2024年1月8日月曜日

「オーヴェル・シュル・オワーズのゴッホ」展

先月、パリのオルセー美術館でゴッホの興味深い展覧会を見た。その名も「オーヴェル・シュル・オワーズのゴッホ」展。ゴッホが最期の70日間を過ごしたオーヴェル・シュル・オワーズ時代だけを扱った初の企画。

ゴッホはここで74枚の絵画を制作した後、自殺したとされている。でも本当に自殺だったかどうかは諸説あり、それゆえにオーヴェル・シュル・オワーズは、ゴッホゆかりの地の中で最もゴッホの魂に近く、彼の執念にも似た熱量を感じる場所だと思っている。

そのオーヴェル時代の作品の多くが集結し、彼が弟に出した手紙や、スケッチブック、パレットなど、あまり目にすることがない貴重な周辺資料と一緒に展示されている。

面白かったのは、よく美術館で見るような重厚な額縁はゴッホの好みではなかったという話。彼は額縁には強いこだわりがあって、絵の色が際立つよう平たくプレーンな額縁を指定していた。これを受けてオルセーは最近になって額縁を変更したらしい(冒頭の「オーヴェルの教会」の写真がそれ)。ゴッホの指定はシンプル過ぎて当時の流行には合わなかったのだろうが、作家の意向がこれほど長い間無視され続けていたというのもなかなかすごい。

オーヴェル滞在の70日の間にゴッホは新しい色を発見し、新しい手法にも挑戦した。陽光溢れるプロヴァンスからオーヴェルに移ってきたゴッホの目には影がよりはっきり見え、異なる青の色合いを風景画に取り入れるようになった。

彼は独自の新フォーマットも開発している。「ダブルスクエア」と呼ばれる正方形を二つつなげた2:1の横長のキャンバスの作品を全部で13点描き、うち11点が今回展示されている。それらはオーヴェル滞在の後半に制作されたそうだが、決して生き急ぐように描かれたのではなく、一つ一つ丁寧に、熟考や修正を重ねたものだった。

ゴッホの最後の作品もダブルスクエアで、彼が自殺を図ったとされる日に描かれた「木の根」。

その直前まで描いていた風景画からガラッと変わり、抽象画のような、攻撃的なまでに強い色合いの作品。ゴッホはその2週間ほど前に「私の人生もまた、根っこの部分で攻撃されている」と書いていたそうで、それをこの作品に込め、自殺へと進んだとする解釈もあるようだ。

しかし、ゴッホがオーヴェルで過ごしたのは1890年の5月下旬から7月の終わり。春から初夏に移る季節の生命力に満ちた木々の緑や花の美しさは、ゴッホにもインスピレーションと新たな挑戦のエネルギーを与えたと想像できる。そして、他のどの絵とも異なる「木の根」もまた、彼の挑戦の一つだったのではないか。 ここから真夏に向けてゴッホの新時代が始まるはずだったのではないだろうか

と、まあどれだけ考えても、ゴッホの最期の70日間の真実はゴッホ本人にしかわからない。この展覧会でゴッホへの理解が深まったと同時に、謎も深まった気がする。そして一層ゴッホに惹かれたのは間違いない。


2024年1月3日水曜日

シテ・デュ・ヴァン

ボルドーの「La Cité du Vin(シテ・デュ・ヴァン)」は、ボルドーだけでなく世界のワインを知ることができるミュージアム。

川沿いに建つミュージアムは遠目にもすぐわかる特徴的な建物。何を表現しているのかというと、公式サイトによると「ワインの魂を呼び起こす」ものだそう…??? 要は液体としてのワインのシームレスさ、とらえどころのなさといったものをイメージしているらしい。確かにとらえどころがない。


展示フロアの入口でオーディオガイドを受け取る。世界のワイン産地の映像から始まり、各国のワイン生産量や品種の比較、現在のワインのトレンド、ワインの歴史、ワインの製造工程などなど、様々な角度と展示方法でワインを読み解く。鑑賞者は各展示の前でオーディオガイドをスキャンして音声解説を聞く仕組み。多くの展示は音声を聞くことが前提になっているが、解説は合計9時間分もあるそうなので全部聞こうとせず、滞在時間に合わせて自分が興味があるところを重点的に聞くのがいいと思う。いずれにしても1-2時間は時間を取ったほうが楽しめる。


