シンガポールのNational Galleryで開催中の「City of Others: Asian Artists in Paris, 1920s - 1940s」展を見た。ワンフロアを丸ごと使い、日本、中国、ベトナム出身のアーティストたちにスポットを当てている。
20世紀初頭のパリで活躍したアジア人アーティストというと、藤田嗣治や佐伯祐三といった日本人画家が真っ先に浮かぶが、逆に言うとそれ以外のアジアのアーティストのことはほとんど知らなかった。でもこの展覧会を見ると、他にも多くの日本人やアジア人アーティストたちが異文化の中に飛び込み、「外部者」としての立ち位置と自らのオリジンを巧みに活かしながら、当時のパリのアートシーンで確かな地位を築いたことがわかる。
日本人のうちの一人は漆芸家として活躍した菅原精造。写真はデザイナーのアイリーン・グレイとの共作のキャビネットで、家具職人はおそらく稲垣吉蔵とされている。菅原も稲垣も日本では知名度は高くはないと思うが、調べると二人ともすごい人たち。菅原は、ル・コルビュジェがその才能に嫉妬したというグレイに漆芸を教え、稲垣はロダンが最も信頼していた助手だった。
グラフィックデザイナーとして成功した里見宗次のポスターも、何ともかっこいい!現代でも通用する洗練されたデザインが目を引く。日本の国鉄のポスターはパリ万博で賞も取った。日本が誇るべきデザイナーを、当時どれほどの日本人が知っていただろう。
ベトナムのLe Pho の肖像画は、パッと見てベトナムっぽい!と感じる女性二人の絵。なぜベトナムっぽいのかと聞かれると、いや、何となく…となってしまうのだが、そこもこの人の上手さなのだろうと思う。
シンガポール人のGeorgette Chenは、4か月間のプロヴァンス旅行でセザンヌやゴッホの足跡をたどりその影響を受け、バランスのいい鮮やかな風景画を描いた。
この時代を語るに欠かせない藤田嗣治の作品も複数。日本各地の美術館のほか、休館中のリヨン美術館の収蔵品も見られた。
しかし時代は二つの大戦のはざま。芸術の華やかなエネルギーの裏には激動の社会情勢と不安があった。フランス国内では植民地政策推進派と反対派が対立し、どちらのプロパガンダにもアートが利用された。
第二次大戦に入ると、国に帰った者もフランスに残った者もいたが、戦争が終わってもかつてのアジアン・アーティストたちが築いた黄金時代は戻ってこなかった。
ダイバーシティなどという共通語がなかった時代。「よそ者」でありながらフランスのアートシーンに溶け込み、影響を与えたアーティストたちのすごさに静かに圧倒され、華やかな時に想いを馳せた。