ニース空港から車で30分ほどのヴァンス(Vence)という町に、アンリ・マティスが手掛けた礼拝堂がある。正式には「ロザリー・チャペル(Chapelle du Rosaire)」というが、今では「マティス・チャペル」と呼ばれることが多い。
マティス最晩年の大作となった礼拝堂は、ステンドグラスから差し込む光の美しさで知られるが、縁と偶然がきっかけで実現したその運命的なストーリーにも惹かれる。
1941年、72歳だったマティスは大病の手術を受け、退院後は当時住んでいたニースに戻って療養する。奇跡的な回復をしたマティスは「第二の人生」を与えられたと感じた。そして翌年看護婦として雇ったモニク・ブルジョワと友情を深め、モニクはマティスの絵のモデルも務めるようになった。その後モニクはドミニコ会の尼僧となる。
数年後、ヴァンスに引っ越していたマティスは、モニク改めシスター・ジャック・マリーと再会。尼僧たちが礼拝堂を必要としていることを聞く。もう一つの命を与えられたと思っていたマティスは、やがてそこに自分のミッションを見出し、自分が礼拝堂を作ると約束した。
マティス完成までの4年間、全ての時間を礼拝堂に捧げ、設計から内装、ステンドグラス、家具、そして法衣のデザインまでを手掛けた。施工はオーギュスト・ペレが監督し、礼拝堂は1951年に完成した。
礼拝堂は建物の地下にある。礼拝堂内は撮影禁止なので、今回の訪問の直前に国立新美術館で開催中の「マティス 自由なフォルム」展で再現された礼拝堂を下見した際の写真を掲載(こうやって改めて写真を見ると、とても忠実に再現されていたと思う)。
入り口から見て一番奥の祭壇の後ろの壁と左の壁に合計3つの大きなステンドグラスがあり、右の壁と手前の壁にはシンプルな線で描かれた陶板画がある。
広くはない礼拝堂だが、10時のオープンと同時に行ったため人も少なく、ほぼ独り占めできた(東京の展覧会はごった返していた)。
建物内に併設されたミュージアムでは、マティスが何枚も描いた壁画の下絵などのドローイングや、実現しなかったステンドグラスのデザインなども展示されている。
マティスの切り絵の要素が詰まった法衣も、ファッションブランドのディスプレイのようなカラフルさがいい。これをまとった神父さんたち、「え、ちょっと派手じゃないかな…」とか言いながらまんざらでもなかったんじゃないかとか想像する。
礼拝堂は数年前に大改修工事をしたが、案内してくれたドライバーさんの話によると、修道会ではその費用を捻出できなかったため、市の管理下に入ることで費用を負担してもらった。今でも毎週日曜日にはミサが行われ、尼僧の人たちは隣の建物で暮らしている。
東京の展覧会も、ニースのマティス美術館も良かったが(作品の大半は東京に貸し出し中ではあったけれど)、ヴァンスのロザリー・チャペルはマティスのスピリットを感じる魅力的な場所だった。