嗅覚に訴える香りの展示や、ブドウの映像の上を足踏みしてワインの生産量を競うゲームや、「ワイン占い」といったインタラクティブな遊びもある。


外からは奇妙にも見えた建物も、曲線を活かした内部は悪くない。

もちろんチケットにはテイスティングも含まれる。常設展を見た後、8階の展望フロアへ。世界のワインが並ぶメニューから、折角なのでクレマン・ド・ボルドーを選んだ。


ボルドーの街を一望しながら乾杯!



2023年12月31日日曜日

ワインとアートとボールペン

フランス・ボルドー右岸の「Chateau de Ferrand(シャトー・ド・フェラン)」は、ワインとアートをここならではの形で融合させたユニークなシャトー。

創業は18世紀初め。1977年にボールペンのBIC社の創業者マルセル・ビック氏が買い取り、現在は娘のポーリーヌさんご夫妻が当主を継いでいる(ちなみに夫のフィリップさんの実家はモエ・エ・シャンドン)。

ポーリーヌさんの代になってから、シャトーは一大リノベーションを敢行。内装は建築デザイナーのPatrick Jouin氏に依頼した。ヴァン クリーフ&アーペルのパリや銀座の店舗や、マラケシュのホテルLa Mamounia等も手掛けた人。Jouin氏の特徴ともいえる透明感や柔らかな曲線はこのシャトーでも発揮され、機能とエレガンスを見事に両立。例えばテイスティングルームは、プロのテイスティング用にワインの色がはっきりとわかるライトとテーブルが設置されているが、雲のように浮かんだお洒落なライトはそんな実務的理由を意識させない。


イベントやセミナーに利用されるオランジェリーは、空と雲をイメージした天井と、木と革張りの椅子が並ぶ美しく居心地のいい空間。


前述のテイスティングルームの壁は春夏秋冬を描いた絵で覆われている。これがまさに、家業のアイデンティティを活かした「BICアート」の一つ。アーティストのAlexandre Daucin氏がBICのペン1種類だけを使って描いた作品で、とても細密な描写が部屋の四面の壁に展開している。さて、これを完成させるのに何本のBICペンが使われたでしょう?





正解は7本。絵を実際に見たら、こんなに細かくて大きな絵にたったの7本?と驚くと思う。「BICペンはこんなに長く描けます」という説得力はこの上ない。

他にも館内には、BICペンを使った、またはテーマにしたコミッションアートがあちこちに展示されている。



もちろんワインの評価も高い。シャトーでは2010年から、土壌の改良やブドウの植え替え、栽培方法の変更などの改革をした。その結果、Chateau de Ferrandのワインは2012年以降、サンテミリオンの格付けでグラン・クリュを獲得している。作るのはメルロー主体のまろやかな赤ワインのみ。ヴィンテージによって異なる個性を大切にしており、違うヴィンテージを順番にテイスティングするとそれが良くわかる。


シャトーにはゲストルームも3室あるので、宿泊してワインとディナーのペアリングを堪能することをお勧めする。BICペンの4つのカラーをテーマにしたコースもある。

ディナー後はファミリーのプライベートアートコレクションをじっくり鑑賞した。世界のアーティストたちにとってBICペンは身近な画材。様々なアーティストたちがBICペンで描いた作品のコレクションにはジャコメッティ、マグリット、ダリなど、20世紀を代表するアーティストたちも含まれ、BICペンとアートの深いつながりを感じる。

ボールペンの繊細な線とワインのまろやかさが絶妙な相性に思え、心地よく印象に残った。


2023年12月28日木曜日

カンヌの夜がバージョンアップ?

