2013年12月6日金曜日

ロンドンのSHUNGA展

大英博物館で開催中の企画展「Shunga - Sex and Pleasure in Japanese Art」を見に、ロンドンへ行ってきた。

同博物館のコレクションを中心に、江戸時代から明治初めの数々の春画を時代背景とともに展示している。歌麿、北斎、鈴木春信などなど、誰もが知る巨匠たちの作品も多数。

春画は、描写がデフォルメされているもののあからさまなので、それ自体好き嫌いはあるが、こういうものが(幕府の弾圧を受けながらも)広く楽しまれていた江戸時代の風俗の大らかさを知るうえで興味深い。むしろ当時は西洋人のほうが拒絶反応を示したとか。

しかし海外の芸術家たちにも影響を与えたことは一般の浮世絵と同じ。ピカソも春画のコレクションを持っていたらしい。

見にきていた客層は良く、ほとんどが40代、50代以上の大人。初老の夫婦や、女性同士で来ている人たちもみられた。ユーモアに時々くすりと笑いながら、静かに説明を読み、ゆっくり鑑賞していた。

この展覧会は日本でも巡回展として開催されるべく準備が進んでいるが、打診を受けた美術館の多くは、日本で前例のない展示内容に二の足を踏み、様子見しているらしい。あの大英博物館で展示されたものにも関わらず。

阿修羅像で突然仏像ブームが起こった時のように、日本でもSHUNGAが一躍脚光を浴びる可能性は十分ある。SHUNGAをユーモアあるカルチャーと受け止められる大人が増えさえすれば!

2013年12月5日木曜日

カンヌの旅の神様?

カンヌの空はいつも晴れて、海は青い。誰でも、クルーザーで海を旅してみたい気持ちになっても不思議はない。

クロワゼット通りからちょっと入ったところにある教会。カンヌに来るたびに何度も通り過ぎていたけれど、気に留めたことはなかった。それが昨日、壁に書かれた名前を見て思わず立ち止まった。

「Notre-dame de Bon Voyage」(良い旅のノートルダム教会)。

なんと、ここには旅の神様がいる?

気になったので調べてみると、この教会はかつて「海辺の教会」と呼ばれ、その後19世紀に「安全な航海の教会」と名前を変えた。そして1815年、エルバ島から脱出したナポレオンがフランス領に辿り着き、最初の一夜を過ごしたのがこの教会なのだとか。それを示す碑が教会の外壁にある。

その後、カンヌの町の拡大に伴い教会は建て直され、1879年に旅の神の加護を受けた教会として現在の名前で再開されたそう。

カンヌに行ったら必ずお参りしよう。


2013年12月3日火曜日

デザートサファリ

ドバイを観光で訪れる人は必ずと言っていいほど参加するのが、デザートサファリ。
サファリといっても動物を見るわけではなく、夕陽を見に行く。
4WDで夕方ドバイのホテルを出発し、郊外の砂漠へ出かけ、砂丘のスリリングなドライブを楽しむ。スリルが嫌いな人は、頼めば軽めにも走ってくれる。
そしてサンセット観賞。今の季節は17時半頃。

延々と続く砂の向こう、雲がない空に沈む夕陽。
スリルが好きな人もそうでない人も、この風景は見て良かったと思えるはず。


ドバイのナショナル・デイ

第42回ナショナル・デイの看板
先週末のドバイはお祝いムード真っ只中だった。


バージュ・カリファ
ひとつは12月2日のアラブ首長国連邦(UAE)のナショナル・デイ(建国記念日)。1971年のイギリスからの独立を記念するこの日はUAEではとても大切な祝日。ドバイでも街中至る所に赤・緑・白・黒の4色の国旗と、42回目のナショナル・デイのロゴが掲げられていた。ビルごと国旗の色のラッピングをしたり、一般の人でも自分の車にペイントをしたり、皆が競ってこの日のための飾りつけをしているような印象。また今年は月曜日に当たったため、金曜日から4連休を取る人も多く、週末のショッピングモールやアトラクションはすごい人出だった。

それに加え直前の水曜日に、2020年のエキスポ開催地がドバイに決定し、お祝いのムードを更に加速した。決定の瞬間には花火が上がり、人々の高揚感と未来への期待が最高潮に達したらしい。2020年東京オリンピックの誘致が決定したときの日本の盛り上がりを思い出す。

景気や投資も回復しつつあり、エキスポも決まり、ドバイの開発はどんどん進む。街のそこらじゅうで新しいビルの建設が進み、新ホテルのオープンも続く。「世界一高いビル」の他にも、世界一、中東一を競ったものがどんどん出てくるに違いない。

ドバイ、これからますます面白くなりそう。



2013年11月29日金曜日

ニューヨーク 9/11メモリアル 

先週末、氷点下の寒さのニューヨーク。ワールドトレードセンター(WTC)を訪れた。
WTCは現在再開発が進んでおり、商業コンプレックスとして2014年のオープンを目指している。その中で「9/11メモリアル」と呼ばれる記念碑だけが完成し、一般公開されている。



記念碑はテロで破壊されたツインタワーがあった場所に作られた二つのプールで、四方の壁面から、滝が中央の穴に流れ込んで行く。今はプールの周りの敷地には何もないが、ゆくゆくは木々が植えられ、緑溢れる空間になるらしい。最近話題の樹林墓地を想起させるような、鎮魂の場になるのかもしれない。



