2024年5月21日火曜日

海辺のコクトー・チャペル

フランスのコートダジュールに、ヴィルフランシュ=シュル=メール(Villefranche-sur-Mer)という小さなリゾート地がある。ニース空港から車で東へ40分くらいのところで、モナコやカンヌのような華やかさはないが、テラスレストランで白ワインでも飲みながら、しばし道行く人々を眺めて過ごしたくなるような、そんなチャーミングな街。海沿いの道にはカラフルさにレンガ色を少しだけ混ぜたような建物が、コバルトブルーの空を背景に並ぶ。景観の統制のため、建物に塗っていい色は指定されていると聞いた。


通りの端にはサン・ピエール・チャペル、通称「コクトー・チャペル」がある。ヴィルフランシュ=シュル=メールは昔から文化人やセレブに愛されており、ジャン・コクトーもその一人。16世紀に建てられたチャペルは長い間、漁師たちの網の保管所や裁判所として使われていたが、1957年にコクトーが外装と内装を手掛けてチャペルとして復活した。


コートダジュール各地で休暇を過ごし、たくさんのインスピレーションを得たコクトーは、2つのチャペルの装飾をしており、最初がこのサン・ピエール・チャペル。当時このチャペルの所有者だった漁師への友情の印として、依頼を引き受けたのだそうだ。コクトーは斜め向かいの「Welcome Hotel」に住んでいた。

内部には聖ペテロの一生や漁師の生活の壁画が天井まで全面に描かれている。残念ながら建物内は撮影禁止。別に写真くらい撮らせてくれてもいいじゃないと思うが、そんな人のために絵葉書が1ユーロで売られている(私も買ってしまった)。まあ、カメラに収めるより記憶に留めることのほうが大切なのも確か。

チャペルは今でも地元の漁業組合に属しており、聖職者は常駐していないが、結婚式場としても利用されている。

ヴィルフランシュ=シュル=メールと空港の間には、ニースの海岸線まで一望できる展望台や古い砦もある。フライトの前にちょっと時間を割いて行ってみるのもいい場所だと思う。






2024年5月19日日曜日

マティス・チャペル

ニース空港から車で30分ほどのヴァンス(Vence)という町に、アンリ・マティスが手掛けた礼拝堂がある。正式には「ロザリー・チャペル(Chapelle du Rosaire)」というが、今では「マティス・チャペル」と呼ばれることが多い。


マティス最晩年の大作となった礼拝堂は、ステンドグラスから差し込む光の美しさで知られるが、縁と偶然がきっかけで実現したその運命的なストーリーにも惹かれる。

1941年、72歳だったマティスは大病の手術を受け、退院後は当時住んでいたニースに戻って療養する。奇跡的な回復をしたマティスは「第二の人生」を与えられたと感じた。そして翌年看護婦として雇ったモニク・ブルジョワと友情を深め、モニクはマティスの絵のモデルも務めるようになった。その後モニクはドミニコ会の尼僧となる。

数年後、ヴァンスに引っ越していたマティスは、モニク改めシスター・ジャック・マリーと再会。尼僧たちが礼拝堂を必要としていることを聞く。もう一つの命を与えられたと思っていたマティスは、やがてそこに自分のミッションを見出し、自分が礼拝堂を作ると約束した。

マティス完成までの4年間、全ての時間を礼拝堂に捧げ、設計から内装、ステンドグラス、家具、そして法衣のデザインまでを手掛けた。施工はオーギュスト・ペレが監督し、礼拝堂は1951年に完成した。


礼拝堂は建物の地下にある。礼拝堂内は撮影禁止なので、今回の訪問の直前に国立新美術館で開催中の「マティス 自由なフォルム」展で再現された礼拝堂を下見した際の写真を掲載(こうやって改めて写真を見ると、とても忠実に再現されていたと思う)。


