2025年6月10日火曜日

Art Space by MOCA Bangkok

 バンコクのチャオプラヤ川沿い、フォーシーズンズホテル・バンコクの1階に素敵なアートスペースがある。展示されている作品はミュージアムクオリティ。それもそのはず、ここはMOCAバンコク(バンコク現代美術館)とホテルのコラボレーションで運営されており、展示作品はすべてMOCAがキュレーションしている。

アートスペースの入口は独立しているのでホテルに宿泊していなくても気軽に入れる。入場は無料。広々したスペースにタイのアーティストによる作品が並ぶ。訪問した時は、バンコクのインターナショナルスクールで美術を学ぶ学生たちの作品が展示されていた。学生とはいえかなりハイレベル。日本とは少し違う色彩も新鮮だった。


本家のMOCAバンコクは面白い現代美術館だけれど街の中心から遠く、行くのはちょっと不便なので、バンコクの現代アートを見られるスペースがここにあるのは嬉しい。四半期ごとに企画展を入れ替えているそうなので、バンコクに行くたびに訪れたい。




2025年6月8日日曜日

「Visionary Journeys」展 in Bangkok

「LV The Place Bangkok」は、バンコク中心街にあるルイ・ヴィトンの新形態店舗。ブティック、カフェ、レストラン、エキシビションの4つのコーナーで構成され、買い物以上にブランド体験を重視した場所といえる。ちなみにレストランは、かつてAsia’s Top 50 で連続1位を獲得してその後閉店してしまったあの「Gagan」が新たに出店し話題になっている。


2024年のオープン時から続いている「Visionary Journeys」展は、ルイ・ヴィトンのヘリテージと各時代のストーリー、そして今への変遷を見せる展示。LVのブランド展示は過去にも見たことがあり、それぞれ面白かったが、今回は進化したビジュアルのインパクトが強かった。

ドアが開くと「ザ・トランクスペース」と名付けられた最初の空間が現れる。LVの原点ともいえる96個の「クーリエトランク」と鏡面がジオメトリックなトンネルを作り、来場者を奥へといざなう。もう、すでに持っていかれている感じ。


次の部屋は「オリジン」。LVの創業初期、馬車が移動手段だった19世紀から、自動車が登場した20世紀初頭にかけて、LVが作った様々な旅の道具が展示されている。その多くは広い意味で「鞄」なのだが、当時の人たちの旅は、旅行というより引っ越しに近かったんじゃないかと思う。従者を連れての贅沢な旅をする人達に限られたことだったにせよ、ワードローブごと、事務机ごと持っていくという発想で、LVはそれを可能な限りポータブルにして提供した。でも現代人がラップトップを持っていくように、当時の人はタイプライターを持っていったのだと思えば、それほど変わっていないのかもしれない。


次の「アイコン」の部屋には、リバイバルされた各時代の代表的なバッグが展示され、「コラボレーション」の部屋に続く。ブランドとアーティストのコラボレーション製品の数々が、移り変わるイマーシヴな映像とともにディスプレイされる。永遠に続く床と天井をのぞき込んだり見上げたり。LVとアートの関係は長く、100年ほど前にはアーティストたちに作品制作をコミッションしていたそうだ。この楽しい空間にも、アートに対するLVのコミットメントが詰まっている。




最後の部屋にあるカラフルな機械からポストカードをもらって帰る。展示だけでも印象深かったけど、それを思い出させるお土産をすかさず渡すところが憎い。

この「Visionary Journey」展は、2025年7月から大阪中之島美術館に巡回(もしくはポップアップ?)する。行ったばかりなのに、また行ってみたいと思っている。



2025年4月23日水曜日

二条城で見たアンゼルム・キーファーと、桜

用事で京都に行った際、二条城で開催中の「アンゼルム・キーファー Solaris」展を見た。

正直なところアンゼルム・キーファーについてはほとんど予備知識がなく、好きも嫌いもなかったくせに、世界遺産の二条城で大規模な個展をやると聞けばがぜん興味が沸く。器って大事だとつくづく思う。

キーファーは戦後ドイツを代表する新表現主義のアーティスト。ナチス、戦争、歴史、神話、聖書などをテーマにした大型の作品が多いという。

二条城の東大手門を入り、ほとんどの人が唐門と二の丸御殿を目指して左に歩いて行くのとは逆方向に、キーファー展の会場の台所・御清所(おきよどころ)へ。通常非公開であまり目立たないところ。後で思い返すと、このメインストリームから外れた感も一つのカギだった。

会場に入ると、庭に大きな翼の像がそびえている。よく見ると胴体は絵具のパレット。大空に羽ばたいていくより、地面にからめとられているように見える。


建物に入ると正面に巨大な絵があり、奇妙な生き物の目らしきものがこっちを見ている。あまり目を合わせたくない。立体的なまでに分厚く塗られた絵具その他の素材。


横の土間を見ると、ウェディングドレスっぽい装いの人型が点在し、どれも頭部だけ人間じゃなくなっている。何があったのこの花嫁たち?