2013年11月14日木曜日

夜のためのアート

表参道のエスパス・ルイ・ヴィトンで開催中の"Infinite Renew”展。
これは、絶対に暗くなってから見に行ったほうがいい。

 
窓の外の夜景をバックに、フロアにそびえ立つ3本のスパイラル。
近づくと、色が変化する。
それが窓に映り、夜景の一部となって増幅する。

天井に取り付けられたカメラがセンサーの役割をし、人の動きを感知して色を変える仕組みとのこと。
なんだか、未来の森にいるような気分。

午後5時を過ぎれば真っ暗になり、夜が長い日々が続く冬。
この季節の楽しみ方を増やしてくれるアート空間だった。



2013年10月27日日曜日

ニュージーランド マールボロ・サウンズ④Bay of Many Coves

Bay of Many Coves (以下、BOMC)は、ピクトンから30分ほどの小さな湾にあるリゾート。

海に面した斜面に、全室オーシャンビューのアパートメントが11棟並ぶ。前述したとおり、ここへのアクセスは簡単ではない(10月20日付ブログ)。入り口はジェッティーと呼ばれる桟橋か、小さなヘリパッドのみ。でもそれがエクスクルーシヴ感を一層高め、そういう環境を求めてやって来る客層とうまくマッチしているように思う。ゲストのほとんどがニュージーランド国外からで、日本よりはるかに遠いヨーロッパからのゲストの比率が高い。

ここの魅力は、なんといってもその自然。目の前に拡がる美しく穏やかなマールボロ・サウンズの海と、背後の緑豊かな山に囲まれたBOMCでは、各種のウォーターアクティビティの他、リゾート内での軽いハイキングから、クイーンシャーロット・トラックでの本格的なトレッキングまで楽しめる。しかし敷地内の豊かな森は、もともとあったものではないと聞いて驚く。

Bay of Many Covesの森

BOMCは、もともと2003年から営業していたリゾートを現在のオーナーが買い取り、リノベーション後、2年ほど前にラグジュアリーリゾートとして再オープンしたもの。その際に現オーナーは、野生の鳥たちが棲む森の再生をめざし、敷地内に1万本以上の木を植えた。

マールボロ・サウンズ
地元の自然を取り戻そうという試みはBOMCに限らない。マールボロ・サウンズ内やピクトンでも、特定の種類の木だけが立ち枯れているのを見た。これは、後から入ってきたヨーロッパや米国原産の木がはびこり、ニュージーランドの植生を脅かすようになってしまったため、そうした欧米産の木だけを薬品で枯らし、ニュージーランド原産の木々が再び育つ環境を整えているのだそうだ。

今ではBOMCにはたくさんの野鳥たちが暮らしている。早朝、一定の音階を正確にリピートする不思議な鳥の声が目覚まし代わりにもなった。

毎朝通勤するのは困難なロケーションなため、20名弱のスタッフは皆、リゾート内の宿舎に住んでいる。オーナーは彼らを「ファミリー」と呼ぶ。また、全11室なのでゲストの数も多くはない。何日か滞在すると、スタッフとゲストの間にも一種の安心感と親しさが生まれるが、下手な家族経営の宿によくある「うっとおしさ」は一切ない。プロのスタッフたちは、その一線を守りながら、心のこもったサービスを提供している。

スタッフの一員であり、ゲストのアイドルなのが犬のメルロー。ワイン産地らしい名前。人懐っこく賢い大型犬で、お客が船で到着、出発するときは、必ず桟橋まで出迎えと見送りに来る。

日中のBOMCは、船でカフェにランチを取りに来る日帰り客もいて、それなりに賑わうが、夜は宿泊客のみになる。

簡単に外出することが難しいリゾートでは、食事の質は非常に重要だが、ここのメインダイニングでの食事は毎日楽しみだった。ドイツから来た若いシェフは、ともすれば大味になりがちな肉・魚料理をセンス良く料理し、繊細な味付けで見た目も美しい作品に仕上げてくれる。フロアの英国出身の女性スタッフは、様々なニュージーランド産ワインと料理のペアリングを上手に提案する。また、ディナータイムはメインダイニングの利用は大人のみに限っており、大人のゲストが落ち着いて食事を楽しめる空間になっていることも大きい。


そのダイニングから見えた満月の神秘的な風景が印象に残っている。サウンズの海に伸びる輝く光の道。ここは、自然のパワーを確実に受けている。



2013年10月26日土曜日

ニュージーランド マールボロ・サウンズ③ドルフィン・スイム

マールボロ・サウンズでは年間を通じてイルカが見られる。マールボロ・サウンズを構成するここクイーン・シャーロット・サウンドでは、コモン・ドルフィン、ヘクターズ・ドルフィン、ダスキー・ドルフィンの3種類がよく目撃されるそうだ。人気のドルフィン・ウォッチツアーでは、冬以外はイルカと一緒に泳ぐ「ドルフィン・スイム」も選べる。まだ春先で水は冷たいけど、私もウェットスーツを借りて参加した。

もともとサウンズ内の海は湖のように穏やかだが、その日は更に風一つなく、海面が鏡のように静かな絶好のイルカ探し日和。リトルペンギンというその名の通りの小さなペンギンが、水面から頭だけ出して泳いでいく姿も見えた。船は静かに進みながらピクトンの港の近くでイルカを待っていると、やがて小型のダスキー・ドルフィンの一団を発見!慣れた船長さんはイルカの進む方向を予測して回り込み、船を止めた。


