2018年12月1日土曜日

エゴン・シーレとバスキア

パリのルイ・ヴィトン財団美術館で、エゴン・シーレとジャン=ミシェル・バスキアの個展を同時開催している。

どういう意図でこの二人を並べたのか不明だが、共通点は、時代のオーソドックスから逸脱していたことと、シーレが28歳、バスキアが27歳でいずれも夭逝していること。今年2018年はシーレの没後100年、そしてバスキアの没後30年に当たる。

作品数はシーレが約100点、バスキアが約120点と、大差ないのだが、バスキアの作品は一つ一つが大型なために、4フロアにもわたって展示されている。最近、日本人が123億円で落札したことばかりが話題になったドローイングもあったが、これは1981年から83年に制作された3点の「Heads」のひとつで、今回初めて一緒に展示されているということを知った。

アンディ・ウォーホルとのコラボレーションの時代を経て、ウォーホルの死後、晩年のバスキアの作品は、ヘロインの影響もあったのか、自分の内面に抱えた表現しきれないものを、テキストを多用することで表現しようとしていたような印象を受けた。

エゴン・シーレのほうは、もっとコンパクトなスペースに収まっているが、見応えは十分。1908年から亡くなるまでの10年間の作品を時系列で展示し、その「線」の変化を追う。初期はユーゲントシュティールやクリムトの影響を受けた「装飾的な線」、続く1910年からは「表現主義の実存的な線」と題され、彼が得意とした自画像など、色彩豊かで軽やかな作品が並ぶ。

第一次大戦の影が落ち始めた1912年以降、線のしなやかさが消え、フラットさが目立つようになる。

大戦中は、シーレも招集されたが前線には行かず、制作活動は細く続けることができた。そしてウィーンに戻った後、1908年の第49回分離派展には約50点の作品を出品。そこで再評価され、まさにこれからというときに、流行していたスペイン風邪にかかり、命を落としてしまう。下の写真は、遺作となった未完の作品。


これはあくまでも個人的な所感だが、二人とも同じくらい短い人生ではあったが、バスキアは終末に向かって進み、燃え尽きた感があったのに対し、シーレは、ふっと消えてしまったような印象だった。

二つの展覧会は2019年1月14日まで。