トレードショーに参加するため4年ぶりに南仏のカンヌへ。

眩しい太陽と輝く海。冬でも昼間はコート要らず…のはずが、今年は東京の初冬が暖かすぎたせいか、12月初めのカンヌはいつもより寒く感じた。それでもやはり、一年中サングラスとテラス席が似合うこの街は魅力的で、気分がいい。


でも日が暮れると気温はガクンと下がる。カンヌの夜は、海岸通りのいくつかのホテルがライトアップされ、ブランドショップのショーウィンドウの照明がついている以外は比較的おとなしい。例年クリスマスシーズンには、商店街などにはそれらしい飾りが出ているけれど、特に力を入れている感じはなかった。

今年リノベーションを終え再オープンしたカールトンホテル

そんなわけで、昼間のミーティングが終わり、カクテルパーティに2軒くらい顔を出した後のカンヌには見るものもなく寒いので、足早にホテルに向かっていたとき、今回は路面にクルクルと回る光のアートを発見。それも一か所ではなく街のあちこちでクルクル。少しずつ色や柄が異なり、人通りが多くはない場所でも静かに回っている。これ結構いいな、と、ちょっと足を止めて眺める。


今年のカンヌのクリスマスはこれだけではなかった。角を曲がって目に飛び込んできたのは、なんとも派手に光る建物。


前面がプロジェクションマッピングに覆われたその建物は「Eglise Notre Dame de Bon Voyage(良い旅のノートルダム教会)」。1815年にエルバ島を脱出したナポレオンが最初に立ち寄った教会で、安全な旅の守り神とされている。その白い壁は投影にうってつけのスクリーンだった。


いつ始まったのかわからないが、5年ほど前からカンヌ市が老朽化した教会の改修をしていたらしいので、外壁の修復が終わった後、あのクルクルと合わせて市が始めたのだろうかと想像する。一晩中続く投影は治安の維持にも少しは役立つのかもしれない。

しかしこのインパクトは、夜のカンヌでは間違いなく目立っている(いや、浮いている)。

普段はおとなしい教会の変貌にちょっと驚いたが、どうせやるならこれからも続けてくれるかしら、デザインも毎年変えてくれるかしら、今回は静止画だったけどいっそ動画にも挑戦してくれるかしら、などと勝手に期待が膨らみ、結局、来年のプロジェクションを楽しみに思っている私。

翌朝出かける頃には教会はいつもの姿に戻ってすましていた。


2023年10月10日火曜日

香港 M+

2021年11月に香港の西九龍文化地区(West Kowloon Cultural District)にオープンし、世界的な話題となった「M+」。遅ればせながら最近ようやく見に行った。

M+はアジアで初めて20世紀以降のビジュアル・カルチャーに特化した美術館。ヘルツォーク&ド・ムーロンがデザインした建物の中に、17,000平方メートルもの展示スペースを持つ。ヴィクトリア・ハーバーに面した壁面は巨大なLEDディスプレイになっていて、夜は向かいの香港島から見ても良く目立つ。



M+のコレクションはアジアの絵画、彫刻、写真、版画などのほか、デザイン、建築、映像まで、視覚的なものを幅広くカバーしているのが特徴。特にデザインの分野では日本が占める比率が高く、日本人にとっては懐かしいものも多い。メディアでよく紹介されているのは、倉俣史朗氏が内装を手掛けた80年代の新橋の寿司店「きよ友」をそのまま移築した展示。のれんをくぐって店内の様子も見られる。


他にもダイハツミゼットやソニーウォークマンなど、戦後の昭和で一世を風靡したヒット商品の現物が並ぶ。最近の80年代ブームのように、古いものが逆に新鮮に見える。


ポスターやCM映像を展示した一角からは「グランバザール♪グランバザーアーー♪」という聞き覚えのあるCMソングが! 思い出すことはなかったかもしれないものと、時を経てこうして香港の美術館で再会できたことが、なんだか不思議で感慨深い。


M+のもう一つの柱は、1970年代から40年間の中国美術を集めたシグ・コレクション。最も包括的な中国現代アートコレクションとされるが、中国政府が最も検閲に目を光らせる部分でもある。残念ながら訪問時はシグ・ギャラリーが展示準備中で閉鎖されていたので、全貌は見られなかった。また次回。


地下1階では草間彌生のインスタレーション「Dots Obsession」に人が集まる。巨大水玉に圧倒される楽しい空間。


3階のルーフガーデンはお勧めの写真スポット。西九龍文化地区全体が見渡せ、対岸の香港島の風景も臨める。


西九龍文化地区は、40ヘクタールの埋め立て地に新たな活気ある文化地区を造る一大プロジェクト。現在はM+のほか、香港故宮文化博物館やパフォーマンスセンターがあり、ウォーターフロントプロムナードを散策できるアートパークがそれらをつなぐ。2024年にはシアターコンプレックスも完成予定。

