2018年12月10日月曜日

カンヌでの昼休みの過ごし方

様々な見本市や商談会が開催されるカンヌを仕事で訪れたことがある人は多いと思う。私もかつてはテレビ業界のマーケットで春と秋に訪れ、近年はラグジュアリー・トラベルの商談会で毎年12月ににカンヌに行く。

数年前に知って以来、カンヌを訪れた際は必ず行く場所がひとつある。クロワゼット沿いにあるLa Malmaison(マルメゾン)という美術館。


小さな美術館だが、結構面白い企画展をやっていることが多く、昼休みの1時間を使って行くようにしている。今年は「De Brauner à Giacometti et de Léger à Matta(ブローネルからジャコメッティ、そしてレジェからマッタ)」という近代アートの展示だった。

Anne Gruner Schlumbergerというコレクターの約1000点の所蔵作品から厳選した56点を展示。特に彼女が個人的に親交があったヴィクトル・ブローネルとマックス・エルンストにスペースを割いている。展覧会のタイトルにあるアルベルト・ジャコメッティ(トレードマークの彫刻ではなく、デッサン2点)、フェルナン・レジェ、ロベルト・マッタのほか、パウル・クレーやデュビュッフェなどもあり、シュルレアリスムやその周辺の時代のアーティストたちの作品を集めている。ブローネルなど、これまで見る機会がなく、Wikipediaの日本語ページがないようなアーティストの作品を発見できるいい機会でもある。

規模としては30-40分もあれば見られ、商談会の会場のパレ・デ・フェスティバルからの往復を含めても1時間で収められる。鑑賞後はそれなりの充実感もあり、昼休みの有効な使い方だと思っている。

しかしこの美術館、いつ行ってもガラガラなのだ。今年は例年になく宣伝に積極的で、クロワゼットの並木に沿ってバナーが出されていたにも関わらず、訪問時は他に誰もいなかった。

カンヌを何度も訪れていても、市内で買い物以外の観光をしたことがない人は結構多い。コートダジュールの太陽と青い海というリゾート地としてのステータスそのものがカンヌの売りなので、いわゆる観光スポットが少ないことも事実ではある。そんな場所に仕事で行ったら、昼休みくらい、テラスレストランで白ワインを飲み、まぶしい日差しの下、わざわざこのために持ってきたサングラスをかけ、新鮮なシーフードのランチでも楽しみたいと大抵の人が思って不思議はない。

とはいえ、マルメゾンがここまで見過ごされるのはちょっともったいない気がしている。カンヌに3、4日も滞在するのなら、昼休みのうち1回を使って立ち寄ってみても損は無いと思う。(マルメゾンは13時から14時はクローズするのでご注意を)。
夜は素敵なライトアップ!












2018年12月1日土曜日

エゴン・シーレとバスキア

パリのルイ・ヴィトン財団美術館で、エゴン・シーレとジャン=ミシェル・バスキアの個展を同時開催している。

どういう意図でこの二人を並べたのか不明だが、共通点は、時代のオーソドックスから逸脱していたことと、シーレが28歳、バスキアが27歳でいずれも夭逝していること。今年2018年はシーレの没後100年、そしてバスキアの没後30年に当たる。

作品数はシーレが約100点、バスキアが約120点と、大差ないのだが、バスキアの作品は一つ一つが大型なために、4フロアにもわたって展示されている。最近、日本人が123億円で落札したことばかりが話題になったドローイングもあったが、これは1981年から83年に制作された3点の「Heads」のひとつで、今回初めて一緒に展示されているということを知った。

アンディ・ウォーホルとのコラボレーションの時代を経て、ウォーホルの死後、晩年のバスキアの作品は、ヘロインの影響もあったのか、自分の内面に抱えた表現しきれないものを、テキストを多用することで表現しようとしていたような印象を受けた。

エゴン・シーレのほうは、もっとコンパクトなスペースに収まっているが、見応えは十分。1908年から亡くなるまでの10年間の作品を時系列で展示し、その「線」の変化を追う。初期はユーゲントシュティールやクリムトの影響を受けた「装飾的な線」、続く1910年からは「表現主義の実存的な線」と題され、彼が得意とした自画像など、色彩豊かで軽やかな作品が並ぶ。

