シンガポールはストリートアートが面白い。
中でもチャイナタウンが代表的で、メディアでもよく紹介されるので見に行く人も多い。その作品レベルをひとりで上げている立役者がイップ・ユー・チョン (Yip Yew Chong) 氏。チャイナタウンで育ったイップさんの壁画は、とにかくシンガポール愛に溢れている。
もともと金融関連の仕事をしながら絵を描いていたイップさん。2018年以降は仕事を辞めてより多くの時間を絵に費やしているそう。彼の絵のサイズや表現の細かさを見れば、時間も集中力も必要なのがよくわかる。
イップさんの壁画制作は、誰も見ていないときにいつの間にか描いていなくなるバンクシー型ではなく、大きな壁いっぱいに下絵から仕上げまで、炎天下の日も雨の日も、何日間、何週間もかけて丁寧に描くスタイル。当然、壁の持ち主の許可も取ってある。
テーマはイップさんが子供のころに見た1970-80年代のシンガポールの風景や物語が多い。特に人気なのはTemple Streetにある3階建ての家の壁画。これは必見!
建物の1階右側部分は賑わうコーヒーショップの風景。
建物の裏口にも絵が続く。もはや建物ラッピング。
この壁画の制作中に撮られた動画を見たところ、下絵が残るうちから常にギャラリーが集まり、イップさんは見物客との記念撮影にも気さくに応じていた。
代筆屋の壁画も有名。イップさんのホームページによると、中国からの移民が故郷に送る手紙を代筆する商売は1980年代まで存在し、旧正月には背景にある赤い飾りのカリグラフィーも請け負っていたそう。
代筆屋の机の向かいに描かれた椅子に座るようなポーズで写真を撮ると、本当にその絵の中にいるように写るのも人気の秘密。この絵に限らず、イップさんの絵にはそういう仕掛けが多い。
京劇の壁画は、建物の権利者をつきとめて制作の許可を得るのに3年かけた執念の作品。舞台とその観客、舞台裏、近くで子供にアイスクリームを売る屋台など、当時の娯楽の様子を物語る。
イップさんが子供時代に家族で住んでいた家の描写も細かい。台所の床に赤いサンダルが転がっている。
その赤い木製サンダルを作る職人の絵もある。家の水場や市場でよく使われていたものだそうで、絵は実際に店が営業していた建物に描かれている。その後、ゴム製サンダルが普及し、木製サンダル屋は閉業してしまった。
イップさんの絵は、思い出を個人的なもので終わらせず、失われゆくチャイナタウンの歴史や文化を後世に伝える役割を果たしているのが素晴らしい。壁画のクオリティの高さが人を呼び、作者自身の体験に基づくそれぞれの絵のストーリーには説得力がある。どんなミュージアムより効果的ではないだろうか。
イップさんの壁画はチャイナタウンやほかのエリアにまだたくさんある。今回はすべての壁画を見られなかったので、シンガポールに行くたびにひとつずつ見に行こうと思う。