イルカたちは好奇心が旺盛で、水に入った私の周りに寄ってきた。サウンズ内の海の水は、きれいだが透明度は高くない。ハワイのように透明度が高い海でのドルフィン・スイムは、自分の5m下をすり抜けて泳いでいくスピナー・ドルフィンたちを目視し追いかけていく感じだが、ここの水はそういうのには向かない。それに、ここでのドルフィン・スイムはフィンを使わない。フィンで水しぶきが上がると、イルカたちは追い払われていると思い遠ざかって行ってしまうのだそうだ。私もシュノーケリングはかなり馴れているほうだが、さすがにフィン無しでイルカを追いかけるなんて、無理に決まってる。そういう事情を知ってか知らずか、ダスキー・ドルフィンたちはほんの1mくらいの距離にまで近づいてきてくれた。なんてわかってるんだろう!感心、そして感謝。

イルカたちと別れた後は、アザラシも発見。滞在中は見ることがなかったが、時々オルカも出るらしい。野生の生き物たちが豊富なサウンズの海の自然は、ツアー運営会社も含め、地域の人々の高い意識によって守られている。





2013年10月25日金曜日

ニュージーランド マールボロ・サウンズ ②ワイナリー巡り

マールボロ地方はニュージーランド最大のワインの産地。同国のワインの生産量の70%を占め、ソーヴィニヨン・ブランに限ると85%を占める。

南島の北部にあるブレナム空港の周辺は、見渡す限りのブドウ畑、ときどき羊、という風景が広がる。ニュージーランドでも最も晴天率が高い場所のひとつで、土地も肥沃なことから、ワイン用ブドウの栽培にはもってこいなのだそうだ。量だけでなく、品質でもニュージーランド最高級のワインが作られている。マールボロ地方のワイン産業の歴史は比較的新しく、本格的に始まったのは1973年。それが今では百以上のワイナリーを抱える国内最大の産地となり、ニュージーランドのソーヴィニヨンブランの名を世界に轟かすまでになった。


地域の多くのワイナリーがビジターを受け入れており、テイスティングや購入ができる。私も地元のガイドさんの案内でいくつかのワイナリーを廻った。



Hunter's
最初に訪れたのはHunter's。1970年代から続く、この地域では老舗のワイナリー。テイスティングコーナーのテーブルに並べられたボトルから、愛想のいいベテランのマダムが、「2013年のソーヴィニヨンブランよ。」と言って注いでくれた。普段、北半球のワインを飲み慣れているため、一瞬「ん?」と思う。北半球では2013年のブドウで造られたワインが市場に出るのは普通は2014年の春。今はボジョレー・ヌーヴォーさえ出ていない2013年の10月。ちょっと考えれば当たり前だけど、南半球のここでは、2013年の3月頃収穫されたブドウの新酒が10月から出てくるのだ。冬(日本では夏)の間はクローズし、新酒が商品として出荷される10月からオープンするワイナリーも多い。各ワイナリーの今年の出来立ての新作を飲み比べるには絶好のタイミングだった。

ニュージーランドワインの特徴の一つともいえるのがスクリューキャップ。聞けば、このあたりでも最初はコルクを採用していた。しかしポルトガルなどから輸入された二流の品質のコルクがワインの質の劣化を招いたため、Hunter'sを含む数件のワイナリーが立ち上がり、試行錯誤の末、今の材質と形状のスクリューキャップに落ち着いたのだそうだ。


次は、ニュージーランドワインの代名詞ともいえるCloudy Bayへ。まだ背が低いブドウの木が並ぶ向こうに、あの有名なラベルに描かれた山並みが見える。

Cloudy Bayから見える山

Cloudy Bayでのテイスティングは有料(5NZドルから)。今年のソーヴィニヨンブランと、樽で寝かせた2009年のソーヴィニヨンブランの2種類を飲み比べた。スタッフの女性が「これは人によって好き嫌いが激しいのよ。」と言いながら後者を注いでくれた。実は到着前にガイドさんも若干否定的なニュアンスで、そんなことを言っていた。確かに、今年のフレッシュなソーヴィニヨンブランのあっさりした味わいに比べると、樽香がしっかり効いたそれはまったく別物。私は後者のほうが好みだったのでそう伝えると、スタッフの女性は「そうでしょ?」という感じで嬉しそうに笑った。
 

マールボロにもオーガニックの製法を採用しているワイナリーが数件ある。ガイドさんにお願いし、そのうちの2軒へ案内してもらった。


Seresin
一軒はSeresin。映画撮影監督のマイケル・セレシン氏が経営するワイナリー。トタンでできた小さな建物に、手のひらのロゴの焼き印が押された木の看板の素朴な外見。ワインは全てオーガニック且つビオディナミ製法で、オーガニックのオリーブオイルも作っている(お土産にぴったり)。最近は酸化防止剤無添加のワインも始めたが、まだ商品化はしていないそう。
 
 
 

Hans Herzog


もう一軒はHans Herzoc。スイスでは1630年から続く歴史あるワイナリーで、ここマールボロでは1990年代にスタート。そのテイスティングルームは他のワイナリーとはちょっと違った重厚なヨーロッパテイスト。ここでも化学肥料や添加剤は一切不使用で、含まれる酸化防止剤の硫黄も自然のもの。またマールボロでは少数派の、コルクを採用している4軒のワイナリーのひとつでもある。個人的にはここの2010年のソーヴィニヨンブランが最も好みに合ったので、1本購入し持ち帰った。
 

まだ若葉のブドウが並ぶ春のマールボロ。2014年の収穫に向けたシーズンが始まる。
 
 
 
 

2013年10月20日日曜日

ニュージーランド マールボロ・サウンズ ①フィッシング

春先のニュージーランド。今回の旅の目的は、南島の最北部のマールボロ・サウンズ(Marlborough Sounds)にある、Bay of Many Covesでの滞在。サウンズは海峡や入江と訳される。ここマールボロ・サウンズは、日本でいうリアス式海岸のような複雑な地形で、その海岸線の長さの合計は実にニュージーランドの海岸線の総距離の5分の1を占める。