入り口から見て一番奥の祭壇の後ろの壁と左の壁に合計3つの大きなステンドグラスがあり、右の壁と手前の壁にはシンプルな線で描かれた陶板画がある。

広くはない礼拝堂だが、10時のオープンと同時に行ったため人も少なく、ほぼ独り占めできた(東京の展覧会はごった返していた)。

建物内に併設されたミュージアムでは、マティスが何枚も描いた壁画の下絵などのドローイングや、実現しなかったステンドグラスのデザインなども展示されている。




マティスの切り絵の要素が詰まった法衣も、ファッションブランドのディスプレイのようなカラフルさがいい。これをまとった神父さんたち、「え、ちょっと派手じゃないかな…」とか言いながらまんざらでもなかったんじゃないかとか想像する。


礼拝堂は数年前に大改修工事をしたが、案内してくれたドライバーさんの話によると、修道会ではその費用を捻出できなかったため、市の管理下に入ることで費用を負担してもらった。今でも毎週日曜日にはミサが行われ、尼僧の人たちは隣の建物で暮らしている。

東京の展覧会も、ニースのマティス美術館も良かったが(作品の大半は東京に貸し出し中ではあったけれど)、ヴァンスのロザリー・チャペルはマティスのスピリットを感じる魅力的な場所だった。

2024年5月13日月曜日

ノルマンディーでデヴィッド・ホックニーを見る

フランス・ノルマンディーのルーアンはパリから電車で1時間20分。モネが何枚も描いた大聖堂で知られる。


今回ルーアンを訪れた目的は、その大聖堂よりむしろ、デヴィッド・ホックニーの展覧会を見ること。昨年、東京都現代美術館で見たホックニー展がとても印象的で、彼が現在住んでいるノルマンディーでの展示は是非見たいと思った。

2019年からノルマンディーに居を構えたホックニーは、iPadを駆使してノルマンディーの自然の風景を色鮮やか且つチャーミングに描いている。環境に合わせて新たな道具を軽やかに取り入れ、新たな作風を生み出すホックニー。


「David Hockney Normandism」と題された今回の展示は、ルーアン美術館(Musée des Beaux-Arts de Rouen)で開催されている。なんと入場無料。ホックニーの自画像が入口で迎える。


この企画展はノルマンディー全体で展開している印象派フェスティバルの一環で、ルーアン美術館の印象派絵画のコレクションとホックニー作品が一緒に展示されているのもここならではの趣向。モネに挟まれたホックニーは滅多にない。


ホックニーの作品はiPadのドローイングと油彩画の両方が展示されている。東京で見たような超大作(90mの絵巻)はないが、ノルマンディーの春の風景を描いた作品はどれも明るくて美しい。多くの人がカメラに収めていた。


今回、新たに見られたのは夜の風景画。「The Moon Room」というコーナーに月夜を描いた作品が集められている。



時にはマグリット、時にはゴッホの作品へのオマージュを込めていることは想像できる。ちなみにオルセー美術館にあるゴッホの「星月夜(The Starry Night)」は下の写真。



解説によると、夜を表現するために、グリーンやブルーなどの色彩をどのように残し、黒やグレーの影とどう組み合わせるか、やはりiPadでの検証が役に立っているらしい。

「もし彼の時代にiPadがあったら、モネだって使っていただろう! 」というホックニーの言葉が会場にあった。

これからも可能性は無限。前向きなメッセージを受け取った展示だった。


2024年4月27日土曜日

シンガポールのクラフトジン

「Brass Lion Distilllery」は、約5年前に開業したシンガポールで最初のジン蒸留所。1時間の見学ツアーに参加した。


シンガポールと言えばタイガービールをはじめとするご当地ビールが豊富だが、国産のスピリッツがなかった。そこで「作ろう!」と発起した若い起業家の女性オーナーが、海外のジン蒸留家に弟子入りしてジン造りを自ら学び、技術を持ち帰った。

ここでのジン造りは、蒸留、瓶詰、ラベル張りまで、そう広くはない一室で完結する。ツアーが行われるのは製造がお休みの週末。フラッグシップ商品の「シンガポール・ドライ・ジン」には22種の原料が使われている。標準的に使われるジュニパーベリーなどの他、アジアらしさ、シンガポールらしさを打ち出すためレモングラスやジンジャーフラワーも加えたオリジナルの配合。見学者もいくつかの材料の香りを嗅いでみる。へえ、透明なジンもこんなに複雑な香りから生まれるのね、と認識を新たにする。中国の薬草酒か何かの原料を見ているようでもあり、ボトルからは全く想像がつかない。