M+とこの地区が、アートを通じて様々な声や文化を世界に発信し続けられますように。


2023年10月9日月曜日

ドバイのアート地区

ドバイで質の高いアートホッピングを楽しむなら、アルサーカル・アヴェニュー(Alserkal Avenue)へ。

オープンは2008年。倉庫街だった場所がアートやカルチャーのハブとして再生された。現在は約20軒のアートギャラリーの他、デザインやアート、ファッション関連の企業やショップ、飲食店など計約80のテナントが入る。


訪れたのは気温40度を超える午後で人影はまばら。開いていたアートギャラリーを順に巡る。建物の中はエアコンでキンキンに冷えている(生き返る!)

ギャラリーによって扱うアーティストはインターナショナルだったり、中東、アフリカ、アジアなどの地域に特化していたり、新進アーティストから著名な現代アーティストまで幅広い。どのギャラリーもおしなべて作品のレベルは高く、展示も洗練されている。きっと中東各国や世界から訪れるハイエンドなアートコレクターを顧客に持っているのだろう。



でもアルサーカル・アヴェニューは、一部のコレクターだけをターゲットに作られたわけではなく、地元のクリエイティブコミュニティの創生や、アーティストの育成の拠点となることをミッションとして今日まで発展してきた。

立ち寄ったお洒落なカフェでは、自家製パンのサンドイッチのレベルも高かった。チェーン店を安易に入れず、厳選したローカルビジネスで固めているのがわかる。時間があればアート以外のお店もチェックしてみると、ハイブランドのショッピングモールとは違うドバイローカルの魅力を発見できるはず。

そんな文化的地区で暮らす猫は、灼熱の太陽の下、シャンとして行儀が良かった。


アルサーカル・アヴェニューの開発はこれからも続きそう。また行ってみたい。



2023年10月6日金曜日

ドバイフレーム

街中にそびえたつ黄金の額縁。未来的な高層ビルが並ぶドバイで「Museum of the Future」と同様に独自路線を行くその建物は「ドバイフレーム(Dubai Frame)」。


高さ150m、幅95m。巨大過ぎるし、周りとの調和など全くないマイペースさは、シュール過ぎて笑ってしまう。

2018年にオープンしたドバイフレームは、二本の垂直なタワーを水平なブリッジでつなぐ構造になっている。なんでも世界で最も高い額縁型建造物としてギネスにも認定されている(そりゃそうでしょうよ。他にもあるの?)

でも、ただ奇をてらっただけではなく、その形にはちゃんとした目的がある。額縁の3辺を使ってドバイの過去、現在、そして未来を見せるアトラクションなのだ。

見学は片方のタワーの低層部にある「オールド・ドバイ・ギャラリー」からスタート。漁村だった頃の様子や、当時の人々の暮らしや、市場の店の様子などが紹介されている。


そのタワーをエレベーターで上辺部分のスカイデッキへ一気に上がる。ガラス張りのエレベーターから見える景色に、ドバイって意外と緑が多いのねと思いながら。


高さ150mのスカイデッキは展望デッキとしては高くはないが、両サイドで対照的なドバイの「今」が見られるのがポイント。片側は開発が進み超高層ビルが建ち並ぶ風景。反対側は低層の建物が遠くまで規則正しく並んだオールドタウン。



もう一つの売りは一部がガラス張りになった床。額縁の下辺を見下ろせる。かなり強そうなガラスなので心配はないと思う…。


展望デッキを堪能した後は、上がってきたのとは反対側のエレベーターでまた一気に下り、最後は「フューチャー・ドバイ・ギャラリー」へ。ドバイの50年後くらい?の未来のイメージを没入型の映像と音声で体験する。これは臨場感があって楽しい!


ということで、ドバイフレームは見た目より中身がずっと真面目だった。外から写真を撮るだけでなく、是非入場してみると、知らなかったドバイの一面が見られると思う。