Bay of Many Covesは、マールボロ・サウンズを構成するQueen Charlotte Soundのいくつもの湾のひとつで、湾の名前がそのままリゾートの名前になっている。アクセスはいくつかのルートがあるが、最後は海か空からでないとたどり着けない。今回は、東京からオークランド経由でブレナムまで飛び、空港から車で25分くらいのピクトンという港から、ウォータータクシーで更に約30分。オークランドからの国内線が少し遅れたこともあって、乗り継ぎ時間も含め20時間近くの長旅。前日まで吹き荒れていたという嵐はすっかりおさまり、穏やかな空が迎えてくれた。

これだけ時間をかけて行くからには、一つのリゾートにじっくり滞在し、その土地ならではのアクティビティも満喫したいので、事前にいくつかアレンジしてもらっていた。

その一つがフィッシング。少人数でも小さな船を3時間からチャーターでき、初心者から上級者までが楽しめる。

5代前から地元に住むガイドのマークさんの案内で出発。目当てはこのあたりで有名なブルーコッドという魚。9月1日から12月19日までは、サウンズ内での釣りは禁止されているため、30分くらい船を走らせて外海に出て、北島を近くに臨む場所に船を停めた。

私は生まれて初めの釣りで、釣竿の持ち方も全く知らなかったが、マークさんにリールの基本的な扱い方を教わり、エサも針につけてもらい、言われた通りに、重りのついた糸をチャポンと海に落とした。ほとんど自力でやってないが、それでもいきなり釣れるわけないし、まあ、気長に待とう・・・

・・・いきなり釣れた(どうしよう)。それも、2匹続けてブルーコッド!

このエリアでのブルーコッドの捕獲はひとり3匹まで、体長は30㎝から35㎝の魚のみと決まっている。釣れたブルーコッドは物差しで測り、当てはまらなければすぐにリリースする。ブルーコッドが30㎝に成長するには15年くらいかかるので、それに満たない子供と、繁殖力のある大型の成魚は海に帰すルール。

私が釣ったのは33㎝くらいの「大物」で、その日釣れた最大のブルーコッド。ビギナーズラックは、ギャンブルに限らない。

テラキヒ
マークさんは大型のテラキヒという、やはり人気のローカルフィッシュを釣り上げていた。

次は帆立を採りに移動。どうやって採るのかと思って見ていると、マークさんは潮干狩りで使う熊手を大きくしたような金具がついた網を海に投げ入れた。それを船でしばらく引きずってから船に上げると、ほんとに帆立がごろごろ入ってる。海底にある帆立を熊手が掻き出して網に入れていく、シンプルでとても効果的な漁法。すごい。
 
その採りたての帆立を殻から出してもらい、船の上で食べたときの感動といったら!海水の自然の塩分がちょうどよく、これまでに食べたどんな生帆立より美味しく感じた。
 
他の魚も、マークさんが上手に三枚におろしてくれたものを持ち帰り、リゾートのレストランで調理してもらった。

Bay of Many Covesのドイツ人シェフ、ハナスさんの手で美しく調理されたブルーコッドとテラキヒ。地元産のソーヴィニヨンブランにぴったり。

これこそ、釣りの贅沢な締めくくり。

 

2013年8月2日金曜日

Over the Rainbow

ハワイ島からの帰りの飛行機の窓から見えた虹。


虹は地上で追いかけても追いつけないのに、空から見下ろせるなんて、なんだか不思議。

2013年7月29日月曜日

ハワイ島のエネルギー

毎年来ることにしているハワイ島。

10年くらい前から、ハワイ島西海岸のビーチはほぼすべて試し、水の透明度、入りやすさ、魚やサンゴの数、雰囲気、砂の質などを、シュノーケリングにふさわしいかどうかの観点で勝手に評価してデータベース化していた。ここ数年は、その中でもいつも期待を裏切らなかった2、3のビーチに絞って行っている。

年1回だけ泳ぐ同じ海には、毎年微妙な変化を感じる。去年はダントツで透明度一位だったビーチが、今年はそうでもなかったり、またその逆もある。

例えば、マウナ・ラニ・リゾートの近くにある、ダイビングスポットとしても人気のビーチは、近くには民家や教会と雑貨店が一軒あるだけのローカルな場所で、混み合うことはない。いつも潮の高さが適切な時に行けばいつでもクリアな海とたくさんの魚が見られるが、今年は気のせいか、水の透明度が低いような気がする(といっても勿論、そこらの海とは比較にならないほどのきれいさではあるけれど)。今年は新しい高級分譲リゾート地が売りに出ており、他に大きな別荘も建築中だったことも影響しているのかもしれない。

かといって、開発が悪いかというと一概にも言えず、開発されきったはずのマウナ・ラニ・リゾート内のビーチは今年とてもいい状態だった。以前は、「リゾート内の海なんて荒らされてるし」と決めつけ、あまり真剣に泳いでいなかったが、これが実は一番きれいでびっくり。開発がひと段落して何年か経ち、その間自然への適切な配慮がされていると、サンゴも成長し魚も定着するのだろう。リゾート内なので「誰もいないビーチ」を望む人には向かないが、それでも少し沖に出れば人もまばらでのんびり泳げる。少なくともハワイ島で人気のシュノーケリングスポットKahaluu Beach Parkのような「魚も人もぎっしり感」はない。

