2013年5月18日土曜日

印象派たちの光と色~オーヴェル・シュル・オワーズ ゴッホ最期の70日間

パリ郊外にあるオーヴェル・シュル・オワーズを訪れた。パリから郊外線の電車で約1時間、車なら30~40分の距離にある。5月はアイリスの花があちこちに咲いている。

ここはゴッホが最期の70日間を過ごし80点の作品を描いた土地。ゴッホの絵と実際の風景を見比べられるパネルが町の20か所以上にある。印象派の同様のパネルはエトルタやル・アーヴルにもあるが、ひとりの芸術家がひとつの町にこれほど多くのパネルを設置させた例はほかにはないだろう。

セザンヌも2年間滞在し、ピサロやその仲間の印象派画家たちにも愛されたオーヴェル・シュル・オワーズには、印象派に関連があるスポットがいくつかある。17世紀のメディチ家の館・オーヴェル城では、印象派絵画のオーディオビジュアル展示をしている。モネ、ピサロ、ゴッホを含むこの土地にゆかりがある芸術家の作品計500点以上の映像と、模型やオーディオガイドを使って、19世紀のパリおよび当時の印象派の歴史を約1時間のコースで解説している。見学者が部屋に入ると該当するオーディオガイドが自動的に始まる仕組みで、いちいち番号を入力する必要がない。汽車の座席に見立てたシアターでは、車窓を流れる印象派絵画の風景を眺めながら、汽車の誕生が印象派に与えた影響などの話も聞くことができ、普段オーディオガイドをあまり使わない私も結構楽しめた。

ゴッホは、1888年に自身の耳たぶを切り落としアルルの病院に入院した翌年、サン・レミ・ドゥ・プロヴァンスの精神病院に転院し、1年を過ごした。そしてパリにいた弟のテオの勧めもあり、1890年5月にパリから近いオーヴェル・シュル・オワーズに居を移した。

心を許せる医師にも出会えたゴッホは制作に没頭し、オーヴェルのあちこちの風景を描いた。最も有名な作品のひとつは、オルセー美術館にある「オーヴェルの教会」。ゴッホの絵では屋根のオレンジ色が目立ち、教会全体が揺れているような、動きだしそうな感じさえあるが、実際の教会は、日中の光の下で静かにしている。

「カラスのいる麦畑」は、ゴッホと弟のテオが眠る墓地のすぐそばの一面の麦畑で描かれたもの。パリからわずか30分の距離とは思えないほど、静かな田園風景だった。

ゴッホは1890年7月末に胸を銃で撃ち、2日後に37歳で亡くなった。自殺とされているが、プロヴァンスで出会ったガイドさんの話によると、そうではない説もあるらしい。本当に死ぬ気だったら、頭ではなく胸を撃つだろうか?一緒にいた少年たちが両親の銃を持ち出して遊んでいたのが誤って発砲され、ゴッホを撃ってしまったが、ゴッホは少年たちをかばって自分で撃ったと言ったのではないか、という説。

ゴッホが暮らし、息を引き取った部屋も公開されているが、狭い部屋に小さな椅子がぽつんとあるだけで、当時を語るものはない。

ゴッホは、オーヴェル・シュル・オワーズで全霊を込めて絵を描き燃え尽きたのか、それともまだ描き足りないものがあったのか、今となっては真実はわからないが、それが故にオーヴェル・シュル・オワーズは、ゴッホのゆかりの地の中でも、最もゴッホの魂を近くに感じる場所のように思う。