ベビーカーが張り付けられた作品は、母と子の微笑ましい光景など全くなく、背景は緑青(ろくしょう)が広がる。ここに乗ってたはずの赤ちゃん、どこ行っちゃったの?


中庭に目をやると、ここにも頭部が人間ではない、ドレスを着た人型たちが化石のように立っている。


どの作品を見ても不穏なのだ。時が塗り固められてしまったような重苦しさ。ほとんどの作品に使われている金箔も、二の丸御殿の狩野派の障壁画のような絢爛豪華さはなく、一つの素材として扱われているにすぎない。江戸時代から時がとまったような二条城に、いつからあったかわからないパラレルワールドが出現したかのようだ。城の中でも人の流れに逆らったこの場所だけが、異世界にひっそりと乗っとられてしまったのだろうか。


一番奥で待ち構えていたキーファーの自画像は、背中を向けていて表情がわからない。


よく消化できないままに会場を出て、桜まつり終盤の出店が並んだ道を歩き、日常の世界に戻った。折角なので、敷地内を少し歩いてから帰ろうと、唐門を通り過ぎて本丸御殿のほうに行ってみた。するとそこにもまた非日常の世界が。

その名も「桜の園」。


東京ではソメイヨシノがほぼ終わりかけていた頃、ここには様々な種類の桜がまだ見事に咲いていた。こんなに美しい桜がまだ見られるとは想定外。少し散り始めた花びらが舞う様が一層ファンタジックだった。人も少なく、しばし夢のような散策を楽しみ、余韻に浸りながら城を後にした。

二条城まで行って二の丸も本丸も見なかったが、二つの別世界に行ってきたような体験だった。それも二条城という場所ならでは。器は大事だとつくづく思う。


2024年12月31日火曜日

ヴァチカン美術館

世界最大級。20以上の美術館から構成され、全長7㎞とされるヴァチカン美術館。

全部見るのは無理と割り切り、システィーナ礼拝堂に的を絞る。ヴァチカン美術館は待たずに入場するには事前予約が必須で、システィーナ礼拝堂だけのチケットはなく、必ず美術館とセットになっている。入場時間枠だけの予約もあるが、巨大な美術館のポイントを押さえつつ、システィーナ礼拝堂まで確実に連れて行ってもらえるツアーを予約した。これは正解だったし、お勧めする。

見学を始める前に、ガイドさんが映像を使ってシスティーナ礼拝堂の見どころを説明してくれる。システィーナ礼拝堂は自由見学なので、その時のために頭に入れる。

ツアーは人混みを縫いながらハイペースで進む。古代彫刻が並ぶ回廊を抜け、絢爛な天井画や壁画、床モザイクなどに、ここはそもそもただの美術館ではなく、教皇が暮らす宮殿だということを思い出す。ツアー中はじっくり見ている時間はないが、急かされるくらいのペースでないといちいち天井画に見入ってしまったりして、システィーナ礼拝堂にたどり着けない。(見たい人は後で戻って見学できる。)





見過ごしてしまいそうなごく普通の天井絵も、ガイドさんの指摘で見てみると、絵の具で写生をしている人たちの下にカメラを持った天使がいる。


絵のメッセージはよくわからないが、きっと19世紀頃の、カメラが登場した最初の絵だろうか。こういうディテールが発見できるのもガイドツアーの良さ。

ヴァチカン美術館で見逃せないものの一つは「ラファエロの間」と呼ばれる、教皇の私室だった4つの部屋。そのうちラファエロが描いたのは2番目の「ヘリオドロスの間」と3番目の「署名の間」の2部屋。それ以外は弟子の手による。