ふと、「自然」ってなんだろう、と思う。

部屋からはゴルフコースの緑と、風にそよぐヤシの木、そしてその向こうにマウナケア山が見える。ハワイ島のリゾートはほとんどが、溶岩の大地を開発して草木を植え、ホテルやゴルフ場を作った「人工物」なので、自然のままなのはほぼ海だけということになる。今見ているヤシの木も、後から植えられたもの。でもその風景はハワイ島の自然に美しく溶け込んでいて、眺めているだけでとても穏やかな気持ちにしてくれるのだから、人間が自然の恩恵を受けるのに寄与した開発と言えると思う。ここにいると様々な鳥たちの声や、部屋のテラスでよく見かける、自然にこんな色が存在するんだと驚くくらい鮮やかなグリーンのゲッコーや、真っ暗な夜を明るく照らす月などが、普段は意識しない地球のリズムを思い出させてくれる。

ハワイ島はいいエネルギーを持つ土地であることは間違いないと思っているし、それが人を自然に近い状態にリセットしてくれるのだと思う。私にとっては、都会で受けるどんなスパプログラムより断然リラックス効果は高い。だから毎年飽きずに通ってしまう。

2013年6月10日月曜日

上海のゆくえ

先週、上海に行ってきた。
ここ数年、仕事で毎年6月に訪れているが、その度に建物がどんどん増えていて、今回も、去年は工事現場の囲いがあっただけのところに超高層ビルが建っており、風景が一変していた。開発はまだまだ終わる様子がない。

ホテルの新規オープンの話もよく聞く。今回の滞在中にも、オープン間近の大手高級チェーンのホテルを見学する機会があった。確かに立派なホテルだったが、内装を見て受けた印象は正直なところ、そのチェーンが満を持してという感じではなかった。これから高級ホテルがますます増え、競争が激化していくであろう中、各ホテルは他との差別化をどう図っていくのだろうかと考えた。

開発の一方、上海の通りは混沌としている。タクシーは窓を全開にしてクラクションを鳴らしながら走り、信号のない横断歩道では、歩行者が待っていても止まろうとする車は圧倒的に少ない。ハノイやホーチミンを思わせる光景だが、ベトナムでは渡る歩行者を車が上手くよけながら走る一種の譲り合いで成り立っているのに対し、車優先の上海では、ひかれそうなリスクを冒しながら渡るしかない。


上海で最も好きな風景は、夜のライトアップされた外灘(バンド)だ。ラグジュアリーホテルやハイエンドなレストランがテナントとして入る、美しくリノベーションされたクラシックな西洋建築が並ぶ。河を隔てた対岸は、特徴的な形のテレビ塔や増え続ける高層ビル群が並ぶ浦東(プドン)地区。浦東が前へ前へと突き進んでいるのに対し、外灘は歴史を守りながら現代の時間軸に合うよう、しなやかに進んでいるような、対局的なイメージがある。
 
東京に帰った後、ニュースで習近平国家主席とオバマ大統領の会談の模様を見た。ともにノーネクタイで臨んだ会談で、中国側は「中国もサイバー攻撃の被害者である」とコメントしたことなども報道されていた。

上海の発展は、いまどの段階にあり、どこまでいくのか、さっぱりわからない。


2013年5月19日日曜日

永久の紙メディア?

パリのサン・ジェルマン通りに、ルイ・ヴィトンが昨年12月から1年間の期間限定でオープンした「キャビネ・デクリチュール(Cabinet d'Ecriture)」を訪れてみた。ここには「書く」ための商品が集められており、万年筆、様々なインク、紙、手帳などが並ぶ。携帯用ライティング・デスクを内蔵した昔のトランクや、ペンやインクを収納する持ち運びケースなど、旅先で書くことがいかに重要だったかを示す品も展示されている。

普段、手書きでものを書くことが減っている人は多いと思う。

以前、私は旅行に行くと、家族や友人に必ず絵ハガキを送った。郵便と固定電話しか通信手段がなかったし、ひとりひとりに絵ハガキを選んで買って、書くのも楽しみのひとつだった。私も人から旅先の絵はがきを受け取ることも少なからずあった。今はメールがあるし、絵ハガキを書くことも、受け取ることもなくなった。

にもかかわらず、なぜか絵ハガキの市場は縮小している様子がない。世界中どこの観光地に行っても、どの土産店にも必ず絵ハガキはあるし、これ以上の万国共通アイテムはない。店先に並ぶ絵ハガキは古びてはいないので、それなりに売れて回転しているらしい。観光地に限らず美術館のショップでも、常に絵ハガキは欠かせないグッズとなっている。

そんなに多くの人々が絵ハガキを書くために買っているとは思えない。飾るため、見るために買うのはわかる。でも、だったら裏は白紙でいいはずだけど、たいていは切手を張る欄や宛名を書く罫線が入ってる。

メールやデジカメ、デジタルフォトフレームの出現にも全く動じず、且つ、もはやハガキとしての本来の用途では使われていないのに、昔の形を維持し愛され続けている絵ハガキって、いったい何なんだろう?

