2013年4月30日火曜日

子ウミガメの旅立ち

スリランカに行った際、ウミガメの孵化場を訪れた。

ベントータの近辺では、スリランカで絶滅の危機に瀕していたウミガメを守るため、卵を集めて孵化させてから海に帰すプロジェクトが80年代から行われてきた。

私が訪れた孵化場では、生後3日の赤ちゃんウミガメを、夕暮れ時に海に放す。

これまで大人になったウミガメにしか遭遇したことがなかったため、赤ちゃんでももっと大きいのかと思っていたが、体長は5~6センチ。昔よく売られていたミドリガメとかゼニガメを思い出す。


このあたりの海は夕焼けは美しいが、結構波が高く、泳ぐには躊躇する。

しかし、ウミガメの赤ちゃんたちは、人間の手でひとたび砂の上に置かれると、一目散に海に向かって歩いていく。方角を示さなくても、どちらに行くべきかがわかっているらしい。すごい。

そして海に入っていく・・・というより、波が来てさらわれていく。
・・・大丈夫かな。

でも、生きるべき場所を本能で知っているのだから、きっと大丈夫。

がんばれ!子ガメ。



2013年4月27日土曜日

スリランカのアーユルヴェーダ

10日ほど前、アーユルヴェーダを体験しにスリランカまで行ってきた。

滞在したのは、首都コロンボの空港から車で約2時間半南に行ったベルワラにあるHeritance Ayurveda Maha Gedaraというリゾート。

ゲストは9割以上がドイツ人。毎年リピートする人も多く、2週間程度滞在し体をリセットして帰る。アーユルヴェーダは、本当は1週間以上滞在しないと意味がないと言われるが、今回私は様子見で4日間だけ。短期滞在は受け付けないリゾートもあるが、ここは3泊からのショートプログラムも用意している。

滞在の初めに医師のドーシャチェックを受ける。ドーシャとは体質のこと。脈診、触診、生活習慣や体調・病歴等の問診、体重測定などによって、医師がドーシャを判定する。大きくはヴァータ(風と空)、ピッタ(火と水)、カパ(土と水)の3タイプに分けられる。各ゲストのドーシャと改善点に合わせたトリートメントプログラムが組まれ、薬も処方される。

リゾートでの生活は規則正しい。始まりは朝7時のヨガ。鳥の声や、雨が降りそうなときはカエルの声を聞きながら1時間のセッション。都会のスタジオとは違う爽快さ。その後朝食。

午前中か、昼食後の午後に2時間のトリートメントセッションがある。ハーブオイルを使ったマッサージや、ハーブバス、スチームバスなど、約20のメニューから4つを30分ずつ受ける。30分の中にはリラックスタイムも含まれるため、ひとつのトリートメントは15分から20分くらい。ちょっと物足りないと感じるかもしれない。長期滞在者のほとんどは、オイルを額にたらすシロダーラを受けるが、オイルは施術後4日間ほど置かなくてはならないので、その間、男女とも頭にスカーフを巻いて過ごす。

日中の空き時間は、皆、近くに観光に出かけたり、プールで泳いだりしている。こういう滞在ではのんびり過ごすのが原則なので、部屋にWifiはない(ロビーエリアでは利用可能)。庭には鳥やリスたちが住む美しい森があり、遊歩道を散歩するだけで気持がいい。(実はトリートメントよりこっちのほうがリラックスできた気がする。)

夕方5時から2回目のヨガのクラス。その後の夕食では、レストランの入り口の棚に、各ゲストの名札と、翌日の薬とトリートメントスケジュールが置かれているので、自分の分をピックアップする。

ここではひたすら水を飲むように言われる。冷たい水ではなく、常温の水か白湯を1日1.5リットル以上飲むのが望ましいらしい。部屋には大きなペットボトルが用意されていて、水がなくなったら廊下のあちこちに設置された給水器から汲んでくる。

食事の時も、お酒は当然ない。ウェイターが注ぎに来るのは水かお湯、それに食後のハーブティ。毎食、スープ、サラダ、各種カレーなどが日替わりのビュッフェで並ぶ。料理ごとに各ドーシャの適不適を示す札が置いてあるので、自分のドーシャに合ったものだけを選んで食べる。日本では見ないエキゾチックな野菜も多いが、味付けは上手で日本人の口にも合い、滞在中は飽きずに食べられた。(でも、3食ビュッフェの生活を2週間も続けたら、きれいに盛り付けた料理をサーブしてもらう食事が恋しくなるかもしれない。)

このホテルの最大の魅力ともいえるのはその建築。スリランカの著名な建築家ジェフリー・バワ(Geoffrey Bawa)の手によるもの。南仏を思わせる白壁と赤茶色の屋根の建物が、プルメリアが咲き乱れる庭とプールを囲み、海に面して優雅に、堂々と建っている。屋外の光や風を上手に取り入れた造りで、ロビーの自然をモチーフにしたレリーフも優しい雰囲気を漂わせていた。空間の美しさは、長期滞在であればなおさら重要な要素だが、ここは多くの人が良さを認める建築だと思う。



ホテルとしてのサービス面は、正直なところ、詰めが甘い部分がある。でも誰も悪気がないし、感じが悪いことはないので、むしろ、仕方ないよね、という気持ちになる。

でも、客室係のお兄さんは、タオルで白鳥とさざ波を表現して置いて行った、なかなかのアーティスト!