第一次大戦の影が落ち始めた1912年以降、線のしなやかさが消え、フラットさが目立つようになる。

大戦中は、シーレも招集されたが前線には行かず、制作活動は細く続けることができた。そしてウィーンに戻った後、1908年の第49回分離派展には約50点の作品を出品。そこで再評価され、まさにこれからというときに、流行していたスペイン風邪にかかり、命を落としてしまう。下の写真は、遺作となった未完の作品。


これはあくまでも個人的な所感だが、二人とも同じくらい短い人生ではあったが、バスキアは終末に向かって進み、燃え尽きた感があったのに対し、シーレは、ふっと消えてしまったような印象だった。

二つの展覧会は2019年1月14日まで。




ピカソ 青とバラ色、そしてオークル

パリのオルセー美術館で開催中の「ピカソ 青とバラ色(Picasso, Blue and Rose)」という展覧会が面白い。本当は、ピカソ美術館の「Masterpieces」展を見に行くつもりだったが、オルセーの展示の評判を目にし、ウェブサイトをチェックすると、オンラインチケットの直近の枠が次々に売り切れていくのを見て、思わずこっちにした次第。


生涯で約15万点もの作品を残したピカソは、どの時代を切り取ってもそれなりの作品数の展覧会が成立するが、1900年から1906年の青色の時代とバラ色の時代にフォーカスした展示は、意外にもフランスではこれが初めてとのこと。

18歳から20代半ばにかけてのまさに多感な青年時代のピカソの作風は、わずか6年間で様々に変化する。しかし俯瞰で見ると、どこかで劇的な変化が起こるわけではなく、自然なシークエンスとしての変遷だとわかる。

1900年にパリを訪れたピカソは、ロートレック、ゴッホ、ドガなどに影響を受け、自分の作風にそれらを取り込む。そして翌年、初めてパリのヴォラール・ギャラリーで開いた個展が大成功を収め、パリのアートシーンで一躍注目されるようになった。

その直後、親友の自殺を機に、ピカソが青を多用するようになるのは良く知られた話。女性刑務所や、悲しみや痛みをテーマにした絵を様々な青色を使って描いた。ピカソによるっと青の使用は「内面から生まれたもの」だったそうだが、夜、パラフィンランプの灯りで描いた影響もあったのでは、という見方もある。

その後、恋人ができたピカソ。作風自体は大きく変わることはなかったが、モノクロームだったパレットに少しずつ色が加わり、バラ色の時代へ移行する。曲芸師や家族をモチーフにした、温かみのある絵が増える。

そしてこの後、バラ色はオークルへと変化していく。ピレネー山脈にあるスペインのゴスルという村へ旅した際、無駄を徹底的にそぎ落とし、原点回帰に集中したピカソは、パリに戻ると、再度女性の体をモチーフとし、オークルの濃淡だけで絵を組み立てることにフォーカスした。これがその後のキュビズムにつながっていくのがわかる。

6年という短い期間にも関わらず、その時代のアートと、画家の人生のストーリーが交差して見える、とても興味深い展示だった。2019年1月6日まで。






2018年11月30日金曜日

アトリエ・デ・ルミエール

今年4月にパリにオープンした話題の新スポット「アトリエ・デ・ルミエール(L'Atelier des Lumières)。


ここは、東京などでも最近増えている、いわば「没入型デジタル・アート・ミュージアム」。オープンから7か月経っても入場待ちの列ができている。平日は窓口で当日券も買えるが、土日はオンラインの事前販売のみ。このときは金曜午後の時点で土日のチケットは全て売り切れだった。

建物は19世紀に作られた鋳造所。繁栄の後、大恐慌で閉鎖され、その後ずっと放置されていたのが、5年ほど前に再発見された。当時、ボー・ド・プロヴァンスの古い石切り場を使った「カリエール・ド・ルミエール」を成功させたCulturespaces社が目をつけ、パリで同様のプロジェクトを立ち上げる場所に選んだ。