デジタル化で世界中の新聞社が広告料や購読料の売り上げを減らし、書籍の電子化が進む中、絵ハガキは不動の地位を保つ不滅の紙メディアとして残るのかもしれない・・・と思う。

パリのミュージアム・ナイト

5月18日の夜はパリ中がアート鑑賞モード。

この日は「国際博物館の日」。ヨーロッパでは4,000もの美術館・博物館が夜間に無料開放されるミュージアム・ナイト(La Nuit des Musées)が行われる。パリでも多くの美術館がこのイベントに参加し、トークやコンサートなど特別プログラムを用意して人々を迎えるところもあった。

グラン・パレで開催中の「Dynamo」展にも、夕方から降り始めた雨にも関わらず長蛇の列ができていた。光や動き、空間やビジョンをテーマにした、20世紀初めのアレクサンンダー・コールダーから、ジェームズ・タレルやアニッシュ・カプーアなどコンテンポラリーまで、様々なアーティストの作品を集めた企画展。美しいもの、体験型のもの、ただまぶしいもの、と色々だが、幅広い世代が楽しめる。(7月22日まで。)

多くの人が集まるのは無料だからということだけでなく、夜のミュージアムには、なんだかちょっとわくわくさせる要素があるのだと思う。

印象派たちの光と色~パリ マルモッタン・モネ美術館

今回の印象派の旅の締めくくりには、クロード・モネの「印象・日の出」を外してほかにないと考え、パリ16区のマルモッタン・モネ美術館を訪れた。ブローニュの森に近く、他の観光地からは離れた場所にある。

同美術館は世界最大のモネの作品コレクションを保有している。もともとはフランス第一帝政時代の美術品が中心だったが、1957年に印象派の芸術家たちと交流があった医師のコレクションから、モネの「印象・日の出」を含む多数の印象派作品の寄贈を受け、さらに1966年にモネの息子から父親の作品群を寄贈されてからは、モネの美術館として知られるようになった。今は1階のフロアの約半分がベルト・モリゾを中心とする印象派コレクションの展示、そしてあとの半分が、モネ作品だけを集めた展示スペースとなっている。

手前の大きなフロアには、「睡蓮」シリーズなどジヴェルニー時代を中心に比較的大型の作品が並ぶ。モネらしいたくさんの色彩で描かれた自然の風景。

「印象・日の出」は、その奥の別のコーナーにひとつだけ展示してある。(印象派の名前の由来となった芸術的意義を考えてのことか、80年代に盗難にあった教訓を生かしてのことか、わからないが。)

モネにとっても美術史にとっても、印象派の出発点となったこの作品は、それほど大きくなく、その後のモネの作品に多くみられる色彩のインパクトはない。手前に数隻の小さな船が浮かぶル・アーヴルの穏やかな海と、うっすら赤く染まる空の様子が朝もやの中のようにぼんやりと描かれ、唯一はっきりした輪郭で描かれた朝日が背景の空に上っている。とても静かな印象の作品だった。

3日前に訪れたばかりのル・アーヴルの港には、大型客船やたくさんのボートがあって、この絵の様子を思い浮かべることができなかった。でも実際に絵を見たら、記憶の中のル・アーヴルの風景からたくさんの船が消え、モネが見た通りのル・アーヴルの海が見えたような気がした。モネが得た「印象」が伝わってきたような、そんな感じだった。

現在のル・アーヴル

これで今回の印象派・ポスト印象派めぐりのフランスの旅はひと段落。プロヴァンスからノルマンディー、そしてパリまで、駆け足で廻った9日間だったが、芸術家たちの視点に思いをめぐらせながら、自分の目で見て、感じた風景は、いつもの旅以上に記憶に残った。

アートをめぐる旅、これからも続けよう。

2013年5月18日土曜日

印象派たちの光と色~オーヴェル・シュル・オワーズ ゴッホ最期の70日間

パリ郊外にあるオーヴェル・シュル・オワーズを訪れた。パリから郊外線の電車で約1時間、車なら30~40分の距離にある。5月はアイリスの花があちこちに咲いている。

ここはゴッホが最期の70日間を過ごし80点の作品を描いた土地。ゴッホの絵と実際の風景を見比べられるパネルが町の20か所以上にある。印象派の同様のパネルはエトルタやル・アーヴルにもあるが、ひとりの芸術家がひとつの町にこれほど多くのパネルを設置させた例はほかにはないだろう。

セザンヌも2年間滞在し、ピサロやその仲間の印象派画家たちにも愛されたオーヴェル・シュル・オワーズには、印象派に関連があるスポットがいくつかある。17世紀のメディチ家の館・オーヴェル城では、印象派絵画のオーディオビジュアル展示をしている。モネ、ピサロ、ゴッホを含むこの土地にゆかりがある芸術家の作品計500点以上の映像と、模型やオーディオガイドを使って、19世紀のパリおよび当時の印象派の歴史を約1時間のコースで解説している。見学者が部屋に入ると該当するオーディオガイドが自動的に始まる仕組みで、いちいち番号を入力する必要がない。汽車の座席に見立てたシアターでは、車窓を流れる印象派絵画の風景を眺めながら、汽車の誕生が印象派に与えた影響などの話も聞くことができ、普段オーディオガイドをあまり使わない私も結構楽しめた。

ゴッホは、1888年に自身の耳たぶを切り落としアルルの病院に入院した翌年、サン・レミ・ドゥ・プロヴァンスの精神病院に転院し、1年を過ごした。そしてパリにいた弟のテオの勧めもあり、1890年5月にパリから近いオーヴェル・シュル・オワーズに居を移した。

心を許せる医師にも出会えたゴッホは制作に没頭し、オーヴェルのあちこちの風景を描いた。最も有名な作品のひとつは、オルセー美術館にある「オーヴェルの教会」。ゴッホの絵では屋根のオレンジ色が目立ち、教会全体が揺れているような、動きだしそうな感じさえあるが、実際の教会は、日中の光の下で静かにしている。