さて、4日間のアーユルヴェーダ効果は?
さすがに短期間なので、目に見える効果は実感できなかったが、翌日、夜のフライトで1時間しか眠れなかった後でもほとんど疲れなかったのは、ここでのクリーンで規則正しい生活のおかげだろうかと、ちょっと思っている。


2013年4月26日金曜日

"Love is Something You Fall Into" - LOVE展にて

森美術館の「LOVE展 アートにみる愛のかたち」の内覧会を見てきた。六本木ヒルズの10周年記念展で、4月26日からの一般公開に先駆けて行われた。

会場を入るとすぐ、キービジュアルにもなっているジェフ・クーンズの大きな金のハートに迎えられ、ちょっとわくわくする。ポップなコンテンポラリーだけかと思えば、マグリットにダリにロダン、源氏物語絵巻から江戸時代の春画、はては初音ミクまで(これって愛?)、まあ幅広い。「LOVE」を共通テーマにいいとこ取りしたような作品構成で、なかなか見応えがある。各作品に「LOVE」を見出そうとすると、普段はあまり興味を持たないような作品も、結構じっくり見てしまう。

エレベーター付近に大きく掲げられた「Love is Something You Fall Into」(恋とは落ちてしまうもの)というバーバラ・クルーガーの言葉。こういうときは決まって「Love」は「恋」と訳される。それで正しいと思う。日本語の感覚では、恋は落ちるものなのに対し、愛は、ふわっと下から支えてくれるようなイメージのほうが近い。どちらもLoveだし、延長線上にあるものだけど。

余談だが、内覧会後のレセプションでは、スポンサーのニコラ・フィアットのシャンパンがふんだんに振る舞われた。これぞ正しいパーティの姿!泡のないパーティなんて、手を抜かれた気がして、愛を感じられないもの。

2013年4月5日金曜日

ファッションをアートにするもの FENDI - Un Art Autre 展

4月3日から東京藝術大学大学美術館で開催されている「FENDI - UN ART AUTRE ~フェンディもう一つのアート、クリエイションとイノベーションの軌跡~」展を見た。世界巡回展の幕開けとして日本で初公開。

旧東京音楽学校奏楽堂

同美術館は上野公園のはずれにある。桜は半分散ってしまったが新緑が芽吹き春の雰囲気に溢れる公園を行楽客に交じって通り抜け、国立博物館を横目に過ぎ、「日本初の西洋式音楽ホール」と書かれた旧東京音楽学校奏楽堂(写真)でちょっと足を止める。


更に歩くと、上野の雑踏から隔離された藝大構内の美術館に着く。


「フェンディの世界観をアートとクラフトの歴史と未来を通して表現」すると謳った今回の展示。マルチスクリーンで過去のコレクションの映像を流す導入部を通り、ファーのカーテンを手で開けてくぐると、外からは想像できなかった未来的な空間にちょっと不意を突かれる。

やや照明を落としたフロアに、整然と並んだゴールド色のカプセルがに浮かび上がり、中にはフェンディの1970年代から今日までのファーコートの代表作が一つずつ収まっている。ひとつひとつがオーラを帯びたような存在感。各作品のデザインの裏のフィロソフィーは、壁のタッチスクリーンパネルで確認できる。

壁にはファーの構図タブレット(ファーを四角く切り取ったようなもの)もずらりとかかっている。様々な色合い、素材感、デザインのタブレットが並ぶ様子は、コンテンポラリーの抽象アートを飾るギャラリーのよう。それぞれが部分にすぎないのに、美しい。

更に奥の部屋には工房が再現されている。工房の音をミックスしたオペラのBGMが、自然に耳に入る。訪問時には見ることができなかったが、会期中は現役の職人さんが座ってその技を披露してくれるらしい。テーブルの上にある加工中のファーに触れることもできる。ファーに詳しくない人でも、そこに置かれたファーに斜めに入った切り込みの正確さを見れば、その技術の高さは容易にわかる。

工房のテーブルのスクリーンでは、60年代にフェンディのデザイナーに就任し、それまでのファーの概念を大きく変えたカール・ラガーフェルドのインタビューが流れていた。彼は、不可能と思われたデザインも全て実現させた優れた職人たちの存在に言及していた。

正直なところ、私は特にFENDIファンではないし、そのファーに興味を持っていたわけでもない。
しかし優れたクラフツマンシップは、本来一過性であるはずのファッションを普遍的な芸術に高め得るのだということを改めて認識した、価値ある展示だった。