2019年1月6日までのメインのオープニング・プログラムは「グスタフ・クリムト」と「フンデルトヴァッサー」(なぜかいずれもオーストリア)。エゴン・シーレもあったし、他にもいくつかショートプログラムが挟まれる。プロヴァンスの「カリエール~」が印象派中心なので、敢えて違うテイストを持ってきているのかもしれない。

一歩中に入ると、絵に包まれる。無数のプロジェクターから壁と床一面に映像が投影され、床を見ているだけでも、ここが19世紀頃の宮殿になったり、目まぐるしく変化する空間に引き込まれていく。

一番人気のクリムトのプログラムでは、有名な「接吻」を含むクリムトワールドがダイナミックに展開する。

ちょっと意外だったのは見る人たちの「作法」。あおおかたの人が一つの場所にとどまって映像を鑑賞し、一つのシークエンスが終わると皆、拍手をして、次のプログラムまでの間に場所を移る。まるで映画か寸劇を見にきているような冷静さなのだ。

5年ほど前に訪れたプロヴァンスの「カリエール~」では、(記憶では)敷地がもっと広かったこともあり、皆、映像の中を自由に散策して楽しんでいる感じだった。イマーシヴという意味では、そちらのほうが自然だったように思う。

どちらがいいということはないし、また、仕組みにもそう違いはないはずなのだが、パリの「アトリエ・デ・ルミエール」はシアター、プロヴァンスの「カリエール・ド・ルミエール」はエクスペリエンスという表現が近いように思った。でもいずれも、大人から子供まで、幅広い層がアートを楽しめるスポットではある。

行かれる際は、オンラインで事前にチケットを買うのをお忘れなく。

2018年11月29日木曜日

イヴ・サンローラン美術館 in Paris

パリはいつ行っても美しい場所に溢れているが、中でもイヴ・サンローラン美術館は、パリらしいエレガンスと美しさを感じられる場所だと思う。

16区にあるこの建物は、1974年から2002年までサンローランがコレクションのデザインを行っていた場所。その後、ピエール・ベルジェ - イヴ・サンローラン財団の本部として、以前から小規模なアートの展示等を行っていたが、2017年10月にサンローランにフォーカスした美術館として生まれ変わった。同時期にモロッコのマラケシュにももう一軒のイヴ・サンローラン美術館がオープンしている。


美術館は、サンローランの作品とそのクリエイティビティに迫るだけでなく、今では過去のものになってしまった20世紀の「オートクチュール」の伝統と、それに付随した生活様式を紹介する役割も担う。

2019年1月27日までは「Yves Saint Laurent:  Dreams of the Orient (東洋の夢)」という企画展を開催中。サンローランが日本、中国、インドから受けたインスピレーションを反映したドレスの数々が展示されている。


ドレスの美しさもさることながら、サンローランのアート作品のようなデッサンの美しさにも目を惹かれる。


美術館にはデザイナーのアトリエも再現されている。

女性をより美しく、優雅に見せることを追究したサンローラン。そのドレスを身に付けたらどんな女性でもエレガンス溢れる振舞いになったに違いないと、サンローランの魔法を見た気がした。

2018年11月25日日曜日

メゾン・アトリエ・フジタ

今年2018年は、藤田嗣治の没後50年に当たり、日本でも回顧展が東京と京都を巡回している。それは彼が後半生を過ごしたフランスでも同じで、各地で彼の作品の展覧会が開かれている。

回顧展を見て、もしくはそうした話題に触発されて、改めて藤田作品の魅力に惹かれた人も多いと思う。そういう人には特に「メゾン・アトリエ・フジタ(Maison-Atelier Foujita)」を訪れることをお勧めしたい。いわゆる「画家のゆかりの地」はあまたあれど、画家の息吹を感じられる場所はそう多くはない。ここはまさにフジタの息吹を感じられる場所だと思う。