「カラスのいる麦畑」は、ゴッホと弟のテオが眠る墓地のすぐそばの一面の麦畑で描かれたもの。パリからわずか30分の距離とは思えないほど、静かな田園風景だった。

ゴッホは1890年7月末に胸を銃で撃ち、2日後に37歳で亡くなった。自殺とされているが、プロヴァンスで出会ったガイドさんの話によると、そうではない説もあるらしい。本当に死ぬ気だったら、頭ではなく胸を撃つだろうか?一緒にいた少年たちが両親の銃を持ち出して遊んでいたのが誤って発砲され、ゴッホを撃ってしまったが、ゴッホは少年たちをかばって自分で撃ったと言ったのではないか、という説。

ゴッホが暮らし、息を引き取った部屋も公開されているが、狭い部屋に小さな椅子がぽつんとあるだけで、当時を語るものはない。

ゴッホは、オーヴェル・シュル・オワーズで全霊を込めて絵を描き燃え尽きたのか、それともまだ描き足りないものがあったのか、今となっては真実はわからないが、それが故にオーヴェル・シュル・オワーズは、ゴッホのゆかりの地の中でも、最もゴッホの魂を近くに感じる場所のように思う。





2013年5月17日金曜日

印象派たちの光と色〜パリ オルセー美術館

ル・アーヴルから列車に2時間でパリに到着した。今回の印象派めぐりの旅も終盤。

サン・ラザール駅に着いたときのパリは小雨が降っていたけれど、すぐに止んで晴れ間が出て、かと思えば10分後には本降りになって、また止んでという具合に、山の天気かと思うほど今日のパリの天気は変わりやすい。気温も5月とは思えない低さで、持ってきた春服は使えそうにない。でも春の花は街のあちこちで見られ、本来の季節を思い出させてくれる。

ここまでプロヴァンスとノルマンディーで見てきた印象派のゆかりの地の数々が、実際の作品でどう描かれているかを見るために、いよいよオルセー美術館へ。パリに入る日を木曜日にしたのは、オルセーが夜遅くまで開館している日だから。時間を気にせずゆっくり鑑賞できる。


オルセーは2011年に大改装を終え、展示スペースが一新された。印象派の芸術家の作品を5階に集め、その中で年代別にコーナーを分けていて、とてもわかりやすい展示になったと思う。ポスト印象派に分類されるゴッホは2階に展示されている。

まず、セザンヌの「サント・ヴィクトワール山」(1880年)。エクス・アン・プロヴァンスで見た白い岩の山は、展示されていた絵ではやや赤みがかった色を帯びていた。あの山は、セザンヌに対してはいつも表情を変える存在だったのだと改めて思う。

次にノルマンディーのモネ。パリからの出発点の「サン・ラザール駅」(1877 年)は、蒸気機関車の煙が上がり、今よりホームの数が少ないが、駅舎の形は今も変わっていない。

ルーアン大聖堂」(1892、93年)は連作のうち3作品が並んで展示されている。朝、午前中、そして曇り空の光。全て同じアングルから描かれているが、聖堂も空も、色彩は全く異なる。あのファサードの緻密な細工は、絵では判別がつかないが、それがこの複雑な色を生み出しているのだということは、実際に聖堂を見てきた今ではわかる。



現在のエトルタ
エトルタのモネの絵は2枚あり、ひとつは「エトルタの砂浜」(1883年)。白い崖と海だけを描いた「エトルタの断崖」とは違い、砂浜に置かれた漁船も描かれている。風景だけでなく人々の生活がそこにあったことをうかがわせる。今でもエトルタの浜には、同じように船が並んでいた。もうひとつは、印象派の前の時代に描かれた「エトルタの大きな海」(1865-69年)。同じエトルタの海と崖を描いたものだが、光に溢れるおなじみの画風とは異なり、暗いタッチで、輪郭も荒い。同じ題材でも時代によってこうも作風が違っていたのかと、興味深い発見。また、エトルタはもう一点、ギュスターヴ・クールベの「嵐の後のエトルタの崖」という作品も展示されていた。写実主義で知られるクールベのエトルタは、やはり写実的だった。


ああ、印象派の絵をこれほどわくわくと心躍るように見たことがあったろうか?芸術家たちが描いた土地を旅し、自分の目で絵の風景を見て、歩き、作品の背景に思いを馳せておくことが、こんなにも感情移入のレベルを高めるものかと、改めて実感する。絵を見てからその土地に旅するのも勿論いいが、旅をして、その興奮が覚めないうちに絵を見に行くほうが、鑑賞時の感動レベルは高く、作品への理解も深まる。

充実した気持ちでオルセーを後にした。

次はゴッホの晩年の地、オーヴェル・シュル・オワーズへ。




2013年5月16日木曜日

ル・アーヴルの街並みと聖ジョセフ教会

印象派の芸術家たちが港町としてモチーフにしたル・アーヴルは、現在も港湾都市として栄えているが、世界遺産に登録された街並みも注目に値する。

第二次世界大戦の爆撃で崩壊した街を、「コンクリートの父」と呼ばれる建築家オーギュスト・ペレが、1945年から約20年間かけて再建した街並みは、今も街の中心を成している。

碁盤の目を基本とした通りに沿って、屋根が平らなコンクリートの建物が整然と並ぶ。市庁舎の前の広場や、サン・ロシュ広場という公園には花や緑が美しく植えられ、街に彩りを添えている。



1階が店舗になっている集合住宅も、画一的に見えて、実は少しずつ異なるデザインのディテールが施されている。それは今にも通じる普遍的なバランスを保っており、少しも古さを感じない。日本で戦後の同時期に建てられた集合住宅で、現在まで洗練されたモダニティを保ち続けているものは皆無に等しいことを考えると、ペレの業績はただ凄いと思う。

後から新しく建てられたと思われる建築物も、ペレの建築に倣うようにして、全体の調和が保たれている。ベースの都市計画がしっかりしていると、長期間にわたって受け継がれていくものなのだろう。

この再建プロジェクトで、ペレが最後に手がけ、彼の死後完成した聖ジョセフ教会は、街のどこからでも見える八角形の高さ107メートルの尖塔を持つ。もともとはペレがパリのために計画し、実現されなかったものそうだ。一見、教会としては地味な印象を受ける。扉が開いていたので、ついでに見るくらいの気持ちで入ってみた。すると、予想もしなかった空間にあっけに取られてしまった。

そこは色彩と光に溢れた部屋だった。

宗教画やイコンの類は一切なく(中央に十字架があるが気付かないくらいのさりげなさ)、色とりどりの四角いガラスが組み合わされたステンドグラスから光が差し込み、それはそれは美しくカラフルでファンタジックな空間。これが教会?

