用事で京都に行った際、二条城で開催中の「アンゼルム・キーファー Solaris」展を見た。
正直なところアンゼルム・キーファーについてはほとんど予備知識がなく、好きも嫌いもなかったくせに、世界遺産の二条城で大規模な個展をやると聞けばがぜん興味が沸く。器って大事だとつくづく思う。
キーファーは戦後ドイツを代表する新表現主義のアーティスト。ナチス、戦争、歴史、神話、聖書などをテーマにした大型の作品が多いという。
二条城の東大手門を入り、ほとんどの人が唐門と二の丸御殿を目指して左に歩いて行くのとは逆方向に、キーファー展の会場の台所・御清所(おきよどころ)へ。通常非公開であまり目立たないところ。後で思い返すと、このメインストリームから外れた感も一つのカギだった。
会場に入ると、庭に大きな翼の像がそびえている。よく見ると胴体は絵具のパレット。大空に羽ばたいていくより、地面にからめとられているように見える。
建物に入ると正面に巨大な絵があり、奇妙な生き物の目らしきものがこっちを見ている。あまり目を合わせたくない。立体的なまでに分厚く塗られた絵具その他の素材。
横の土間を見ると、ウェディングドレスっぽい装いの人型が点在し、どれも頭部だけ人間じゃなくなっている。何があったのこの花嫁たち?
中庭に目をやると、ここにも頭部が人間ではない、ドレスを着た人型たちが化石のように立っている。
どの作品を見ても不穏なのだ。時が塗り固められてしまったような重苦しさ。ほとんどの作品に使われている金箔も、二の丸御殿の狩野派の障壁画のような絢爛豪華さはなく、一つの素材として扱われているにすぎない。江戸時代から時がとまったような二条城に、いつからあったかわからないパラレルワールドが出現したかのようだ。城の中でも人の流れに逆らったこの場所だけが、異世界にひっそりと乗っとられてしまったのだろうか。
その名も「桜の園」。
東京ではソメイヨシノがほぼ終わりかけていた頃、ここには様々な種類の桜がまだ見事に咲いていた。こんなに美しい桜がまだ見られるとは想定外。少し散り始めた花びらが舞う様が一層ファンタジックだった。人も少なく、しばし夢のような散策を楽しみ、余韻に浸りながら城を後にした。
二条城まで行って二の丸も本丸も見なかったが、二つの別世界に行ってきたような体験だった。それも二条城という場所ならでは。器は大事だとつくづく思う。