パリから南西に車で小一時間のVillier-le-Bacleという静かな町。ここにフジタが晩年を夫人と暮らした自宅兼アトリエがある。

メゾン・アトリエ・フジタは、画家の没後、夫人がエッソンヌ県に寄付し、現在は歴史的記念物に指定され、保存・公開されている。家の中はスタッフが案内するツアーで見学する。土日は予約不要、平日は5名以上のグループなら予約して見学が可能。案内は基本的にフランス語だが、日本語や英語のオーディオガイドも用意されている。オーディオガイドではフジタが晩年に録音した肉声も聞ける。

18世紀に建てられた小さな3階建ての家は、フジタと夫人が暮らしていたそのままに残っており、庭にはフジタが植えた木も生き生きとしている。シンプルながら几帳面に整えられた室内には、フジタの生活に対するこだわりと、アーティストとしての遊び心が反映されている。

1階はキッチンとダイニング。キッチンには60年代っぽいレトロな道具が整然と並び、壁のタイルはフジタ自身が絵を描いたもので補修されている。



庭を見下ろす2階には寝室とリビング。小ぶりなベッドと、その横に掛かったベストとシャツに、フジタは小柄な人だったのだと想像する。

暖炉の脇の飾り棚に置かれたレコードプレーヤーには、美空ひばりのLPがかかっていた。とてもフランス的な空間に時折覗く日本。

そしていよいよ3階のアトリエへ。

まるでついさっきまで仕事をしていた画家が、ちょっと席を外しているだけのようで、50年も経過しているとは思えない。無造作に置かれたペンや道具の傾きひとつをとっても、フジタが置いたそのままであるかのようだ。ほこりをかぶらないようよくメンテナンスされているのもわかる。そのお蔭もあり、ここは過去の場所ではなく、今も進行形であるかのような空気がある。


奥の壁一面には、フジタがカトリックの洗礼を受けたシャンパーニュ地方のランスで、1965年から66年にかけて制作したノートルダム・ド・ラペ礼拝堂の壁画の下絵。当時80歳近かったフジタの最晩年の作品の一つで、下絵と言ってもその緻密さと迫力は下絵の域を超えている。周りに置かれた使いかけのパレットなどの道具に、ここに立って制作をしていたフジタの姿がイメージできる。ランスの礼拝堂は4月から9月までしか開いていないが、ここでは一年中、この絵を間近で見られる。


アトリエの片隅には、フジタが描いた落書き(?)が。
この家は18世紀に建てられ、フジタ夫妻が1960年10月14日から所有者になったことがイラストとともに記されている。

パリに戻る前に、メゾン・アトリエ・フジタから車で10分くらいのChateau du Val-Fleuryへ。ここでも小規模だがフジタの展覧会があった。

 「Foujita Moderne」と題されたこの企画では、フジタの大型の作品と、エッソンヌ県の現代アートコレクションを一緒に展示している。



フジタワールドに浸ることができたショートトリップだった。


2018年9月2日日曜日

藤田嗣治展

東京都美術館で開催中の「藤田嗣治展」を見た。没後50周年を記念しての大回顧展。確かに藤田の作品はあちこちの美術館で目にするが、これほど多くの作品を体系立てて鑑賞する機会はこれまでなかった。

藤田と言えば「乳白色」が代名詞。この展覧会でも1920年代の肖像画を集めた「『乳白色の裸婦』の時代」というコーナーが一つの山場となっているが、彼の人生全体の文脈の中ではそれは一つの時代であり、むしろ、各時代の彼の境遇や社会情勢などを重ねながら全体を鑑賞すると、乳白色以上のものが印象に残る。

特に切なく印象に残ったのは、キービジュアルになっている「カフェ」という作品。エコール・ド・パリの寵児として華やかな時代を過ごした藤田は、戦争でパリから日本に戻り、戦時中は「アッツ島玉砕」などのいわゆる戦争画を描いた。そのせいで終戦後、戦争協力者よばわりされ、日本を離れる。すぐにもフランスに戻りたかったが入国許可がなかなか下りず、しばしニューヨークに滞在する。そのときに描いたのがこの「カフェ」。すぐ目の前にある風景を描いているようだが、そうではなく、文化も風景も言語も違うアメリカの地で、パリの記憶を呼び起こしながら描いたのだろう。故郷に対する「郷愁」とは少し違う、過ぎてしまった時代や、戦争に巻き込まれる前の自分、遠く海を隔てたところにある美意識などに対する追憶が背景にある気がした。

