尋ねてみると面白い話が聞けるかもしれない。

本当だったら、この夏はたくさんの外国人観光客がやってきていたはずの東京。それに合わせていた新規ホテルのオープンも多い。当然、外国人に向けた日本らしさのアピールも意識されているが、ちょっと前までの、日本人から見ると白けてしまう押し出しは減り、洗練された和のアレンジを目にすることが増えた。

今だから、あえて身近な都市で旅人の気分を体験するのが面白い。新たな発見がきっとある。

2020年9月23日水曜日

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

 「上野」「美術館」「名作」「巨匠」「日本初公開」といったキーワードを見るだけで、反射的に「長蛇の列」「大混雑」という図式が頭に浮かぶ私は、上野で開催される大型美術展には興味を惹かれても「本場に見に行くからいいや」と避けることがあった。しかし、国立西洋美術館で現在開催中の「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」は、本場で見るからと当分言えそうにない今、行くしかなかった。


「ゴッホ、フェルメール、ベラスケス、ターナー… 奇跡の初来日」と、大混雑要素満載なキャッチコピーに警戒して出かけたが、日時指定制を取ってくれたおかげでだいぶ快適に鑑賞できた。コロナ以降、多くの美術館が事前予約のシステムを採用したが、これは以前から早くそうなってほしいと思っていた。もちろん、その時の気分でふらっと行きたくなることもあるが、空きがあれば直前でもオンライン購入できれば問題ないし、逆に売り切れていればそれは混雑しているということだから、避けられるのもありがたい。

展示内容は、イタリア・ルネサンスから始まり、レンブラントやフェルメールを含む17世紀のオランダ絵画、イギリスの肖像画や風景画などを経て、印象派などフランスの近代美術まで時代を追って見せる。15世紀以降のヨーロッパの美術史の流れを紹介すると同時に、ナショナル・ギャラリーがそれらの作品を所蔵するに至った経緯にも触れた大変頭に入りやすい展示で、作品も一流のものばかりだった。作品選定と展示構成の力によるもので、ただナショナル・ギャラリーに行って作品を個別に見ただけではできなかったであろう発見も多かった。

第一、考えてみればロンドン・ナショナル・ギャラリーには去年の12月にも行ったのに、ダ・ヴィンチの企画展を見ただけで、それ以外のコレクションは全く見ずに帰ってきてしまった(何をしてるんだか)。

国立西洋美術館はこの展覧会が終わった後の10月19日から1年半休館して、前庭をル・コルビュジェが設計した当初の形に戻すらしい。それも楽しみ。

その頃の世の中は、どうなっているだろう。


2020年9月17日木曜日

東京で雲海を見る

ホテル椿山荘東京で10月1日から始まる「東京雲海」のお披露目に伺った。

最初に聞いたときは、「都心で雲海?」と、どんな風に見えるのか想像がつかなかった。ちょっとわくわくしながら伺った日没後。ライトアップされた庭園に、三重塔が浮かび上がる。東京にありながらこの庭園のスケール、改めて圧倒される。何でも景勝地としての歴史は南北朝時代(14世紀!)に遡り、明治時代に山縣有朋が購入して庭園を造ったのだそう。造園は彼の郷里である山口県萩の地形をイメージしたのではと言われている。三重塔は、その後大正時代に追加され、東京大空襲でも奇跡的に消失を免れた。

見ていると、斜面から白い霧が噴き出してきて、眼下に雲海が広がった。

照明で少し色づいた雲海がちょっと幻想的。伝統的な庭園の美に無理やり現代的なものをぶつけるのではなく、うまく調和している。

最先端のノズルテクノロジーによって(どう最先端なのか見当もつかないが)、効率的にミストを発生させているとのこと。ミストは庭園の斜面を滑るように降りていき、低いところで広がり、自然に消えていく。

雲海をバックにした和太鼓グループ「彩」の演奏も絵になった。

この雲海は朝と昼間も定期的に発生させるとのこと。雲海を眺めながら朝食もとれる。本物の雲海を見に行くのは遠くても、東京で気軽に体験できる雲海は、新名所になるかも?




2020年9月4日金曜日

泥絵に見る江戸の風景

丸の内のインターメディアテクへ「遠見の書割 ポラックコレクションの泥絵に見る『江戸』の景観」展を見に行った。

インターメディアテクは商業ビル内にありながら、土器から大型絶滅鳥の骨格標本まで、膨大な数の学術標本が展示された真面目な博物館。展示室のレトロなデザインが独特の不思議な雰囲気を醸し出す。隅から隅までじっくり見れば一日つぶせそうだが、それはまたにする。

さて、今回見た泥絵は、江戸時代後期に江戸などの風景を描いた洋風画の数々。安い土産物として売られ、長い間それ以上の芸術的評価がされることはなかったらしい。

泥絵の特徴とされる画面全体のブルーは、ベロ藍と呼ばれた舶来の化学染料が使われた。全体にぺたんと塗られた不透明な青は、抜けるような青空なのか、どよんとした薄曇りなのか、ときにはっきりしない。