小さな蒸留所ならではのエピソードを聞けるのこのツアーの面白さ。なにしろシンガポールで初めてのケースなので、蒸留所の申請をしたのに醸造所の許可証が出てきたり、お役所も迷走したらしい。


ボトリングマシーンで一度に4本の瓶にジンが注がれた後は、なんと今でもスタッフが一本一本、手で栓をしている。そして栓をされたボトルにラベルを一枚一枚張るのもスタッフ。デザイナーが紙にもこだわった結果、厚すぎて自動ラベル貼り機に入らなかったんだとか。でも並べておきたくなる美しいラベルは、その労力の価値が十分あると思う。


ツアーの後はバーに移動してテイスティング。さっき見た数々の植物の香りを探しながら3種のジンを味わう。真ん中のバタフライピー・ジンは、エルダーフラワーティーを注ぐと色が赤っぽく変化する。アントシアニン色素のなせる業と後で知った。

わずか1時間のツアーで、普段はジンを飲まない私もジンとの距離が少し縮まり、世界が拡がった。もっとジンを極めたい人には、自分のオリジナルジンを蒸留する半日クラスも開催されている。

Brass Lion Distilleryも言っているように、"Don't just drink it. Experience it!"


2024年4月21日日曜日

シンガポールで壁画巡り ②チャイナタウンとチョンバル

シンガポールのアーティストYip Yew Chongさんの作品は、観光地から住宅街まで様々なエリアにある。

日本でいうところの「昭和の時代」の日常を題材にしたものが多く、特にチャイナタウンに集中している。




昔の値段の公衆電話と、現代(2019年)の日付のカレンダーが同居している。こういうディテールを見つけるのも面白い。

コナンがドリアンを買いに来ている作品も有名。


チャイナタウンの寺院の壁にはもっと昔の風景を描いた作品もある。中華系の人々の働きによって栄えた港町ボートキーの19世紀当時の様子と、遠くにマリーナ・ベイサンズなどがそびえる現代のスカイラインまで、2世紀にわたる物語がひとつの絵巻のように展開する。




ローカルに人気のチョンバル(Thiong Bahru)というエリアにも3つの作品がある。1930年代にシンガポール初の住宅街として開発されたチョンバルは、今でも当時のアールデコ調の建物が並ぶ。


「Home」という作品は、そんな住宅街の一室の風景を描いたものだろうか。当時はどんな家にもあったであろう家財道具に囲まれてくつろぐ住人。絵の中のカレンダーの日付は1979年1月とある。

チョンバルは古くから市場を中心に発展してきたが、21世紀に入って再開発が進み、現在では若者にも人気のお洒落なエリアになっている。その歴史をたどる「ヘリテージトレイル」のウォーキングツアーをしている人たちもチラホラ見かけた。

Yipさんの作品でも、昔の露天商や占い師の様子がリアルに再現されている。




中でもチョンバルならではの歴史を物語るのは「Bird Singing Corner」という作品。地元の人がコーヒーを飲みながら、のんびりと籠の中の鳥たちの声に耳を傾けている。2003年まで実際にあった場所だそう。

壁画が縁で知らなかった場所に行き、その歴史を少し知ることができたのは旅の収穫。理想的なストリートアートの在り方だと思う。


2024年4月15日月曜日

シンガポールで壁画めぐり ①カンポングラムとクラーク・キー

昨年6月にシンガポールで見たYip Yew Chongさんの壁画(リンク)があまりにも面白かったので、また見に行ってきた。

Yipさんの作品は1970年代頃のシンガポールの生活を描いたものが多く、ノスタルジックながらもリアルな描写で、人々を絵の中の世界に引き込んでしまう。

今回は新作を見にカンポングラムへ。アラブ系とマレー系の伝統が残るこの地区には2023年8月に完成した超大作がある。

3階建ての建物の壁全面に描かれたのは、屋根から掛けられた大きな布が象徴する布地屋の風景。この建物で50年以上布地卸業を営むオーナーの注文で制作されたもの。(手前に並ぶ4つのタイル画の石柱は以前からあったもので、Yipさんの作品ではない。)


