先日、香川県高松市にあるイサム・ノグチ庭園美術館を訪れた。
ニューヨークと日本を行き来していたノグチが日本の拠点としていたアトリエ兼住居で、高級石材の庵治石の産地として知られる牟礼(むれ)町にある。美術館の周りの石材業者の敷地にも立派な石が並び、美術館の一部かと見紛う。
見学は事前予約制。20人くらいのグループに分かれて案内される。見学箇所は大きく3か所で、ノグチの住居だった「イサム家」とそれに隣接した彫刻庭園、「あかり」が展示された資料館、そして「マル」と呼ばれる円形の石壁に囲まれた作業場と展示蔵を順に廻る。
ノグチと高松を結んだのは香川出身の画家・猪熊弦一郎。中学の後輩だった当時の金子正則香川県知事にノグチを紹介した。ノグチがこの土地にほれ込んだ理由は、ここで取れる庵治石より、むしろ石工たちの技術の高さだったらしい。実際、ノグチがここで制作した彫刻は、庵治石よりも海外など他の土地から取り寄せた石で作られたものが多い。
空の青さや自然の美しさにもノグチは惹かれたのだろう。彼が残した彫刻が並ぶ作業場は周囲の借景と見事にマッチして、ノグチの美意識に溢れている。ああ、美しいな、ここで作品制作をしていたノグチは幸せだったんだろうな、と思えた。しかしこの美術館は残念なことに受付の建物以外は写真撮影禁止。こんなにきれいなのにもどかしい! でも、彼の美へのこだわりを全身で感じられた体験だった。(一方、ニューヨークのイサム・ノグチ庭園美術館は写真撮影ウェルカムらしい。)
さて、高松の見どころはイサム・ノグチだけではない。前述の金子前知事は「デザイン知事」とも呼ばれ、彼のイニシアティブで香川は「アート県」の地位を確立していった。
猪熊氏と金子氏を中心として、香川でイサム・ノグチ、谷口吉生、流政之などを含むアーティストネットワークが形成されたというのも興味深い。そういう点で高松は当時、東京や京都よりも進んだ文化都市だったのだろう。
代表的な例は1953年竣工の香川県庁舎東館。丹下健三のモダニズム建築を、猪熊弦一郎の陶板壁画「和敬清寂」が飾る。ロビーのベンチは今や有名な家具メーカーの桜製作所が手掛けた。
更に遡ること300年。高松藩主・松平家が100年かけて完成させた栗林公園にも美が結集している。ここにデザイン・マインドの原点となるDNAがあったのかもしれない。ちなみに栗林というのは名ばかりで、実際は1000本の松の木が幅を利かせている。
2027年にはマンダリン・オリエンタル高松のオープンも予定されている。ますます高松から目が離せないが、ゆっくり観光するなら今のうちかもしれない。














