2025年11月23日日曜日

Foujitaを見に軽井沢へ

軽井沢安東美術館は藤田嗣治の作品約300点を所蔵し、藤田作品だけを展示している個人ミュージアム。軽井沢駅から徒歩10分弱なので、東京から新幹線で日帰りもできる。


現在開催中の企画展「藤田嗣治からレオナール・フジタへ -祈りの道-」では、フランスのランス美術館のコレクションから日本初公開作品を含む40点以上の作品が来日。藤田がフランスに帰化した後、1959年にキリスト教の洗礼を受けカトリック教徒となった以降の作品を中心に展示している。ランス美術館は改修のため休館中なので、二つの美術館のコレクションを合わせた展示を見られるのは今しかないかもしれない。

目玉のひとつは「聖母子」。藤田がレオナール・フジタの洗礼名を受けて最初に制作し、ランス大聖堂に献納した作品で、サインは洗礼を受けた日付になっている。


藤田が日本国籍を捨ててフランスに帰化した当時、日本の新聞は「藤田が日本を捨てた」と報道した。しかし藤田としては、日本のほうが自分を捨てたと思っていた。

1920年代にパリのアート界を席巻した藤田は、その後日本に戻り、日中戦争では従軍画家として、第二次世界大戦では陸軍美術協会理事長として戦争画を描いた。国のために尽力した藤田だったが、敗戦後には「戦争協力者」のレッテルを張られ、手のひらを返した美術界からも糾弾された。形勢が変わると正義は簡単に変わる。藤田の胸中は察して余りある。そんな日本に嫌気がさして再渡仏した藤田は、宗教画に傾倒していく。

展示のもう一つの目玉は、やはりランスにあり、藤田が最晩年に全エネルギーを注いだシャペル・フジタ(フジタ礼拝堂)のフレスコ画の再現。その建設のためのデッサンも展示されている。本家のフジタ礼拝堂は5月から9月のみのオープンで、時期を選んで行かないと見られない。


またこのフレスコ画の下絵(といってもほぼ完成版に近い)は、パリ郊外のヴィリエ・ル・バクルにある藤田の元住居兼アトリエの「メゾン・アトリエ・フジタ」で見ることができるが、ここも現在閉館中。

ということで、現在見られないフランスの藤田作品が軽井沢に集結しているといっても言い過ぎではない。何気なくやっている展覧会のようで実はすごい。

コレクションルームでは藤田のトレードマークとも言える乳白色の肌の女性、猫、少女を描いた作品の他、モディリアーニの影響を受けた初期の作品など、幅広い作品が見られる。

個人宅をイメージした内装は温かみがあり、化粧室の壁紙さえ素敵だった。ゆっくり鑑賞した後は、併設されたハリオ・カフェでランチかお茶をしてから帰るのがお勧め。

ランス美術館のほうは2027年にリニューアルオープンの予定で、藤田作品だけを展示するギャラリーもできる。その前に軽井沢を訪れておくと、点が線でつながるように理解が深まるかもしれない。(現在の企画展は2026年1月4日まで。)



2025年11月3日月曜日

イサム・ノグチ庭園美術館と、デザインの街・高松

先日、香川県高松市にあるイサム・ノグチ庭園美術館を訪れた。

ニューヨークと日本を行き来していたノグチが日本の拠点としていたアトリエ兼住居で、高級石材の庵治石の産地として知られる牟礼(むれ)町にある。美術館の周りの石材業者の敷地にも立派な石が並び、美術館の一部かと見紛う。


見学は事前予約制。20人くらいのグループに分かれて案内される。見学箇所は大きく3か所で、ノグチの住居だった「イサム家」とそれに隣接した彫刻庭園、「あかり」が展示された資料館、そして「マル」と呼ばれる円形の石壁に囲まれた作業場と展示蔵を順に廻る。

ノグチと高松を結んだのは香川出身の画家・猪熊弦一郎。中学の後輩だった当時の金子正則香川県知事にノグチを紹介した。ノグチがこの土地にほれ込んだ理由は、ここで取れる庵治石より、むしろ石工たちの技術の高さだったらしい。実際、ノグチがここで制作した彫刻は、庵治石よりも海外など他の土地から取り寄せた石で作られたものが多い。

空の青さや自然の美しさにもノグチは惹かれたのだろう。彼が残した彫刻が並ぶ作業場は周囲の借景と見事にマッチして、ノグチの美意識に溢れている。ああ、美しいな、ここで作品制作をしていたノグチは幸せだったんだろうな、と思えた。しかしこの美術館は残念なことに受付の建物以外は写真撮影禁止。こんなにきれいなのにもどかしい! でも、彼の美へのこだわりを全身で感じられた体験だった。(一方、ニューヨークのイサム・ノグチ庭園美術館は写真撮影ウェルカムらしい。) 


さて、高松の見どころはイサム・ノグチだけではない。前述の金子前知事は「デザイン知事」とも呼ばれ、彼のイニシアティブで香川は「アート県」の地位を確立していった。

猪熊氏と金子氏を中心として、香川でイサム・ノグチ、谷口吉生、流政之などを含むアーティストネットワークが形成されたというのも興味深い。そういう点で高松は当時、東京や京都よりも進んだ文化都市だったのだろう。

代表的な例は1953年竣工の香川県庁舎東館。丹下健三のモダニズム建築を、猪熊弦一郎の陶板壁画「和敬清寂」が飾る。ロビーのベンチは今や有名な家具メーカーの桜製作所が手掛けた。




更に遡ること300年。高松藩主・松平家が100年かけて完成させた栗林公園にも美が結集している。ここにデザイン・マインドの原点となるDNAがあったのかもしれない。ちなみに栗林というのは名ばかりで、実際は1000本の松の木が幅を利かせている。


2027年にはマンダリン・オリエンタル高松のオープンも予定されている。ますます高松から目が離せないが、ゆっくり観光するなら今のうちかもしれない。