キャラクターとの質感のギャップがすごい…

一方、1930年代の南米時代の作品は、全く藤田らしくなく、毒々しい色使いで描かれている。他の鑑賞客が「これ、全然良くないわよね。出さなきゃいいのに。」と話していたが、絵にサインもしていないことから、作風が変わったのではなく敢えてキッチュな作品を描いていたと思われ、それがまた、藤田の守備範囲の広さと柔軟性を示していて興味深い。

藤田は触感や質感を描くのにもすごく長けていた。猫などの動物は見ているだけで、柔らかさや、毛並みに沿って撫でたときのつやつやした手触りが思い出せる。

もう一つ印象に残ったのは「機械の時代(アージュ・メカニック)」という1958年の作品。今から60年前の子供たちが、当時の最先端の機器で遊んでいる様子を描いたもので、それぞれダイヤル式の電話、掃除機、ミシン、飛行機、電車などなどを手にしている。
(絵はこちらで見られます http://parismuseescollections.paris.fr/fr/musee-d-art-moderne/oeuvres/age-mecanique#infos-principales
当時としてはかなり未来的な絵だったのではないか。今見ても、不気味なくらい未来的。タイトルにある「機械」は当然、子供たちが手にしている道具だったはずだが、この無表情な子供たちを見ていると、「え?そっち?」と思えてくる。AIが道具を手にして遊ぶ未来図だろうか…。

この回顧展は東京、京都を巡回予定。必見の展覧会だと思う。



2018年8月1日水曜日

千住博&チームラボの「水」

お台場にオープンしたチームラボの美術館は連日盛況と聞く。
一方、この夏、大阪に「水」の展示ありと聞き、敢えてそちらを見に行った。

堂島リバーフォーラムで開催中の「千住博&チームラボ コラボレーション展『水』」。この2組のアーティストの競演、どんなものになるのか興味があった。

会場に入ると、ダイナミックな波に囲まれる。
リアルな波の映像が、まるで生きているように不規則な動きを繰り返し、壁の鏡面に映って永遠に続く。


そして奥に進んでいくと、あの滝が。天井から下がる布に描かれた白い滝は、周りを激しい波に囲まれ、風で少したなびきながら、滝としての動きも音も中に封じ込めたような、不思議な存在感を持ってそこにあった。


客層は大人中心。皆静かに、その世界を散策している。チームラボお得意のインタラクティブ性や、カラフルな動物たちの姿はないが、それが一層、生き物のような波の躍動感と、対照的な滝の神秘性を際立たせる。

本物の水は一滴も使われていないのに、この上なく水を感じる展示だった。
ひと時の涼を求める大人の夏休みに。

(この展示は2018年9月2日まで開催。)



2018年7月16日月曜日

Raffles Makatiのアートツアー

最近「ホテルアートツアー」にはまっている。

作品の質、数ともに優れたアートコレクションを持つホテルは少なくないが、インテリアの一部としてさりげなく展示されているため、興味がなければ素通りしてしまうかもしれない。しかし時にホテルは、美術館以上に充実したアート鑑賞ができる場所となり得るのだ。

先日マニラで滞在したラッフルズ・マカティもそんなホテルだった。約1600点のアートコレクションは、全てホテルがローカルアーティストに依頼したコミッションワーク。地元のアート産業振興のためもある。

ロビー階エレベーター前の絵画にはラッフルズのロゴが。
ロビーラウンジ、レストラン、廊下など、ホテルのあらゆるパブリックスペースにインパクトあるアートが飾られている。それらを見るだけでも楽しいが、ここはアートコンシェルジュのツアーをお願いしたほうがいい。