絵は隣の棟にも続き、布地屋以外のスモールビジネスも描かれている。


この壁画はカンポングラム活性化5か年計画の口火を切るものでもある。Yipさんが自身の記憶とリサーチによって作成した下絵は都市再開発局に提出され、歴史専門家などのフィードバックも得て作品に反映された。カンポングラムにはこれまでもストリートアートは存在していたが、この作品は同地区の今後のアートのレベルを一段上げるに違いない。

カンポングラムにもう一つある新作はバスケットと猫の絵。ここは本当にバスケット屋さんなので看板代わりになっている。写真に撮った時の「3D感」もまたYip作品の特徴の一つ。



次はクラーク・キーへ。カラフルな建物が並ぶリバーサイドエリアもリノベーションが進行中。今年完成したばかりのYipさんとtobyatoさんというアーティストの共作「Fire Fish」が、きっと前は地味だったであろう倉庫街を鮮やかに彩る。



古き良き時代を彷彿とさせるタッチと、大胆な現代風のデザインが融合して、なんともかっこいい。

次回へ続く。


2024年1月8日月曜日

「オーヴェル・シュル・オワーズのゴッホ」展

先月、パリのオルセー美術館でゴッホの興味深い展覧会を見た。その名も「オーヴェル・シュル・オワーズのゴッホ」展。ゴッホが最期の70日間を過ごしたオーヴェル・シュル・オワーズ時代だけを扱った初の企画。

ゴッホはここで74枚の絵画を制作した後、自殺したとされている。でも本当に自殺だったかどうかは諸説あり、それゆえにオーヴェル・シュル・オワーズは、ゴッホゆかりの地の中で最もゴッホの魂に近く、彼の執念にも似た熱量を感じる場所だと思っている。

そのオーヴェル時代の作品の多くが集結し、彼が弟に出した手紙や、スケッチブック、パレットなど、あまり目にすることがない貴重な周辺資料と一緒に展示されている。

面白かったのは、よく美術館で見るような重厚な額縁はゴッホの好みではなかったという話。彼は額縁には強いこだわりがあって、絵の色が際立つよう平たくプレーンな額縁を指定していた。これを受けてオルセーは最近になって額縁を変更したらしい(冒頭の「オーヴェルの教会」の写真がそれ)。ゴッホの指定はシンプル過ぎて当時の流行には合わなかったのだろうが、作家の意向がこれほど長い間無視され続けていたというのもなかなかすごい。

オーヴェル滞在の70日の間にゴッホは新しい色を発見し、新しい手法にも挑戦した。陽光溢れるプロヴァンスからオーヴェルに移ってきたゴッホの目には影がよりはっきり見え、異なる青の色合いを風景画に取り入れるようになった。

彼は独自の新フォーマットも開発している。「ダブルスクエア」と呼ばれる正方形を二つつなげた2:1の横長のキャンバスの作品を全部で13点描き、うち11点が今回展示されている。それらはオーヴェル滞在の後半に制作されたそうだが、決して生き急ぐように描かれたのではなく、一つ一つ丁寧に、熟考や修正を重ねたものだった。

ゴッホの最後の作品もダブルスクエアで、彼が自殺を図ったとされる日に描かれた「木の根」。

その直前まで描いていた風景画からガラッと変わり、抽象画のような、攻撃的なまでに強い色合いの作品。ゴッホはその2週間ほど前に「私の人生もまた、根っこの部分で攻撃されている」と書いていたそうで、それをこの作品に込め、自殺へと進んだとする解釈もあるようだ。

しかし、ゴッホがオーヴェルで過ごしたのは1890年の5月下旬から7月の終わり。春から初夏に移る季節の生命力に満ちた木々の緑や花の美しさは、ゴッホにもインスピレーションと新たな挑戦のエネルギーを与えたと想像できる。そして、他のどの絵とも異なる「木の根」もまた、彼の挑戦の一つだったのではないか。 ここから真夏に向けてゴッホの新時代が始まるはずだったのではないだろうか

と、まあどれだけ考えても、ゴッホの最期の70日間の真実はゴッホ本人にしかわからない。この展覧会でゴッホへの理解が深まったと同時に、謎も深まった気がする。そして一層ゴッホに惹かれたのは間違いない。