2018年12月1日土曜日

ピカソ 青とバラ色、そしてオークル

パリのオルセー美術館で開催中の「ピカソ 青とバラ色(Picasso, Blue and Rose)」という展覧会が面白い。本当は、ピカソ美術館の「Masterpieces」展を見に行くつもりだったが、オルセーの展示の評判を目にし、ウェブサイトをチェックすると、オンラインチケットの直近の枠が次々に売り切れていくのを見て、思わずこっちにした次第。


生涯で約15万点もの作品を残したピカソは、どの時代を切り取ってもそれなりの作品数の展覧会が成立するが、1900年から1906年の青色の時代とバラ色の時代にフォーカスした展示は、意外にもフランスではこれが初めてとのこと。

18歳から20代半ばにかけてのまさに多感な青年時代のピカソの作風は、わずか6年間で様々に変化する。しかし俯瞰で見ると、どこかで劇的な変化が起こるわけではなく、自然なシークエンスとしての変遷だとわかる。

1900年にパリを訪れたピカソは、ロートレック、ゴッホ、ドガなどに影響を受け、自分の作風にそれらを取り込む。そして翌年、初めてパリのヴォラール・ギャラリーで開いた個展が大成功を収め、パリのアートシーンで一躍注目されるようになった。

その直後、親友の自殺を機に、ピカソが青を多用するようになるのは良く知られた話。女性刑務所や、悲しみや痛みをテーマにした絵を様々な青色を使って描いた。ピカソによるっと青の使用は「内面から生まれたもの」だったそうだが、夜、パラフィンランプの灯りで描いた影響もあったのでは、という見方もある。

その後、恋人ができたピカソ。作風自体は大きく変わることはなかったが、モノクロームだったパレットに少しずつ色が加わり、バラ色の時代へ移行する。曲芸師や家族をモチーフにした、温かみのある絵が増える。

そしてこの後、バラ色はオークルへと変化していく。ピレネー山脈にあるスペインのゴスルという村へ旅した際、無駄を徹底的にそぎ落とし、原点回帰に集中したピカソは、パリに戻ると、再度女性の体をモチーフとし、オークルの濃淡だけで絵を組み立てることにフォーカスした。これがその後のキュビズムにつながっていくのがわかる。

6年という短い期間にも関わらず、その時代のアートと、画家の人生のストーリーが交差して見える、とても興味深い展示だった。2019年1月6日まで。