ツアーをお願いするメリットは、作品の背景を聞けることと、ホテルによっては、勝手に入れない場所にアクセスできることもある。

ラッフルズ・マカティは、ホテル棟に隣接してレジデンス棟がある。ホテル宿泊者は普段はレジデンスの建物には入れないが、今回はレジデンス棟のアートも案内頂いた。

レジデンスのアートはフロアごとにテーマがあり、どれもフィリピンのローカルカルチャーを感じられるものばかりだった。

あるフロアのテーマは「籠」。昔からフィリピンの日常に欠かせなかったアイテムをフィーチャーすることで、人々の生活や文化を想像させる。


フィリピンの名所建築にフォーカスしたフロアもある。マラカニアン宮殿の絵の前では、スペイン植民地時代から建つ宮殿が、アメリカ植民地時代を経てフィリピン大統領府となるまでの歴史も簡単に説明してくれる。
マラカニアン宮殿
他にも、南国っぽさ溢れる鮮やかな色彩で、植物で編んだキャンバスに日常の風景を描いた絵が並ぶフロアもあった。


マニラでは毎年春にアートフェアが開催され、規模も年々拡大していると聞く。今年は初めてのビエンナーレも開催された。しかしそれらのイベント期間を除いては、市内でビジターがコンテンポラリーアートを堪能できる場所は少ないと感じる。ラッフルズのアートコンシェルジュも、フィリピンの現代アートを盛り上げる必要性を説いていた。だからこそこのホテルは、今のローカルアーティストたちの作品の一端に確実に触れることができる貴重な場所であり、また、作品が「ローカルカルチャー」という切り口で制作され、キュレーションされていることで、海外からのゲストにフィリピンの歴史や文化に目を向けるきっかけを与えている。

このホテルに泊まったことが、マニラのアート体験の質を高めてくれた。





2018年5月31日木曜日

ザ・リッツ・カールトン・シンガポールでアート鑑賞

アートに囲まれたホテルステイは楽しい。

シンガポールのアートホテルと言えば、作品数においてザ・リッツ・カールトン・ミレニア・シンガポールは他の追随を許さない。4,200点にも上るそのモダンアートのコレクションは、シンガポールはもちろん、東南アジアでもトップクラスとされる。

ロビーを入るとまず、天井のフランク・ステラの彫刻が目に入る。

左右のラウンジとレストランの壁には、ガラスアーティストのデイル・チフーリの作品が。ラウンジは彼の名前を取ってチフーリ・ラウンジと呼ばれる。


他にもヘンリー・ムーアのドローイングや、デヴィッド・ホックニーのリトグラフなど、興味深い作品がたくさんある。スタッフに言うとホテル内のアートガイドブックをくれる。3フロアに渡って展示された作品のマップと解説が記されており、わかりやすい。スタッフにアートツアーを依頼することもできるし、ガイドブックを見てセルフツアーをすることもできる。


美術館に行く時間がない忙しい滞在でも、このホテルなら、アートと、シンガポールらしい風景を楽しめる。

Parkview Museum Singapore

シンガポールのParkview Museumは、知る人ぞ知る必見のアートスポット。

オーナーは、アジア有数のコンテンポラリーアートコレクションを所有するファミリー。北京にある同じ名前の美術館とそれに隣接するホテルにも、コレクションの一部(といってもかなりの数)が展示されている。

シンガポールの美術館はブギス地区にあり、2017年春にオープンした。企画展は年に3かいくらいのペースで入れ替わる。今は「Challenging Beauty」と題し、イタリアの現代アート作品を展示している(2018年8月19日まで)。

Roberto Barni 「Clandestini」

30名近いアーティストたちの作品を通じ、第二次大戦後のアルテ・ポーヴェラ、70年代のトランスアバンギャルドのムーブメントを経て、若い世代のアーティストたちが新ロマン主義や実存主義の影響を背景に現代を表現する、イタリア美術の流れを追う。どこかシュールなタッチの作品が多いのは、キュレーションだけでなくオーナーの趣味が反映されているのだろう。

