展示されているのは3作品のみ、建物はそれに合わせて作られたという美術館がある。
岡山県の「奈義町現代美術館」。岡山駅から津山線快速で1時間7分(各駅停車だとプラス20分)、さらにバスで45分。東京からだと半日かかるので、かなり「はるばる」感がある。
津山線はワンマン運転でICカードが使えず、無人駅では車内の料金箱にお金を入れて降りる。知らない土地のローカル線は、駅の名前ひとつ取ってもアナウンスだけではどういう漢字を書くのか見当がつかなかったりして、そういうのも含めて新鮮で楽しい。
バス停から美術館まで徒歩5分ほどの道は静かで、人っ子一人いない・・・かと思いきや、忽然とお洒落なピッツェリアが出現し、店の外まで待つ人がいる。実はそれは美術館の別棟で、すぐ隣に奈義町現代美術館、別名「Nagi MOCA」がある。
最初の展示室「大地」にあるのは、磯崎夫人である宮脇愛子の「うつろひ」。ステンレスのワイヤが水面や、石を敷き詰めた地面の上で交差し、時間によって変化する光や風を反映して表情を変える。中心軸は、美術館がそのふもとに建つ那岐山の山頂を指しているという。
更に奥に進み、展示室「太陽」へ。荒川+ギンズの「偏在の場・奈義の龍安寺・建築する身体」という作品。写真がびっしり貼られた小部屋の真ん中にある黒い筒の裏側に回り、らせん階段を上って2階へ。
上に着くと、最初は向こうからの光がまぶしくて中の構造がよくわからない。大きなドラム缶を横に倒したような室内を一歩踏み出すと床も湾曲していて、それだけで平衡感覚を奪われる。両脇の壁には枯山水の庭園。何これ?
床にはやはり湾曲したベンチと、なぜかシーソーが。天井を見るとそれらと同じ形をしてサイズだけが大きいベンチとシーソーがある。便宜上「床」と「天井」と呼んだけれど、それも正しいのかどうか???まっすぐ立てないというだけで、人間の感覚ってこんなに不安定になり、周りの奇妙な空間を優位に立たせてしまうのか。どこにいても落ち着かない。そんな状態で、本家ではどこから見てもどれかが見えないとされる龍安寺の石は、ここでは全部見えるのかしらなどと考えた。
最後の展示室は「月」。岡山出身のアーティスト・岡崎和郎の「HISASHI‐補遺するもの」。
白い三日月形の部屋。床は砂のようなざらざらした材質で、足音が不思議な音に変化して部屋に反響する。壁には「ひさし」のオブジェ。室内なのに雨や日差しを避けるための庇があり、その反対側の壁に沿うようにベンチがある。一番奥にはジャコメッティの彫刻がすり抜けてきそうな細い窓が開いている。さっきの「太陽」の後なので一層心が休まる。音の反響を聞きながら歩き、ベンチに腰掛けてしばし空間を眺める。冒頭でこの美術館にあるのは「3作品のみ」と書いたが、正確にはそれは常設作品のことで、企画展示をしているギャラリーもある。訪問時はやはり岡山出身の長原勲の作品を展示中。航空写真のように上から眺めた風景に、あの「太陽」の窓と同じ形がくり抜かれている。
帰りのバスに乗る頃は青空。何か、異空間から帰ってきたような気分だった。見て、歩いて、全身の感覚で鑑賞するアートの箱。自分が何を感じるかは、はるばる行ってみるまでわからない。