最も知られた「アテナイの学堂」は署名の間にある。


ガイドさんが教えてくれたエピソードが面白い。まだ20代だったラファエロがこの絵を描いていたのと同時期に、システィーナ礼拝堂ではミケランジェロが天井画を描いていた。ミケランジェロは制作の様子を人に見せなかったが、こっそり見たラファエロはそのあまりのレベルの高さに衝撃を受け、「アテナイの学堂」にミケランジェロを描き加えて敬意を表した、という話。手前でひじをついて座っているのがミケランジェロ。


ツアーはシスティーナ礼拝堂の手前で終了。2時間近いツアーも気づいたらあっという間だった。

システィーナ礼拝堂には、ミケランジェロが4年かけた天井画と、6年かけた祭壇画「最後の審判」がある。前者はミケランジェロ30代のときの、後者は60代から70代のときの作品。

いずれも彫刻のような人体描写が特徴。9枚の天井画は、天地創造の物語の進行と逆の、入口から遠いほうから描き始めたそうで、手前に来るほどその表現力が高まっているらしい。1541年から47年にかけて制作された「最後の審判」は更に誇張された表現で、400人以上の人物が描かれている。キリストの右下で自分の生皮を持っている人物がいるが、その生皮がミケランジェロの自画像とのことだった。

礼拝堂内は撮影禁止なのでしばし留まり、自分の目でじっくり見る。絵が迫ってくるようだった。

ミケランジェロは「最後の審判」の後、同じくヴァチカンのサンピエトロ大聖堂の円蓋の設計も任され、彼の死後、構想通りに完成した。


ヴァチカン美術館の収蔵品は古代から現代に及ぶけれど、中でも500年前、まさに芸術が花開いていたルネサンス時代の圧倒的な勢いとパワーを感じずにはいられない場所だった。


2024年12月28日土曜日

ふらり、カラヴァッジョを見る

 「永遠の都」と呼ばれるローマ。

空港からホテルに向かう車から眺めているだけでも、古代遺跡らしきものが続々と目に入ってくる。歴史のスケールの違いに、即座に「参りました」と思う。こんな都市は1日や2日で見尽くせるものではない。

が、1日や2日しか時間がなかった私は、カラヴァッジョのある教会へ行くことに。

まずサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会(San Luigi dei Francesi)へ。ローマ在住フランス人の国民教会とのことで、公式サイトもフランス語。

ここにはカラヴァッジョが1600年頃制作した「聖マタイ三部作」がある。誰でもフラッと入れる街中の教会に400年前の名作があるのが、またローマのすごいところ。日暮れ後でも見学者が途切れない。三部作は入口から見て一番左奥のコンタレッリ礼拝堂にあり、右から「聖マタイの召命」、「聖マタイと天使」、「聖マタイの殉教」と並ぶ。しかし残念ながら、3作のうち最も有名でバロック美術の先駆けともいわれる「聖マタイの召命」はメンテナンスのためかクローズ中。それでも「聖マタイと天使」は少し離れた正面から、「聖マタイの殉教」は斜め前から見ることができた。




 次はサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会から徒歩3分のサンタゴスティーノ教会(Basilica di Sant'Agostino in Campo Marzioへ。


ここにあるのはカラヴァッジョが1604-06年ころ制作した「ロレートの聖母」。入って左側手前のカヴァレッティ礼拝堂にある。

その奥行き、ドラマティックさ、現実感は左右の絵とは比較にならない。聖母マリアが裸足であることなどから不敬だと言われ、カラヴァッジョは投獄されたそうだが、当時の人びとにとって、不敬かどうかより新しすぎる作風そのものに受けた衝撃がずっと大きかっただろうと思う。

見ているうちに照明が消えた。あ、そうか。「お布施」の1ユーロコインを入れると絵を照らす照明がつく仕組みだった。先に誰かがお布施を入れていたのだ。しかしキャッシュレス化が進み、海外旅行でも現金を全く使わずに済んでしまうこともある昨今、私は小銭を用意していなかった。もう少し見ていたかったけれどあきらめる。ここもバーコード決済導入してくれないかしら(それも世知辛いけど)。


バロックついでにもう一か所。ボッロミーニのサン・カルロ・アッレ・クワトロ・フォンターネ聖堂(Chiesa di San Carlino alle Quattro Fontane)。ここは外観のみ見学。バロック建築の代表的作品と言われ、波打つようなファサードの曲線美が特徴。