Paolo Grassino「The God is Not in Me」

もはや彫刻も3Dプリンターで作る時代。時代とともに道具も変わるのは当然の流れ。
Carla Mattii 「ST#7」
この美術館は毎日オープンしており、寛大なことに入場無料。しかしその作品とキュレーションのクオリティは、シンガポールの有料の美術館に勝っているかもしれない。

入っている建物も見逃せない。Parkview Squareというビルは、外観だけでなく内部にもアールデコの装飾をふんだんに施したとても贅沢な建築物。歴史的建物かと思いきや、2002年完成だそう。


1階にあるバー「Atlas」はWorld's 50 Best Barsにもランクインしている人気のスポット。この店のシンボル「ジン・タワー」には天井近くまでジンのボトルが並び、もはやアートの域(以前はワインタワーだったらしい)。ランチも楽しめるので、明るい昼間の時間帯に行って鑑賞することをお勧めする。



2018年5月2日水曜日

豊島美術館

「とにかく、行けばわかるから。」

瀬戸内海の豊島(てしま)の話をしていたとき、ある人が言った。
あの辺りの島の中で、最もアートを感じられる場所だ、と。

岡山の宇野港から豊島行きのフェリーに乗る。先に出た直島行きのフェリーに比べて乗客の数はだいぶ少ないが、共通していたのは、外国人観光客がほとんどだったこと。10年ほど前に直島に来たときは日本人ばかりだったと記憶しているが、いまや直島をはじめとする瀬戸内海の島々は、「art islands」としての地位を確立し、世界中からアートファンが訪れる。

約20分で豊島に着くと、そんなインターナショナルさはかけらも感じさせない、のんびりした田舎の島だった。意外とアップダウンがある道を、レンタサイクルの外国人たちが走っている以外は。

田園風景が続く通り沿いを進むと、「美術館前」のバス停看板が突然現れ、しかし、どこにも建物が見えない。少し回り込むと、緑の中に浮かぶ白い曲線の建物がふたつ。


豊島美術館は、建物の中に作品が展示されているのではなく、建物と空間そのものが作品になっている。内藤礼の「母型」という作品で、建築は西沢立衛。天井が空いているほうがアートスペースで、もう一つはカフェ&ショップの建物だった。

アートスペースに入る前に靴を脱ぎ、係の人から説明を受ける。中では写真撮影禁止、話し声は控えめに。

そして、繭玉のような建物に入る。
上から下まで白い空間と、天井に空いた二つの大きな穴。
ひんやりしたコンクリートの床には、水がどこからか湧き出てきて、傾斜に沿って、まるで生きたトカゲのように細くゆっくり走っていく。

白い建物と空と光が一体化した中で、言葉で表現するのが難しい幻想と感動に包まれる。

ああ、なるほど。
これは来てみないとわからない。

宗教に依らない安らぎの空間とでも言おうか。
他の鑑賞者たちも皆、静かに、うっとりしたように、その場を楽しんでいる。

普段、美術館が大した理由もなく写真撮影を禁じるのは好きではないが、豊島美術館が写真撮影をさせないことは納得できる。誰でもこの美しい瞬間をカメラに収めたいと思うはずだが、撮ることに気を取られてしまったら、この空間と鑑賞者との繋がりはきっと薄れる(シャッター音があちこちで鳴り響くことが好ましくないことも当然として)。

白の余韻を背負ったまま美術館を後にすると、隣の棚田では、黄色の菜の花が満開。


豊島の良さは、とにかく、行けばわかる。
行かないと、わからない。


2018年4月1日日曜日

北京・今日美術館の前で

先日、北京滞在中に「今日美術館(Today Art Museum)」を通った。辺りはデザイン関係のショップやオフィス、ギャラリーなどが集まり、文化的な香りがする一角だった。

残念ながらちょうど展示のはざまだったため、館内には入らなかったが、建物の前にYue Minjunの彫刻が。

何がそんなに可笑しいんだろうと思うくらい爆笑している人々。こっちまで笑ってしまう。

アートを超えて、もはやエンターテイメント。