もう夕方6時近くだったが、日没まで3時間以上あり日も高く、その光は全てのガラスから差し込んでるように見えた。外観には全く色彩を感じさせないのに、このギャップもペレが仕組んだものなのだろうか。

ここは大戦の空爆で命を落とした人々の鎮魂の意味も込めて建てられている。宗教を超えた癒しの空間とは、こういうものなのかと思った。

一日街歩きで疲れた帰り道も、その教会を出てからは夢見るような感覚で、足取りも軽くなった気がする。私にとってのパワースポットだったのかもしれない。



印象派たちの光と色~ル・アーヴル 印象派誕生の地

ノルマンディー地方の港町、ル・アーヴルは、印象派が生まれた地とされる。「印象派」という呼称の由来となったクロード・モネの「印象・日の出」が描かれたのがここル・アーヴルだったのがその理由。

ル・アーヴルの街中には、エトルタと同じように印象派の画家たちの絵のパネルが4か所にある。うち二つがウジェーヌ・ブーダンで、あとはモネとカミーユ・ピサロ。

ブーダンのパネル
第二次大戦後に再建された街並みが世界遺産に登録されているル・アーヴルだが、印象派の画家たちにとってのル・アーヴルでのモチーフは街ではなく、港だった。

ブーダンやピサロを中心に印象派のコレクションを持つアンドレ・マルロー美術では、様々な芸術家たちのル・アーヴルを見られるが、みな、港として描かれている。現在開催中のピサロの企画展のテーマもやはり「港町」。セーヌ川に面したルーアン、イギリス海峡に面したディエップ、そしてル・アーヴルの3都市に滞在したピサロの作品を都市別に展示している。ピサロはどの港町でも短期間で集中的に多くの点数を描き、同じ風景を天候や光の違いによって描き分けていた。そして満足すると、別のモチーフを求めて他の土地へ移った。また、パネルでは荒れた海を描いていたブーダンは、普段はおだやかなル・アーヴルの海を描くことが多かったのも、同美術館での展示でわかる。

アンドレ・マルロー美術館にはモネの所蔵作品は比較的少ないが、実は「印象・日の出」が描かれた記念すべき場所にある。美術館から道を渡った反対側にそのパネルが設置されている。
モネ「印象・日の出」のパネル
 残念ながら、パネルと海の間には駐車場があり、さらに海には巨大なクルーズ船が停まっていたりするので、モネの絵と同じ風景は臨めないかもしれない。でも、ここからビーチまでの海沿いの道を歩きながら、芸術家たちを惹きつけた港町ル・アーヴルの魅力を探るのもいい。




印象派たちの光と色~エトルタの白い断崖


ノルマンディーの海岸に到着!

朝、ルーアンから列車で1時間弱のル・アーヴルに移動し、そこからバスで約1時間でエトルタにやってきた。

車窓から、一面黄色の花畑があちこちにあるのが目についたので、よく見てみると菜の花だった。プロヴァンスでも同じ風景をを見たので、この時期はフランスで全国的に咲いているのかもしれない。菜種油を採るために栽培されているそうだ。

白くそびえ立つ断崖が特徴的なエトルタは、ウジェーヌ・ブーダンやクロード・モネなどの芸術家たちを魅了した場所として知られる。 

アモン断崖側のパネル

海岸沿いの2か所にモネの絵のパネルがあり、彼が描いた実際の風景と見比べられる。高さ100メートル以上の崖は、海に向かって右がアモン断崖、左がアヴァル断崖と呼ばれ、モネはどちらも描いている。
 
波が荒く遊泳向きではないエトルタの海は、曇り空の下ではグレーだが、日が差すと乳白色が混ざった半透明のエメラルドグリーンのような色になる。柔らかく、優しい色。

アモン断崖もアヴァル断崖も、それぞれ遊歩道が設けられ、崖の上を歩くことができる。私はアーチ型のアヴァル断崖のほうへ。

歩いているうちに空がすっかり晴れ、強い日差しが降り注ぐと、白い岸壁は光を反射して一層白く輝き、その眩しさと、海とのコントラストの美しさは、思わず足を止めずにはいられない。
 
アヴァル断崖側を選んだのは、ここに来る前に丸の内の三菱一号館美術館で開催中の「クラーク・コレクション」展で見た、モネの「エトルタの断崖」の風景がこっちにあると確信したから。そして、まさにその風景を発見!
ここにパネルはないけれど、高さや距離からみても、モネはここで描いていたに違いない。

短い時間の間に、晴れたり曇ったり、にわか雨がパラついたり、変わりやすいエトルタの天気。そのたびに白い断崖と海は違う色を見せてくれた。画家たちにとっては気まぐれなモデルのような存在だったのだろうか、などと想像する。

エトルタでは今、桜も満開だった。東京より1カ月半ほど遅い春が訪れている。