それが街並みになじんでいるところも、またローマ。


永遠の都には、どんな時代もサラッと現存している。


2024年12月16日月曜日

ジョルジュ・デ・キリコ 邸宅美術館

今年(2024年)東京で開催された「デ・キリコ展」を見た。

それまでデ・キリコの作品はまとめて見たことがなく、「シュルレアリスムのイタリア人」くらいの認識だった。でも東京での回顧展を見て、彼のトレードマークともいえる「形而上絵画」はシュルレアリスムより前にあったことや、ポップアートが生まれる前にポップアートを思わせる作品を描いていたこと、日本のマンガが世界で知られるより前にマンガのようなタッチの作品を描いていたことなどを知った。サラッと時代を先取りしていたデ・キリコは一体何者だったのか、興味を持った。

ということで、先日ローマを訪れた際、「ジョルジュ・デ・キリコ邸宅美術館」に行ってみた。デ・キリコが1978年に90歳で亡くなるまで30年間暮らしたアパートメントで、スペイン広場のすぐそばにある。ギリシャで生まれたデ・キリコは、ミラノ、フィレンツェ、ミュンヘン、パリなどあちこちに住んだが、ローマが最も長い。だからローマの人にとってデ・キリコは「地元のアーティスト」なのだろう。数十年前、ローマを初めて訪れた際に入ったレストランで、お土産にデ・キリコの絵の小さなポスターをもらったのを思い出した(レストランがどんな店だったかはさっぱり覚えていない)。

美術館は完全予約制。建物の入り口には小さな看板があるだけで、知らなければ気付かない。中に入るとロビーにデ・キリコの大きな彫刻があるが、美術館がある4階に上がるとドアが閉ざされていて、特に看板も呼び鈴もない。やや不安になりながらドアをコンコンとたたくと、中から案内役の人が開けてくれた。

ツアーではデ・キリコが住んでいた3フロアのうち2フロアを見学。彼が住んでいたままの内装の部屋に、数多くの絵画や彫刻作品が展示されている。

メインフロアの最初の部屋には、第一次大戦後に古典に傾倒した時代の作品や肖像画が展示されている。


妻のイザベラはデ・キリコのマネージャー的な役割も担っていたそうで、ここをデ・キリコ没後20年の1998年に邸宅美術館として公開するよう遺言を残したのも彼女だった。



デ・キリコが使っていたソニー製のブラウン管テレビも、彼が好きだったPunt e Mesというヴェルモットの瓶も展示の一部。


次の部屋には静物画や馬の絵が並ぶ。彼は馬は必ず2頭描いた。デ・キリコと、彼の理解者だった弟を表している。

一番奥の大広間は1960年代に拡張された部分。ローマの一等地にある贅沢な空間は、客人が集う華やかな社交の場でもあった。ここにはデ・キリコが晩年に回帰した「新形而上絵画」が主に展示されている。形而上絵画をリピートしたことは商業的だとの批判もあったようだが、それがデ・キリコのアイデンティティとして今日まで認識されているのだから、人生の締めくくりの作品のあり方としては間違ってはいないと思う。

人間の感覚についてのデ・キリコの考え方も興味深い。彼が描いたマヌカンに目がないのは、目が見えない人は未来を見る能力がある予言者だと捉えていたからだそうだ。また、お腹には脳と同じ働きがある思っていたというのも、「腸は第二の脳」と言われる現代の考え方と似ている。


上のフロアはアトリエと寝室。デ・キリコの寝室は簡素で、シングルベッドがあるだけの小さな部屋。夫人の寝室は?と聞くと、華やかなカバーがかかったダブルベッドがある広い部屋が別にあった(!)。でも決して夫婦仲が悪かったとか、夫人が仕切っていたとか、そういうことではないようなので、きっと夜遅くまで制作に没頭したデ・キリコが夫人を起こさないよう、寝室を別にしていたのだろうと、平和な解釈をした。

アトリエは、アーティストがちょっと席を外しているだけのような雰囲気のまま残されている。実際はデ・キリコが亡くなってから美術館開館までに20年あったので、ほんとにそのままだったわけではなく、イーゼルにかかっている絵も絶筆のものではない。それでも彼が使っていた絵具や、額縁のコレクション、資料が並ぶ本棚などを見ると、アーティストの内面を少しだけ覗けたような気になる。本棚には「日本の凧」という日本語の本もあった。調べたら1970年の出版。彼の晩年の作品のどこかに凧が隠れているだろうか。



邸宅美術館はデ・キリコ財団が管理・運営し、その600点以上のコレクションから世界中の展覧会に作品が貸し出されるので、展示作品も少しずつ変わる。お宅拝見だけでなくキュレーションされた展示も見られる、バランスが取れた面白い美術館だった。