旅人が持ち帰る都市の景観画としては、ヨーロッパのヴェドゥータと同じような役割だったのではと思うが、ヴェドゥータはカナレットのような芸術家が世界に名を残しているのに対して、泥絵で名を残した作者はほとんどいない。確かに緻密さの点では、ヴェドゥータと泥絵は比べ物にならない。逆に言えば、泥絵は簡略化した絵でうまく土地の雰囲気を伝えていて、見た人にそこに行きたいと思わせることより、実際に行った人の旅の想い出を引き出すにはちょうどいい加減だったのかもしれない。

旅先で見た風景を想い出に持ち帰りたいという思いは、今も昔も変わらない。写真がなかった時代はこうした風景画が頼りだったし、今でも、自分で撮った写真とは別に絵はがき(写真はがき)を求める人は多い。でも時々、写真をたくさん撮っただけで風景を記憶したような気になっていることもある。(そしてちょっと昔の写真を見て、「あれ、こんなとこ行ったっけ?」となる。)

旅の記憶は外付けハードディスクに頼り過ぎてはいけないと、常々思っている。天気さえはっきりしない泥絵を見て、自分がそこに立っていた時のことを鮮やかに思い出すことができた江戸の人々を見倣いたい。

2020年8月7日金曜日

輝きの体験「INTENSITY」展


銀座のポーラミュージアムアネックスで開催中の「INTENSITY」展へ。松尾高弘氏の光のテクノロジーアート3点が展示されている。点数は少ないが、去り難さを感じる展示だった。

最初の作品「Phenomenon」は、横長のスクリーン上を砂金や炎を思わせる粒子の群れが、生き物のように流れる。

一見、自然でランダムな動きの裏に、綿密な計算が存在する。





黒いカーテンをくぐって進むと、暗い空間に輝く光のオブジェが浮かぶ。「Flare」という作品。一見、軽く脆そうにも見える多面体のプリズムが、真夜中の太陽のような力強い光を放つ。

そして圧巻は最後の「Spectra」。世界初の技術で「太陽光の放射角を持つ特殊なLEDの光」を実現したそう。光は上から降り注ぐ水に反射し、眩く美しい光と水のインスタレーションを浮かび上がらせる。あらゆるゴールドやシルバーのライトを集めたような華やかで圧倒的なきらめきに、時々、線香花火の繊細な閃きが混じったような光の雨。


ああ、残念なことにこの写真ではその美しさの千分の一も伝わらない…。

いやきっと、たとえ腕のいいカメラマンが8Kカメラで撮ったとしても、あの輝きも、それを目の前にしたときに感じる高揚もしくは沈静も、再現できないと思う。

テクノロジーと光と水を組み合わせることで、人間のリアルな知覚に訴えるエネルギーのある作品だった。


この展覧会は2020年9月6日まで。ソーシャルディスタンス確保のため予約制をとっており、各時間枠の定員は少人数なので安心して鑑賞できる。満席になってしまうこともあるので、早めの予約を。



2020年6月10日水曜日

「コズミック・ガーデン」

6月に入り、都内のアート展も再開し始めている。

ここ2か月くらい、家にいるのはそれほど苦にならず、退屈もしなかったほうだが、アートを見に行くことについては「ないと寂しい」と感じていた。世界の名だたる美術館が作品をオンラインで無料公開しているのも知っていたが、何故かあまり熱心に見たい気持ちは起らなかった。

銀座のメゾンエルメスフォーラムを通りかかり、ブラジルのアーティスト、サンドラ・シントの「コズミック・ガーデン展」のポスターを見て、吸い込まれるように入った。

会場に入ると、薄いブルーの下地に、白い細い線で不思議なドローイングが描かれた壁が続く。描かれたものは正体不明で、雲のようでもあり、細胞のようでもあり、クラゲのようでもある。朝の海を思い浮かべた。これは人によって感じ方が異なるだろうし、その時差し込む光にも影響されるかもしれない。梅雨入り前で晴れていた東京の午後の日差しは、摺りガラスを通して柔らかな光になり、穏やかな海を連想させた。


そしてブルーは次第に濃くなり、反対側のコーナーでは夜空のような色になる。この青のグラデーションは、宇宙を象徴的に表しているそうだ。


コオロギの鳴き声が流れ、夏の星降る夜の空を見上げる気分。でもよく見ると、花火のような、タンポポの綿毛のような。


アートは、鑑賞者が自分の存在を理解するひとつの方法だとするシント。その理解につながっているのかはわからないが、作品の空間に没入し、空想することで、鑑賞者はその世界の自分なりの解釈を自然に考える。これは実体験だからできることだと、今は思うが、オンラインの仮想空間で同じ感覚を持てる日が、ほどなく来るのだろうか。1年前には予想もしなかった世界の変化で、スタンダードもどんどん変わる。適応していくことは、人間の感覚を進化させるのか、退化させるのか、それとも違う生き物になっていくのか、コズミック・ガーデンの中で考えた。